第 一 部

 


第七章 日本の植民地の実態《朝鮮(五)》

徴用について

 北朝鮮は日本との国交正常化交渉において「日本は朝鮮人青年七五〇万人を強制連行=拉致した。慰安婦問題とともに賠償せよ」と主張している。このような理不尽な要求に対し日本のニュースキャスターなどが、もっともらしく「北朝鮮の主張も理解できる」などと発言し無知を晒している。「徴用」を「強制連行」と言い換えて非難しているが、その実態を徴用された朝鮮人崔基鎬氏の証言によってみてみよう。

 一九三九年度から施行された「国民徴用令」によって、日本国民は徴用された。朝鮮人も日本国民であるから徴用される事は当然であった。

 崔氏は、北海道札幌の三菱手稲鉱業所の鉱夫募集に応募した。約一〇〇〇名の募集に対し応募者は七倍であった。その為札幌の責任者が朝鮮に行き採用考査を行い、一〇〇〇名が厳選され、二組に分かれて日本へ向かった。人々は採用された事を歓び、船内は大騒ぎだったという。手稲鉱業所での就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショツピングはもとより、銭函湾での船遊びまで楽しんだ。多くの青年は遊郭に憩いを求め一部は淋病や梅毒に感染し、監督機関は対策に苦慮した。日本政府の徴用令で日本に渡航した朝鮮人は、大蔵省管理局によれば七二万人、朝鮮側の資料によっても一五二万人となっており北朝鮮の七五〇万人は論外である。


 次に労働条件だが徴用期間は一年が基準とされ、当初は一日八時間労働の交替制だったが戦争拡大にしたがって労働条件は延長された。待遇は、一般の事務職の約三倍程度高額の給与が与えられ、月平均給与額は一二〇円程度。作業は削岩機・ドリル・トロッコが使われた。重複勤務希望者が多く、割増金を合計すると、月一八〇円から二二〇円の支給額となり、地元の労働者の四・五倍の厚遇であった。一般の独身者には寮などが無料で提供され、世帯持ちには独立した平屋の一戸建てが提供された。高級労働者である為、未婚女性たちの結婚相手として人気があった。応徴中でも、故郷の冠婚葬祭には休暇が与えられ、自由に往来できた。

 終戦後五〇数年が経過した時点から、徴用、挺身隊、徴兵など、否定的な面ばかりが強調されているが、真相は以上のようなものであった。

 強制連行という表現は、あまりにも当時の実情を反映していない。この表現は日本から賠償金を取ろうとする、非常に政治的表現であることを理解しなければならない。一応、ここで朝鮮に於ける日本の植民地支配の実態の項は終わるが、韓国や北朝鮮で教育されている内容は、ウソとデタラメで固められたものであり、日本は李朝によって倒産国家にされた朝鮮を、合邦という形で救った事実は、世界に胸を張って誇ってよいことであり、賠償金を請求される根拠はどこにもないのだ。

 

つづく

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