風 たより
〜 第 2 回 〜

平成20年1月24日


暗雲ただよう時は今、風はいつしか雲を呼ぶ。雲は雨を呼び雨は嵐を呼ぶ。

嵐は激しく龍を呼び龍は天にかけ昇り静かに語り激しく諭す。龍は花びらの化身となって………


 新たなる年を迎え希望に夢はせる平成二十年、今年も宜しくお願い申し上げます。

 昨年の夏は、異常とも言える烈しい暑さが続きました。その暑さもやがて峠を越え、秋から冬へと季節は移り変わり、北の大地は白一色になりました。私はこの冬の寒さを肌で感じながら、いつも心の切なさを感じています。

 日本の四季は、私たち日本人にとって素晴らしい環境でありますが、地球の温暖化が進み、世界各地で異常気象による災害が続き、大きな被害が年々拡大している今日、わが国にとって、いつ迄も、この自然なる四季が守られ続くとは思えません。“日本青年社”がこれまで警鐘を与えてきた『自然と共生 環境と調和』が、如何に人類にとって大切なことか、今、世界の人々が気がつき始めていることでしょう。


●天皇論《天皇主権の本質は権力に非ず》


 戦後の日本人は、国民主権の観点から、天皇と御皇室に対して間違った先入観を持ってしまっているのではありませんか。国政上の権力を挟んで、天皇と国民は対立関係にあると、多かれ少なかれ国民はそう観ているのではないでしょうか。日本には、西洋の国王対人民との階級闘争などありませんでしたし、権力が天皇の本質でもありません。

 帝国憲法の第一条、「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。」は、天皇が国民統合の中心として、道徳力を持って君臨されてきた歴史の真実を成文化したもので、けして政治的なものでも権力的なものでもないのです。ましてや国民と対立するものでもなければ、民主主義に反するものでもありません。なのに何故、自民党は改憲草案で、象徴天皇を維持すると申すのでしょう。これこそ占領中の米国が定めた天皇観ではありませんか。

 まずは、この象徴天皇条項を改めて、“万世一系の天皇”をしっかり樹てる。憲法改正はここから始めなければ筋が通りません。これは象徴天皇が、良いか悪いかを論ずる以前の国家の尊厳、日本人の正気の問題です。

 そもそも国民主権と天皇主権の、その主権の内容は、けして同じものではありません。政治上の権力が国民にあることを国民主権といいますが、その権力が天皇であることをもって、天皇主権というのではないのです。もしも主権が権力だけを内容とするならば、その主権の坐所がたとへ国民にあろうが国家にあろうが、或いは天皇にあるといえども、それは政治組織の相違の問題であって、決して国体問題ではありません。ところが戦後、米軍の占領政策によって、現行憲法が公布されると、主権は天皇から国民の手にうつったのだから、国体は変わったのだと主張する者が出てきたのです。そしてその結果、天皇は君主から象徴に成り下がったのだとする風潮が起き、国民の思想的混乱が生み出された訳なのです。

 確かに戦前と戦後では、立憲君主制から民主主義へと主権の態様は、著しく変わりました。しかしこれは、政治形態の変化であって国体が変革された訳ではありません。主権の坐所は、その時々の時代の状勢によって様々に変遷するもので、それは族制自治から群県制。或いは王政から武人割拠の時代をへて徳川幕府へと、歴史上様々に移り変わってきているのです。何も立憲君主制から民主主義へと移ったことが初めてではないのです。しかもそれらの変遷はみな政治形態の改革であって、そのつど国体が変ってきた訳ではないのです。

 国体と政体は、簡単に言ってしまえば、天皇が天皇として君臨することが「国体」であって、あとは全て「政体」です。そう考えて良いと思います。決して天皇が権力者であるかどうかが、国体の決め手ではないのです。この点は重要なところですが、民族派の中にも天皇主権を権力と見て国体を語る者もいるようです。しかしそうした説に立てば、それこそ戦後の国民主権の世の中は、理論上国体は変革されたと見なさざるを得ない馬鹿な話になってしまうのです。

 しかし一体こうした主権を国体と見る論拠はどこにあるのでしょう。断言は出来ませんが、そのよって来る所の一端は、「天皇は国の元首にして統治権を総攬し、この憲法の条規に依り之を行う」という、帝国憲法第四条にあると考えられます。というのは戦前までは、憲法上の国体は、この第四条と第一条であると解釈されることが通例だったのです。そこで天皇の統治権総攬が国体ならば、その主権が国民に移れば、当然、国体は変わるのではないかとの理由も成り立つわけで、したがってこうした主権の坐所をもって国体となす説の論拠は、おそらくこの第四条にあるだろうと、推測することが出来る訳なのです。もっとも私は先ほど話したように、天皇君臨されることによって「国体」とし、外は全て「政体」と考えています。従ってこの第四条もまた、天皇の政治組織上の御立場を定めた「政体」と解釈してますので、これを国体と見ることには異論があります。しかし、この主権の坐所を国体となす説には、「万世一系の天皇君臨せられ統治権を総攬されることをもって我が国体とす」と言う、まるでこの説を是認するような、昭和四年に出された大審院の判例があるので、実に反論しずらい問題でもあるようです。ところがよくよく注意してみると、主権と統治権は同義語ですのに、しかし実際には、現行憲法上の主権の概念と、帝国憲法上の統治権の概念では、けして同じものではなく、むしろ甚だしい相異があるのです。戦後世代の我々は憲法上の主権を、国家権力と見なしてますが、ところが帝国憲法上の統治権には、これを権力と見なす法学上の概念など全くないのです。

 東大の憲法学の教授で、右翼の理論的指導者であり、天皇主権説を唱える上杉慎吉博士の次の記述を読んでください。

 「統治権は法律を制定する権利、裁判を為すの権利、租税を徴収するの権利の集合にあらず。」「天皇の帝国を統治したまうは、建国の精神思想を実現せんとしたまうなり。権力を行使して命令・強制すると云うが如きは、統治の全部に非ざるは云うに侯たず、又、その根本にも非ざるなり。」これは、新稿憲法述義の中の統治権について叙述されている箇所を抜粋したものです。これだけでは統治権の何たるかを理解することは出来ないでしょう。しかし少なくとも、この記述からすると統治権の本質は、けして我々が考えているような権力などでないことは理解できると思うのです。

 右翼の思想家である荒原朴水先生は生前、口を開けば天皇主権説を唾を飛ばし拳を握り締めて、よく主張されておりました。元来、先生は過激なたちで、その説くところは徹底した純正日本主義に立脚してましたから、或いは人によっては先生の説かれる天皇主権を、天皇絶対の政治体制を理解された方もいるかもしれません。確かに先生は建武の中興のような天皇絶対の政治体制を理想とされていましたから、国体と政体の区別をつけずにいると、そのように受け取られてしまっても仕方がなかったかも知れません。しかし先生も、国体上の統治権については、それは権力をはるかに超えたものと述べられているのです。このように上杉博士も荒原先生も統治権の本質をけして権力とは述べられてはいないのです。では、権力でない統治権とは何なのかと言う話になりますが、その前に統治権と主権との関係について話したいと思います。

 荒原先生は度々、内にあっては統治権、外に向かって主権というのだと申されてましたが、上杉先生も先の新稿憲法述義の中で、「国際関係に在りては通常之を統治権と云わずして、主権と称す」と述べられて、この二つの用語は同じ意味の同義語でありながらも、国内的には「統治権」、国際的には「主権」と称して、それぞれを使い分けていることを指摘されておりました。

 しかしその一方で、主権の内容が中世ヨーロッパにおける、国王と人民の対立から生起した人民主権説に基づくものであるならば、それは「君主の主権と云うに対して人民の主権と称す。」と述べられて、此れ等の場合に於いては、主権というは必ずしも統治権と同一意義に非ず。」とも述べられているのです。少し分かりにくいかも知れませんが、要は、西洋の「主権」=「統治権」と日本の「主権」=「統治権」は、それぞれ同義語ですが、その内容は、日本と西洋では違うのだと言うことを述べられているわけなのです。

 確かに、君民対立から生起した西洋の主権の概念と、君民一体の史実に基づく日本の主権との内容は違います。天皇は西洋の国王のように権力者として国民を支配してきたことがありませんから、言われてみれば、その点はよく解ると思うのです。ところが戦後の我々は、西洋の君民闘争から生み出された国民主権の理念が流入すると、たちどころにその国民主権に結び付けて、天皇主権を考えてします。そうした癖というか混同が起きていると思いませんか。

 天皇の『統治権』には、「権威と道徳力からなる精神的な統合作用と、政治的な権力作用」の両面があります。天皇の『統治権の本質』は、この「精神的な統合作用」のことを申すのです。このように天皇の統治力とは国民との精神的な結び付きを本源とするものであって、けして権力などが天皇統治の本質ではないのです。

 「“権威の内容は、信頼と尊敬”」です。我々日本人は、万世一系の最高の権威と仰いで信頼し、その御血統によって皇位につかれた天皇を御尊敬申し上げてきた訳です。一方、天皇は民族の中心として、最高の道徳を理想とする建国の精神を発現されて、日本人の精神的統一を果たされて来た訳で、これが即ち 「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。」の内容なのです。

 天皇は御皇室に在って象徴と仰がれているだけの消極的な御存在ではありません。常に全国を回られて、国民との心の結び付きを深められ、精神的統一を果たされているのです。戦後、全国を御巡幸なされた昭和天皇も、地震の被災者一人ひとりに声をかけて励まされる今上陛下も、積極的に国民の前にお立ちになることで、国家統治の『実』をあげられてきている訳なのです。

 このように天皇の統治力とは国民との精神的な結び付きを本源とするものであって、けして権力などが天皇統治の本質ではないのです。

 輝く平成二十年を迎えましたことを機に、皆様とともに深く学んで行きたいと思います。 (美濃の臥龍)

 

(3)へ続く