第 一 部

第五章 日清戦争から日露戦争へ(1)



 日本が安全保障の問題を考えると、常に対象になるのが朝鮮である。朝鮮半島の安定が日本の安全保障になるという事は現在も変わらぬ日本の地理的宿命とも言えるものだ。

 前回明らかにしたように、日清戦争は西欧列強の帝国主義的野望から自らを守ろうとした日本の立場、つまり北東アジアの地域同盟により植民地化を防止するという防衛路線を、清が拒否する事により起こった戦争である。日本は清に対して朝鮮の独立を認めさせ、遼東半島、台湾のゆずりわたし・賠償金の支払を求めた。遼東半島はロシア、フランス、ドイツによる「三国干渉」により返還させられ、弱小国の悲哀をあじわい、「臥薪嘗胆」があい言葉になった。

 中国の状況は日清戦争の敗北により、更に植民地化が進みズタズタにされてしまった。イギリスは九竜半島を奪い、フランスは清国からベトナムの宗主権を奪ってベトナムをラオスやカンボジアと共に植民地にした。北京、天津、広東などの大都市に治外法権を設け、裁判権は白人が握り、関税もなくしてしまった。鉄道の敷設権を奪い、キリスト教の布教は自由にし、二十世紀を迎えた中国独立国とは言えない態をなしていた。


義和団事件に出兵した連合軍の兵士達
左からイギリス・アメリカ・ロシア・インド・ドイツ・フランス・オーストラリア・イタリア・日本

 この植民地化に反発して起ったのが義和団事件であった。義和団は侵略の手先であるキリスト教会を破壊して清国の再興を実現しようと言う運動であった。三東省で火の手を上げ北京に波及し、八カ国の大公使館を囲み攻撃を開始した。この時日本は半数以上の一万八千の兵を送り込み救出を成功させた。この時の日本兵の勇敢さと規律の正しさは西欧列強の評価を得、講和条約の際に日本の駐兵権が認められたのである。中国に対する侵略はロシアが最大の侵略国となりつつあった。英、独、仏と争いながらも三国干渉では共調し、日本から遼東半島を戻させる見返りとして、ドイツは膠州湾を、フランスは広州湾を掠取し、ロシアは日本から返させた遼東半島をそのまま横取りしてしった。さらに東清鉄道の敷設権を奪い、第二次アヘン戦争のどさくさに乗じて沿海州を奪い、日本海にウラジオストックを開港した。更にチチハルから南北して大連と結ぶ南満州鉄道の敷設で得てしまった。この時団事件が起こったので大量の兵を送り込んだのである。

 各国は事件の終了と同時に兵を引き上げたのだが、ロシアだけは兵を増強し、恒久的陣地を構築し、あげくのはてに朝鮮にまで兵を入れてきたのだ。ロシアの強引な満州と朝鮮支配に対し西欧列強も危機を感じ抗議をしたがロシアは一切無視して支配を強めるばかりであった。一番危機を感じたのが日本とイギリスであった。日本は全全力を出して清国と争い、やっと手にした遼東半島をならず者のような手口でロシアに奪われ、朝鮮半島に軍を送り込まれて反日派が朝鮮を支配する状況では、安全保障上からも国家として危機を感ぜざるを得なかった。

 


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