切浜事件・・・1974(昭和49)年9月19日
兵庫県の切浜海岸で工作員の案内員である威国上が逮捕され、翌日には脱出しようとしていた工作員の李庸煥も逮捕された。
鶴見寺事件・・・1975(昭和50)年4月5日
金鶴萬(八幡伊八)は1974年2月に鳥取県の海岸から潜入し、横浜で対韓工作の活動中に逮捕された。
濁川事件・・・1975(昭和50)年7月13日
李敏哲(山本光伸)は1970年10月に京都府の経ケ岬から潜入し、東京、千葉で対韓工作に従事し、帰国命令によって青森県十二湖海岸の濁川の河口で工作船を待っているところを逮捕された。
布施事件・・・1976(昭和51)年6月16日
逍昌朝(川島啓介)は1972年9月に島根県三保の関から潜入し、一度北朝鮮に脱出したのち再潜入し、任務を完了し脱出しようとしていたところを逮捕された。
豊島事件・・・1977(昭和52)年4月6日
申栄萬(藤森正夫)中尉は1972年4月26日に元山を出発して丹後半島(京都府与謝群伊根町浦人港付近)から潜入し、栃木県足利市を拠点に活動していた。74年5月に野と半島の羽根海岸から脱出し、北朝鮮で6ヶ月の教育・訓練を受けて羽根海岸から再潜入したが、耐乏生活のため任務を放棄し自首した。
水橋事件・・・1980(昭和55)年2月20日
李龍雨(徳山龍雨)は1979年4月24日に富山県水橋海岸から脱出し、工作員教育を受けた後、80年2月20日に福井県敦賀湾から潜入し、対韓工作中に逮捕された。
磯の松嶋事件・・・1980(昭和55)年6月12日
在日韓国人の李基吾(岩本清)は工作員訓練を受けるため、案内員の黄博(須藤博)と脱出しようと兵庫県の香住海岸で工作船を待っていたところを逮捕された。
日向事件・・・1981(昭和56)年3月30日
富山県高岡市の越中国分駅で職務質問された男(姜正彦)が、宿泊中のホテルの7階から「金日成主席万歳」と叫んで飛び降り自殺した。3ヶ月後の6月24日、宮崎県日向市の海岸をうろついていて逮捕された黄成国(斉藤幸雄)は、1979年7月17日に南浦から日向市の小倉ケ浜に潜入し、大阪を拠点に工作任務を遂行し、帰還命令によって工作船を待っていることろであった。浸透ルートに太平洋側が使われたのは初めてであり、姜正彦と黄成国の外国人登録証はナンバーが2番違いの偽造されたものだった。
六郷事件・・・1981(昭和56)7年23月日
東京・北区の路上で泥酔して保護された高徳煥(千葉仙台)は、偽造された外国人登録証を所持し、日向事件のものと酷似していた。高徳煥は1980年11月に元山から山口県長門市の海岸に潜入したと自供した。 |