池口惠觀大僧正講話
(2)

平成20年4月7日


惠觀第一講話(2)

高野山真言宗伝燈大阿闇梨
百万枚護摩行者最福寺法主
医学博士 大僧正
池 口 惠 觀


 昨年は、十干十二支では「丁亥」の年でした。「丁」という文字が「火」を表すと同時に、草木が生い茂る前の充実した状態を表すのに対して、「亥」という文字は「水」を表すと同時に、草木が凋落し生命力が種子の中に閉じ込められてしまった状態を表していました。二つの文字が相反する意味合いを持っているために、今年は一筋縄ではいかない、難しい年になりそうだと、私は年初に予想しましたが、実際に昨年は大変な年でありました。

 特に政界は激動の一年でした。現在、参議院では野党が過半数を占めた状態で、一年半以内に総選挙が行われる状況ですから、来年も政界は波乱含みで推移しそうであります。まさに「政界は一寸先は闇」という状況が続きそうであります。

 そんな状況の中、私が昨今、政界、官界、財界、マスコミ関係の方々とお付き合いをする中で、現実の流れと本音の間に乖離があると感じていることが、二つあります。一つは官僚の天下り問題であり、もう一つは北方領土問題であります。今日はこの二点について、誤解を恐れず、私の忌憚のないところでお話をさせていただきたいと思います。

 まず、官僚の天下り問題であります。最近、官僚の批判が強まり、安倍内閣では従来の天下り斡旋をやめ、官僚の再就職に一定の枠をはめる「人材バンク」構想が浮上しました。高級官僚の特殊法人への天下りが税金の無駄遣いにつながり、民間企業への天下りが政官財の癒着、利権の温床になっているとすれば、 改革しなければなりませんが、私は、天下りの制度をなくしてしまうのは、行き過ぎのような気がしてならないのであります。

 そもそも天下りが行われてきた原因の一つには、キャリア官僚の早期勧奨退職慣行があったといわれています。国家一種試験に合格し、幹部候補生として同期に採用されたキャリア官僚は、ほぼ横並びに昇進していきます。

 しかし、四十歳前後からポストが次第に限られてきて、ポストに就くことができなかった人は、順次退職していくことになります。その仕組みが早期勧奨退職慣行と呼ばれるものであります。これは法律に定められた制度ではなく、官僚制度の歴史の中で形成されてきた慣習だということであります。

 事務方のトップである事務次官は一人ですから、同期入省者から事務次官が出たときには、その他の同期入省者は全て退職していることになるわけであります。この慣習を厳正に実行すれば、ほとんどのキャリア官僚は、六十歳の定年を待たずに退職しますから、退職後の受け皿が必要とされるわけであります。

 最近の日本企業は年功序列の終身雇用制度が崩れてきていますが、戦後の高度成長が続いていたバブルの頃までは、民間企業では終身雇用制度が機能しておりました。したがって、早期勧奨退職慣行がある官僚の世界に天下り制度があることは、それほど問題視されてこなかったように思います。

 又、民間企業の側からも、官庁への人脈作りや情報収集、或いは退職した官僚の持つ技術や見識を必要としていたことなど、天下りの人材を迎え入れるニーズがあったことも事実であります。

 例年、予算編成時期の年末を迎えますと、霞が関の官僚街は深夜まで灯りがともってます。この時期でなくても、霞ヶ関は深夜までの残業は当たり前と考えられています。一般的に、お役所仕事は定時に始まり、定時に終わるというイメージが強いのでありますが、国の行政を担う霞ヶ関は一年中多忙であります。

 霞ヶ関の官僚がなぜ残業、残業に追われているのかと言えば、橋本総理の秘書官を務めたことがある、通産官僚OBの江田憲司議員がこんなふうに言っています。

 「何も好きこのんで残業をしているわけではない。本来、唯一の立法機関たる国会、その政治家が法律を作らないものだから、官僚が政府提案の法律案や予算、政策を作っているのだ」と。

 つまり、政治家がやるべき仕事を官僚がやっているために、霞ヶ関は忙しい、というわけであります。江田議員の場合、通産省の官房総務課で法律立案の審査を担当していたとき、百本以上の法律を作り、月二百時間の残業はザラだったそうです。しかも残業代は一律二万円だったといいます。これは一種の残酷物語です。

 江田議員は、「文句一つ言わなかったのは、少しでも国家、国民のために役立っているという強烈な自負があったからだ」と言っていますが現在も霞ヶ関の多くの官僚は、そのような使命感を持って夜遅くまで働いているのであります。政治家の縁の下の力持ちとして、法律を作り、予算を作り、政策を作ってきた霞が関の官僚が、最近、行政改革という錦の御旗のもとに、永田町から強いプレッシャーをかけられている現状に、私はいささか同情を禁じえ得ないのであります。

 民間企業も終身雇用制が崩れてきていますが、少なくとも役員や管理職にまでなった人には、定年後はそれなりの子会社のポストが用意されているようであります。早期勧奨退職慣行が推奨されている中で、天下りを禁止されたら、退官後の官僚はどうやって生きていけばいいのでしょうか。

 昨今の官僚批判の高まりによって、国家・国民のために仕事がしたいという高い志を持って官僚を目指す人が少なくなってきているようであります。以前は、東大法学部からキャリア官僚になるというのが、一つのエリートコースでしたが、最近では官僚が敬遠される傾向にあり、農水省には東大法学部出身者が一人も入らないという事態も生じたと言います。

 では、東大法学部の優秀な人材はどういう進路を選んでいるかと言えば、学部を卒業したあと法科大学院に進み、最終的には外資系の金融機関などに就職しているようであります。

 それに関して、最近の報道で思い出すのは、霞ヶ関の外務官僚が外資系投資ファンドに天下るケースが増えている、と言うニュースであります。

 この秋、世界最大の投資ファンドである米国のブラックストーン・グループの日本法人が発足し、すでに日本上陸を果たしていたカーライル・グループ、コールバーグ・クラビス・ロバーツに加えて、世界の三大投資ファンドが日本に出揃ったということであります。

 そのうち、カーライル・グループの日本法人の会長には、通産省(現産業経済省)で通商政策局長、特許庁長官を歴任し、退官後に日産自動車副会長を務めた通産OBが、今年十月に就任しています。また、昨年六月に設立された、コールバーグ・クラビス・ロバーツの日本法人には、通産審議官を退任したあと、 旧日本長期信用銀行(現新生銀行)で顧問を務めた通産OBが、シニア・アドバイザーとして入っています。

 もともとが外資系投資ファンドを天下り先として開拓したのは大蔵省(現財務省)で、破綻した東京相和銀行(現東京スター銀行)を買収し再建した米国投資ファンド、ローンスターの日本法人会長は、二代にわたり財務省OBが、務めているようであります。外国の大手投資ファンド会社が、キャリア官僚の天下りを率先して受け入れているのは、業界に顔が利き、政治家や官僚にも人脈を持っているからだというこ とですが、官僚OBにとっても、自分の能力を高く評価してくれて、なおかつ破格な高給で雇ってくれる外資は、「第二の職場」として魅力的だということだと思います。

 かつて日本の高度成長時代、通産省と日本企業は一心同体となって国際競争に挑んでいきました。その過程では、通産省は日本企業の成長のために、さまざまな障壁を設け、外資の日本市場への参入を阻んできました。そのために、通産省は外資から、「悪名高き通産省」と言われたそうであります。

 それが今や、通産省OBが外資の日本上陸の水先案内人をやるわけですから、時代は変ったものです。この背景には、経済のグローバル化が進んだことがあろうかと思いますが、天下り規制を強めるなど、官僚批判がもたらした一つの結果と言えるのかも知れません。

 しかし、これまでの日本の国家・国民のために一生懸命働き、さまざまな情報やノウハウを蓄積しているキャリア官僚が、退官後、外資のためにその情報やノウハウを駆使して働くというのは、国益と言う観点から見た場合、どうなのでしょうか。

 先ほどの江田議員は、今も志の高い官僚はいるとしながらも、「天下りの禁止」や「税金の無駄遣いの解消」をしない限り、どんな立派な仕事をしても、官僚の評価は上がらないし、昔のように「日本は政治は三流でも官僚が一流だからもっている」と言われることはないだろうとして、「天下りの禁止」をライフワークとされているようであります。

 さて、もう一つは北方領土問題であります。北方領土問題は毎年、二月七日の「北方領土の日」を迎える前後になると、マスコミでもいろいろ話題になりますが、それ以外には、日ロの首脳会談でも行われない限り、あまり話題にならないのが現状であります。

 しかし、北方領土問題が何らかの進展を見せない限り、日ロ関係の飛躍的な好転も望めないという、のどに骨が刺さったような現状が、いつまでも放置されてよいということはありません。日ロ関係の一段の発展に向けて、北方領土問題に何らかの突破口を開く努力や知恵が必要な時を迎えているのではないかと思います。

 私はハバロフスク郊外で戦没者の慰霊を行ったり、原子力潜水艦クルスク号沈没事件の犠牲者の慰霊を行ったり、ハバロフスク医学大学で客員教授として特別講義を行ったり、ロシアとは結構、ご縁があります。その過程で、ロシア科学アカデミーの東洋医学研究所の方々との交流もでき、同研究所の顧問になり、名誉教授の称号もいただいております。

 そうした交流を通じて感じることは、ロシアの方々は日本に高い関心を持ち、日本を良く理解されているということであります。それは私が、ロシア人の中でも日本に通じている方々と交流している、ということもあるでしょうが、私は彼らにそれ以上のもの、即ち東洋的な感性を感じるのであります。

 例えば、現在、中日ロシア大使のベールィさんも、前大使のロシェコフさんも、鹿児島までおいでになり、私の寺の激しい護摩供養を火の近くで体験され、密教の行に大きな関心を抱かれました。大使だけではありません。ソ連からロシアに移行する激動の時代に、ゴルバチョフ大統領、エリツィン大統領を支えて、外務大臣、首相として活躍されたプリマコフさんも、鹿児島に来られたとき、行に参加されました。

 外国の要人の方が、わざわざ鹿児島までおいでになり、私の寺の二時間の激しい行にお付き合いされるのは、結構珍しいことであります。それをロシアの方々は真剣に参加され、密教の行の意味や成り立ちについて、大きな関心を持たれるのであります。ですから私は、ロシアの方々には日本の精神や心を理解していただくことができ、お互いに腹を割って話せば、道は開けるのではないかという気持ちを持っているのであります。

 そういえば、プーチン大統領は柔道家でいらっしゃいますから、「柔よく剛を制す」といった、柔道に秘められた日本の心はよく理解されているはずであります。

 そこで私が思うことは、北方領土問題の突破口を開く方法であります。北方領土返還問題は、戦後日本の悲願の一つでありました。昭和三十一年、鳩山一郎総理がモスクワに渡って、フルシチョフ首相との間に締結した「日ソ共同宣言」には、北方領土問題について、次にように記されています。

 「ソヴィエトは日本の要望に応え、かつ日本の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本とソヴィエトの間の平和条約が締結された後に、現実に引き渡されるものとする」。

 当時、保守合同したばかりの自民党内には、四島一括返還でなければならないという意見も強く、また、米ソ冷戦の当事者であったアメリカからも、四島返還でなければ沖縄返還はない、という圧力をかけられたと思います。しかし、日ソ友好の道を開くことは鳩山総理の悲願でもあり、ソ連側が領土問題は棚上げするという方針の中で、日本側はソ連側の譲歩を引き出し、二島返還を明記させることに成功したということであります。

 しかし、その後半世紀以上経過しますが、北方領土との交流は徐々に進んだものの、返還問題は、一歩も進んでいないのが現実であります。

 「共同宣言」の明記された歯舞群島、色丹島の返還も、その後、択捉、国後の帰属をめぐって日ソ両国が対立し、結局合意できませんでした。そして東西冷戦の進行により、ソ連の立場は「領土問題は解決済み」へと変化したのであります。

 しかし、東西冷戦が終焉した後、平成三年にゴルバチョフ大統領が来日し、領土問題の存在を公式に認め、平成九年に行われた、橋本総理とエリツィン大統領のクラスノヤルスク合意では、「すべての分野について両国の関係を発展させる。その中に領土問題を含める」とし、両国の間で領土問題が明文化され、共有されました。

 ただ、その段階でも、日本側は四島返還が大前提であるとし、ロシア側は歯舞・色丹の引渡し以上の妥協はするつもりはないとして、それ以上の交渉は進展しない状況が続いてきたのであります。

 平成十七年秋に、訪日したプーチン大統領と小泉総理の間で、日ロ首脳会談が行われましたが、領土問題の交渉と解決への努力の継続を確認するにとどまり、具体的に進展は何も得られなかったというのが現状であります。

 北方領土問題の議論の中で、時々「二島返還論」が浮上してくるのは、鳩山・フルシチョフ会談によって締結された戦後の日ロ関係の出発点ともいうべき「日ソ共同宣言」に、二島返還が謳われているからであります。

 戦後六十年以上が経ち、その間、さまざまな事情があったにせよ、まったくと言っていいほど進展がなかった北方領土返還問題を、これから一気に進展させられるような秘策があるとは思えません。しかし、現状を放棄したまま、四島一括返還を叫んでいるだけでは、過去六十年と同じ轍を踏むことにもなりかねません。

 私はロシアに妥協しろというのではなく、北方領土問題の突破口を開くために、一度「日ソ共同宣言」という戦後の原点に立ち帰り、二島返還で国論を統一してロシアと真摯に話し合いをし、そこを突破口にして二島返還を実現して、さらに段階を踏んで四島返還を実現する、そういう道を探れないものかと思うのであります。

 私は、ロシアの要人の方々と親しくお付き合いさせていただく中で、ロシアには日本に通じる東洋的な考え方が流れていると確信しているだけに、北方領土問題を何とかしてソフト・ランディングさせる方法はないかと、最近強く思っているところであります。官僚批判の問題、北方領土の問題に、今年は少しでも正面から取り組んでみたいと考えているところであります。

合掌

つづく
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