池口惠觀大僧正講話
(3)

平成20年6月19日


惠觀第一講話(3)

高野山真言宗伝燈大阿闇梨
百万枚護摩行者最福寺法主
医学博士 大僧正
池 口 惠 觀


 ここ数年になく寒かった冬も終わり、また春が巡って参りました。しかし、どうも冴えないニュースが続いています。今年は新年から株価の大幅下落、原油 価格高騰に始まり、中国産冷凍ギョーザの農薬混入事件、イージス艦「あたご」と漁船の衝突事件と、暗い事件が相次いで起きました。

 株価の低迷、原油高は依然として続いており、中国産冷凍ギョーザ事件、イージス艦衝突事件も、まだ真相は解明されておりません。加えて、国会では衆参ネジレ現象のデメリットが表面化し、ガソリン税が絡む道路特定財源の問題、日本銀行の後任総裁問題で与野党が衝突、国会が空転する事態も起きるなど、政治は増々混迷の度合いを深めています。こんな状況ですから、日本人宇宙飛行士・土井隆雄さんを乗せたスペースシャトル「エンデバー」の打ち上げが成功し、国際宇宙ステーションに日本の実験棟「きぼう」の船内保管室を取り付ける作業を行った、本来なら国民が沸き立つ明るいニュースがもたらされても、国民の気持ちはいまひとつ晴れないのです。

 日本はバブル崩壊以降「失われた十年」という長い苦難の時代を乗り越え、「米百俵の精神」で構造改革の痛みに耐えて、ようやくトンネルの向こうに光が見えてきたと、ひと息ついたところでした。しかし、ここへ来て、国民はまたうっとうしい暗雲が日本の上空を覆いつつあるのではないかと、不安におののいているような感じがします。ここは政治がリーダーシップをとって、国民を鼓舞しながら難局を切り抜けていくべきとき時ですが、国会は与野党がメンツにこだわり党利党略で国民不在の激突状態を展開しており、国民は、この国の将来に対して疑心暗鬼にならざるを得ない状況になっているようです。

 PHP研究所が出している月刊誌「Voice」の四月号で、「日本の明日を壊す政治家たち」という特集をやっています。さまざまな角度から、現在の政治に対する辛口の意見が出されていますが、私が注目したのは、政治家が長期的な視野をもっていない、という指摘がいくつかあったことです。

 特集の冒頭に、伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんと、東京大学教授の伊藤元重さんの「政治不況は許さない」と題する対談が掲載されています。その中で、伊藤さんが「規制改革や公務員改革の大事ですが、改革と同時に、十年、二十年後に何が必要かを見据えたポジティブな仕組みを、もう一度考えるべきなのです」と、長期的視野の必要性を指摘しています。

 それに対して、丹羽さんも、「いまは『パッチワーク改革』ばかりで根本的な改革ではない。膏薬を貼って穴をふさぐだけだから、直ぐ隣で穴が開く。するとまた膏薬を貼って、というような政治を続けているから、本体そのものがパッチワークだらけで、わけがわからない姿になってしまうのです。農政などは、まさに典型的でしょう」と言い、短期的な視点での改革に疑問を投げかけています。

 そして、伊藤さんは、「こういう時代だからこそ、『こういう方向でやる』という強烈なメッセージを出せば、政治家として脚光を浴びるはずなんですよね。本当はそういう人が出てこなければいけないのですが」と言い、丹羽さんもそれを受けて、「ルーズベルト大統領の炉辺談話ではないですが、総理がメディアを媒介とせず、直接テレビで国民に語る機会を、月に一回でもいいから設ければいいと思うのです」と語っています。

 炉辺談話と言うのは、ニューディール政策でアメリカを大恐慌後の不況から立ち直らせたフランクリン・ルーズベルト大統領が、国民に向かって定期的に、暖炉の側からフランクに、ラジオで所信・所感を語りかけたものです。現在の日本では、総理は毎日のようにテレビに映っていますが、いわゆる「ぶら下がり取材」によるものであり、記者の質問に対してひと言、ふた言、コメントするだけです。記者から厳しい質問が出た場合、明らかに総理の不快感が表情に出て、しかも素っ気ない答えになりがちですから、かえってイメージダウンになるように感じられます。日本のマスコミは「不偏不党」を建前にしていますから、総理大臣の所信・所感を、毎日のように中継するのは難しいかもしれません。しかし、ぶら下がり取材よりは、定期的な総理の所信・所感がうかがえる番 組を、各局持ち回りでつくったほうが、総理と国民の距離は近づく気がします。また、長期的な視野に立った話題も話しやすくなります。政治家とマスコミの関係と言えば、「Voice」の特集で、「俗物政治家ワースト10」と題する、三人の政治記者覆面座談会が行われています。その中で通信社解説委員のAさんが、次のように発言をしています。

 「最近、政治家の心の中に、真面目な選択というのがどこまであるのかと思う。今はテレビの影響が強くて、以前は曲がりなりにも報道番組で扱っていた政治が、現在はエンターテインメント番組のテーマになっている。国民が政治の情報を得ているのは、バラエティー番組を通じてです」。

 それに対して、元テレビ局のCさんが、「政治家がテレビに出てもいいけれど、バラエティー番組でお笑い芸人に叱咤されるなんて構図は恥かしい。それでも票稼ぎになると思って出演する政治家がいっぱいいるんですから」と応じながら、前回の衆議院選挙の東京小選挙区において、惨敗した民主党候補者の中で、比例で復活当選を果たしたのは、全員「TVタックル」の出演者だった、と笑うに笑えない話を披露しています。地方では、テレビに出る政治家が選挙で 有利だという傾向は、それほどでもないと思いますが、浮動票の多い都市部では、そういう傾向があるのかもしれません。しかし、いかに心ならずもであるにせよ、政治家がバラエティー番組でうわついた姿を見せているのは、心ある国民から見て、決して心地よいものではありません。

 その覆面座談会で、元新聞社政治部のBさんは、「国民の水準が低いのか政治家の水準が低いのかわかりませんが、私はイシュー(問題点)を提示しない政治家が悪いと思う。何も憲法改正、ミサイルの議論ばかりせよとはいわないけれど、冷戦当時の鳩山、岸たちは国の進路について本気の議論をしたわけですよ。国民に対して真剣に物をいう政治家がいれば、国民は彼らを選ぶと思う」と言い、政治家はもっと高次元の問題を語るべきだと訴えています。

 昔から、その国の政治はその国の国民のレベルに合ったレベルにしかならない、とよく言われます。しかし、現在の日本の政治は、マスコミがそのレベルを落とすのにひと役買っているように思えてなりません。新聞社や元テレビ局の元政治部記者は、バラエティー番組で浮かれている政治家を批判しますが、政治家を貶める番組をつくっているのは、新聞社の背後にいるテレビ局なのであります。新聞では政治家を批判しながら、テレビでは政治家に媚を売り、あるいは政治家を貶めることによって視聴率を稼ごうとしている。私は、マスコミがこの二面性を正さない限り、日本の政治はますます衆愚政治に陥っていくような気がするのです。政治家のテレビ出演については“嘘つき稼業”―世界に見透かされる永田町の『バカの壁』と題する、東京大学名誉教授の養老孟司さんと、上智大学名誉教授の渡部昇一さんの対談でも、政治家の将来に対するイメージの貧困さが指摘されています。

 渡部さん、「日本の政治家にイメージがないともいえません。徳川幕府は二百五十年以上の平和を実現しましたが、家康の元(げん)和偃武(なえんぶ)の思想があったからです。幕末に西洋の植民地帝国に適応しなければならなくなったとき、維新の元勲たち、特に岩倉使節団で欧米に行った人たちが世界を見て、富国強兵しなければならないという方針を出しました。それはそのときは正しかったと思います。戦後も、戦後復興までは正しかったと思います。戦争を知っている人たちがリーダーをやり、首相たちも卑屈ではなかった。自民党の立党宣言も、立派なことを言っています。ところが、彼らの弟子たちの時代になると、惰性で動くようになり、バブルで惰性が止まって、あとはそれっきり。危機的な状況はあるが、今のリーダーには『これで行こう!』というところがないんです」。

 ちなみに、家康の元和偃武とは、元和(げんな)元年(一六一五年)の大坂夏の陣以降、天下は武器をおさめて、太平の世の中になったことを指します。渡部さんは、家康が天下泰平の世をイメージしたからこそ、江戸二百五十年以上の平和が実現したのだと言われているのです。

 これに対して、養老さんは、これから先のイメージは難しくないと言われます。人口減少時代に国家や文明を維持することは大変だが、そのためには、教育問題に本気で取り組まなければならない。というわけです。そして、教育の本質は知育にあるのではなく、身体で理解することが大事だとして、養老さんは日 本の伝統的な教育の中にあった「道(どう)」の考え方の大切さを、次のように強調しています。

 「日本は『道』というかたちで身体技法を身に付けていました。武道もそうだし、茶道や華道もそう。あれは、ある状況で最も合理的な身体のさばき方なんです。だから、幕末、咸臨丸に乗った侍たちが、ちょんまげ姿で刀を二本差してサンフランシスコに上陸しても、みんな笑わないんですよ。完成したかたちだということは、誰にでもわかるからです。だけど、戦後の日本が何をしたかといえば、家の造作を全部、土建屋の都合で変えた。立ち居振る舞いも、めちゃくちゃになってしまったんです」

 養老さんが指摘されるように、日本人の立ち居振る舞いの基本は「道」にありました。日本のスポーツには剣道、柔道、相撲道など、たいてい「道」が付いています。これは単に身体を動かすだけでなく、そこに礼儀、道徳など、精神的なものが求められていたことを示しています。また、書道、華道、茶道などに「道」が付けられたのは、そこに精神性を加えて、身体的な気品、美意識が求められていたのです。

 私の先祖は修験行者ですが、修験行者の世界にも修験道という言葉があるように、「道」が求められていました。これは真言密教の「身口意」の三蜜に通底するものであり、道を極めるのは、身体と言葉と心が三位一体となって働くことが欠かせない、ということであります。

 要するに、養老さんは、日本が人口減少時代に国家、文明を維持していくためには、身口意をフル回転させることができるような人間をつくる教育が必要だ、とおっしゃっているのであり、そのことに言及する政治家が見当たらないことに、失望されているのではないかと思います。

 対談の中で、養老さんは、民主党代表の小沢一郎さんに、「参議院は五十年先よりも手前のことを考えちゃいけない議会にしてください」と提案したというエピソードを明かしています。小沢さは、「今の選挙制度があるうちは無理です」と答えたそうです。

 国会議員が選挙に通ることを第一義に考えているとしたら、長期的な青写真など描けるわけがなく、恥も外聞もなくテレビのバラエティー番組に出て、顔と名前を売るほかないでしょう。しかし、三角大福中、もう少し下がって、安竹宮ぐらいまでの政治家には、この国の将来を展望して、国家・国民の幸を求めて政治を行うという、大きな志があったような気がします。月刊誌「日本の明日を壊す政治家たち」という特集が行われ、長期的ビジョンを描ける政治家がいなくなったと指摘されることは、現在の政治家にとって大きな屈辱ではないかと思います。こういう不透明感が漂う時代だからこそ、政治家は真摯の将来を展望し、夢の膨らむ青写真を示して、国民の心に光を与えてほしいと思うのであります。特に、近い将来、宰相の座を狙おうという政治家は、自身の全人格をかけた大きなビジョンを早めに掲げると同時に、その時々の世の動きに合わせて、所信・所感を常に世に問うことが大切だと思います。誠心誠意、そうした努力を重ねていけば、次第に世の中の風はその政治家に向かって吹くようになるのです。その間、総理・総裁の座に挑戦し、たとえ一敗地にまみれることがあろうとも、身口意をフル回転させて努力を続ければ、やがて、「天の時・地の利・人の和」に恵まれて、悲願を達成できるはずです。そういう意味で、注目しているのは、最近の麻生太郎さんの動きであります。

 実は、「Voice」四月号には、麻生さんの「地方経済繁栄論」という記事が掲載されています。道州制を導入し、思い切った地方分権を実現すれば、地 方経済は活性化できるという主張が、麻生さんの地元の福岡県飯塚市や宮若市を例に取りながら、わかりやすく展開されています。各地域のアタマに立つ人の心意気によって、この国は再生できるとする麻生さんの主張は、多くの地方の人々を勇気づけると思います。

 麻生さんはすでに、月刊「中央公論」の三月号で、基礎年金の財源を全額税方式にするという、年金制度の抜本的改革案を打ち上げています。月刊「諸君」の二月号では、評論家の宮崎哲弥さんと「『保守再生』はオレにまかせろ!」というテーマで対談しています。その中で、麻生さんは、安倍前総理が掲げた「戦後レジームからの脱却」について、次のように語っています。「『戦後レジーム』は、保守陣営からも革新勢力からも、『対米追従』『弱腰外交』といって批判された。しかし、焼け跡に残された国民は、何はともあれ食っていかなくちゃならない。だから憲法と日米安保の矛盾も呑み込んで、約半世紀、頑張ってきた。そして『経済大国』と呼ばれるようになると、そろそろこの矛盾をどうにかしたいと思うようになってきた。それが中曽根政権が標榜した『戦後政治の総決算』であり、安倍さんの言った『戦後レジームからの脱却』なんだな」。そして、麻生さんは、堂々と日本の意見を伝えられる日米関係にしたいと言い、宮崎さんが、占領下で日本のあるべき姿を見通していた祖父・吉田茂について「そのしたたかさ、胆力と信念には驚嘆すべきものがあるが、今の日本の政治家には、これだけの覚悟と胆力をもつ人材は見当たりませんね」と言うと、「いや、そんなことはないよ。ちょっと名前は言いにくいけど、いないわけじゃない」と言って、宮崎さんに「ハッ、失礼しました」と言わせています。

 最近、小泉元総理が、「次の総選挙は任期満了の来年夏でもいいじゃないか」と言われたようで、解散・総選挙はさらに遠のくとの見方が強まっていますが、いずれにしても、麻生太郎さんが「ポスト福田」をうかがう最有力候補の一人であることは間違いのないところです。その麻生さんが、要職から降りられ、肩の荷を下ろされた気安さからか、相次いで雑誌に登場され、この国の将来展望や、所信・所感を積極的に公表されていることは、高く評価できることであります。月刊「文藝春秋」四月号では「ゴルゴ13」のさいとう・たかおさんと対談し、漫画やアニメに強いという、軟派な一面も披露されています。

 今後、麻生さんがどのように総理・総裁レースに臨まれるのか、私も多いに注目していきたいと思っています。 

合掌

つづく
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