尖閣諸島魚釣島灯台国有化から満2年を迎えて
沖縄県八重山諸島表敬訪問報告

平成19年04月14日
報告者/総本部情宣局長兼所沢支部長 亀田晋司


石垣空港にて(後方は与那国に向かうJTA機)

  私どもが昭和53年に尖閣諸島魚釣島に建設して以来、現在まで27年間にわたって守り続けてきた魚釣島漁場灯台は、政府から正式に海図に記載し今後は国が維持管理を受け継ぎたいとの申し出があったことから、政府関係者と協議を経て平成17年2月9日付けをもって無償移譲したことによって正式に国有灯台となり、現在は国家機関が維持管理を継続しています。(尖閣諸島歴史概要はこちら 国家移譲までの経緯はこちら

  私たちは本年、灯台国家移譲から満二年を迎えたことを機に灯台建設から27年にわたって取り組んだ尖閣諸島実効支配の戦いを心身ともに支えてくださった沖縄県八重山の方々に直接、感謝の意を申し上げるために1月28日から2月1日までの5日間、石垣島・西表島・与那国島をはじめとする八重山諸島を表敬訪問しました。

 八重山では『日本青年社の活動があったから尖閣諸島を守ることができた。もし日本青年社が守ってくれなかったら、尖閣諸島は日本海の「竹島」と同じような運命になっていただろう』と言う声を行く先々で耳にしました。

  つきましては以下に八重山諸島表敬訪問5日間の活動を記して報告します。

 


沖縄県八重山諸島
表敬訪問参加者

総隊長兼埼玉県本部長
加藤 順一
本 部 長
塚田 真道
情宣局長兼所沢支部長
亀田 晋司
風紀慶弔局長
澤井 和美
行動隊長兼山憂連合代表
大久 保叡
警備隊長兼三多摩本部長
葛西 俊夫
事務局次長兼真政塾塾長
木村 正
諏訪大地主神社宮司
蟹江 由多加
平成19年1月28日(日)

5:30 羽田空港に集合
6:15 羽田空港発
〜 那覇空港経由〜
10:50 石垣空港着

 私たちが搭乗した飛行機の窓からなつかしい風景が見えてきました。それは2年前まで毎年訪れていた石垣島です。石垣島は2年前まで尖閣諸島に上陸するために訪れた島でしたが今回は違います。今回は昭和五三年から平成十七年までの二十七年間、わが日本の領土を守るために戦いぬいた私たちの活動を、いつも支え続けてくださった八重山の方々に「有難うございました」と感謝を捧げる表敬訪問のための石垣入りです。

 空港を出ると、すでに待機していた日本青年社全国社友会石垣代表・玉城栄一氏が経営する先島交通のハイヤーに乗車、石垣島での宿泊ホテルも玉城氏の経営です。空港を出発して最初に案内されたのは牧場のレストランで昼食を採りながら表敬訪問の行程を打ち合わせしてから島内視察です。先島交通の管理責任者である下里浩久氏は、私たちが今日から訪問する石垣島、西表島、与那国島への行程を手際よく調整してくれました。今日から五日間、この下里氏が私たちを八重山の島々にある関係者のお宅に案内してくれます。

 島内視察は同行した蟹江氏の案内でしたが、蟹江氏は、さすがに尖閣諸島上陸経験者らしく石垣島を良く知っており、尖閣諸島が古来より日本領土であることを証明する「中国漁民救助に関する感謝状」が石碑に刻まれた唐人墓や尖閣諸島でカツオ工場を営んでいた古賀辰四郎氏の記念碑などを視察することができました。視察の途中で立ち寄った川平湾は、話に聞いていたとおり素晴らしいところでした。この川平湾は黒真珠の養殖で有名とのことでした。

 視察後に私たちの活動を長年にわたって理解と支持をしてくださった石垣市議会副議長・松川秀盛先生や下里氏と食事をしながらの更なる親交を深めましたが、二十七年間の尖閣諸島実効支配活動の思い出や八重山の近況から、お互いの家族の話まで話題は深夜まで尽きることはなく楽しいひとときを過ごすことができました。



由布島の視察を終えて
1月29日(月)

7:00 起床
8:30 石垣港を出発

 八重山の夜明けは東京より遅いのですが、いつもの癖で早く目が覚めてしまいました。今日は西表島を訪問します。西表島は石垣島から見ると近く感じられましたが、到着するまで三〇分を要しました。下船してすぐに西表島の関係者に挨拶を終えてから。下里氏の案内で由布島と小浜島を視察しました。正に「自然と共生 環境と調和」といった感じです。小浜島で昼食を採りながら明日訪問する与那国の打ち合わせをしてから石垣島に戻りました。


1月30日(火)

10:30 石垣空港発
11:00 与那国空港着

 今日は日本の最西端の地、与那国島訪問です。与那国島は石垣島から一三〇キロ、与那国島から台湾まで一一〇キロの距離ですから。年に何回かは台湾が見えるそうです。与那国島には日本青年社与那国支局長・新嵩喜八郎氏と、私たちが尖閣諸島に向かうときに乗船した漁船「瑞宝丸」の船長・金城氏が在住しています。


日本の最西端の地、与那国
 新嵩氏は、昭和五三年、尖閣諸島にはじめて上陸した当時からのお付き合いです。私たちの先輩が一番最初に乗船したのは新嵩氏の叔父さんの船でした。その後も尖閣諸島上陸隊員と行動をともにしてくれた同志でもあります。また世界的に有名な与那国海底遺跡は、新嵩氏が第一発見者であり、地元では観光協会をはじめ数々の役職についているので多忙を極めているとのことでしたが、私たちはまず新嵩氏とお会いしてお礼を述べてから、与那国海底遺跡と島内視察視察に向かいました。(新嵩氏と与那国海底遺跡についてはこちら

 与那国は海底遺跡があるように陸地にも巨石文化を思わせるような、大きな自然石を見ることができました。その後に海上保安庁と八重山警察の関係者と東シナ海情勢や尖閣諸島の現状について会談したり、海上保安庁の巡視艇を見学させていただいたりと、今までにない経験をしました。夕食は私たちが宿泊する新嵩氏のホテルでしたが、ホテルに地元の方たちが駆けつけてくださり、沖縄の和楽器、三線を弾いてくれたり沖縄民謡を踊ってくれたり、と南国の文化を沢山見聞することができました。



尖閣諸島上陸隊が乗船した「端宝丸」(与那国島)
1月31日(水)

11:15 与那国空港出発
12:25 石垣空港着

 与那国空港に向かう前に、漁船「瑞宝丸」の船長、金城氏を訪問しました。金城氏は私たちが尖閣諸島に向かうとき乗船した船の船長です、いつ会ってもまじめ一方な寡黙な人ですが、この日は私たちの訪問を心から喜んでくれました。しばらく話をしてから、いつも乗船していた金城氏の漁船「瑞宝丸」を見学してから石垣島に向けて出発しました。

 石垣島では、体調を崩されて入院してる病院に玉城氏を訪問しましたが、玉城氏はわざわざ玄関まで出てきて迎えてくださいました。玉城氏との歓談を終えてから、尖閣諸島魚釣島に向かうときに乗船した漁船「みつ丸」の船長、川満安次氏を訪問し、直ぐ近くにある「みつ丸」係留港、新栄港に向かいました。


尖閣諸島上陸隊が乗船した漁船「みつ丸」(石垣島)の前で

 久しぶりに「みつ丸」を見た私は、万感胸に込み上げるものを覚えざるを得ませんでした。続いて魚釣島漁場灯台の名義人であった謝敷米三宅に訪問して長年にわたる協力に深くお礼を述べました。また川満氏は、平成八年に建設した尖閣諸島北小島漁場灯台の名義人です。

 今日は八重山諸島表敬訪問最後の夜です。夕食には松川先生、下里氏をはじめ多くの方々が訪ねてくださる中で、沖縄の味覚を味わいながら八重山の歴史や文化を聞かせて頂きました。


2月1日(木)


18:10 石垣空港出発
22:20 羽田空港着

 私たちの八重山諸島表敬訪問のいよいよ最終日です。今日は最後なので後学のために、竹富島に行ってみようと言うことになって竹富島に渡りました。

 竹富島はかつての琉球文化を自然な形で保存している島です。ここで琉球文化はラオスの影響も受けていることがわかりました。竹富島から石垣島に戻り、松川先生とともに昼食をすませてから、まだお会いしてない方々に挨拶をすませて石垣空港に到着。午後六時三〇分、私たちが搭乗した飛行機は一路東京に向 けて飛び立ちました。

 玉城様、新嵩様、松川先生、下里様、鹿川様、垣花様、八重山の皆様、本当に有難う御座いました。