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 続いて、新潟県中越沖地震で大きな被害を受けた、連盟相談役・三井田考欧新潟県柏崎市議会議員の挨拶がありました。


三井田考欧
新潟県柏崎市議会議員


「去る7月16日、震度6強を越える地震が起こりまして11名の尊い命がなくなりました。その中、逸早く現地に駆けつけて頂いたのは、日本青年社時局対策局、水野局長はじめ新潟県本部、それから本部長以下、青年社の同志の皆さんです。

 自衛隊よりも早く、約1500食の食料を持って現場に駆けつけて頂きました。現場には地元町内会をはじめ、多くの方が列を成し、町内会長からは涙ながらの感謝の言葉があったということをご報告したいと思います。

 そして暑さもピークになったころ、我々被災者は動くこともままならない、こう言った状況の中を、駆けつけて頂いたのは長野県信濃社友会の宮本憲寿代表をはじめとする皆様です。またここにお集まりの同志の皆様も多く駆けつけて頂きました。ここで改めてお世話になりました柏崎市民を代表しまして御礼を申し上げます。

 また私は毎年8月15日に靖国神社の参拝をしております。今年は被災者のこともありましたことが、「今年はいけないから変りに行ってきてくれよ」と言うおじいちゃんおばあちゃんのお気持ちを受けて、靖国神社の参拝に行った訳で御座いますが、何と憲法9条を守れだの、中国に謝れだの、そう言ったとってもお馬鹿な極左団体が、機動隊に守られながら靖国神社周辺を周っておりました。

 普段国家転覆を言っている極左の団体が、機動隊に守られて靖国神社を撤廃せよと活動している。そこに敢然と立ち向かったのが日本青年社です。

 この震災でのことなどを含めて、私は日本の領土を守り、そして国民の生命を守ることにも、ご努力されているのが日本青年社であると思いました。

 私はこれからの生涯、日本青年社がこういう活動をしているということを、ことあるごとにアピールしていきたい」
と挨拶された。

※ 三井田議員と新潟県本部及び信濃社友会の支援活動↓
 ●7.16新潟県中越沖地震被災者支援活動と現地報告
 ●日本青年社・信濃社友会/新潟県中越沖地震発生からボランティア活動支援まで


 以上、代表3人の方の挨拶に続いて、日本青年社教育指導顧問・教育学者・小池松次先生と議員同志連盟設立時からご指導を頂きます帝京大学常任顧問・白井常信先生が紹介されました。


白井常信先生

小池松次先生



元内閣府副大臣・帝京平成大学教授/米田建三先生のご挨拶

 また特別来賓として議員同志連盟指南役であり顧問的立場におられます元内閣府副大臣・帝京平成大学教授・米田建三先生が挨拶に立たれ、「先ほど尖閣諸島を守るため皆さんの長い長い戦いの記録を拝見しながら、その輝かしい活動に私も目頭が熱くなる思いで御座いました。そして私自身も登場させて頂いておりましたけれども、私が顧問を務める超党派の議員連盟に青年社の皆さんをお招きして、その苦しい苦しい体験談を振り返ってお話し頂いた。そのことを思い出させていただいた訳であります。私は青年社の皆さんを先頭に、先の参議院選挙、正に安倍総理の「戦後体制からの脱却」と言う理念に呼応して戦わさせて頂きました。多くの自由民主党の公認を頂いた候補者が、形成悪しと見て次から次へと主張を変え、戦後体制からの脱却どころか、最後は党や安倍批判まで繰り返すと言う醜態の中で、皆さんの思いをわが思いとしながら最後まで、「戦後体制からの脱却」を堂々と訴え続けました。私は志を果たすことはできませんでしたけれども、そのことを誇りとしながら、様々な形でお支え頂いた皆様方の思いをわが思いとしながら最後まで堂々と戦うことができたことを、この場をお借りしまして心から感謝を申し上げたいと思います。有り難う御座いました。


米田建三先生


 いま正に私たちの国は、惨憺たる状況にあります。期待されて登場した安倍さんは、総理の憲法解釈の変更と言う簡単な、言わば手続ですむところの集団的自衛権の容認すら果たせずに退場しようとしています。そして方や政権を奪わんとする民主党はどうでしょうか。あの普通の国を目指すと言った小沢一郎さん、同じ人物かと疑わしくなるほど主張が大きく変り、旧社会党のような、いわゆる観念的な平和を望む大衆迎合の主張の延長戦の中で、テロ特措法問題についても反対である。インド洋上からの撤退ということを主張している訳で御座います。ただのガソリンスタンドの役はもうやだよ、と、ここまでのこのセリフはすっきりしている訳でありますが、もう一枚カードが足りないんじゃないでしょうか。日米同盟の実を示すために日本の報酬だけを求めてきた戦後の日米関係のあり方を超えて、北の核放棄と、拉致被害者の解放に期限を切って第七艦隊を北朝鮮沖合いに展開してみせろ。それをやってくれるなら、ただのガソリンスタンドの役割りを続けていいぞと、それくらいの交渉をすべきではないでしょうか。

 あるいはまた日本の外交の自主権を奪っているところの免疫力、敵の侵害を予期する打撃力のスピードをアメリカに委ねて、そして我が国自身は敵の侵害に対する敵の国土や基地を攻撃する能力を持たないと言う馬鹿馬鹿しい、この専守防衛の構造と言うものを乗り越えて、自主武装の度合いを強めるぞ、というような主張を小沢さんは本来すべきでありますけれども、ただ単に危ない地域だからダメだと言う戦後の伝統的なエセ平和主義の中で、大衆迎合の主張を行っている訳で御座います。自民党も頼りにならない。民主党も頼りになりません。安倍さんはすっかり裸の王様で、もう辞任表明前からみんなが言い出してました。しかし世話になった連中も知らん顔、それが情けない自民党の姿であります。誰も守ろうとしない。そして民主党は今申し上げたような程度であります。しからば、私は、期待された安倍政権が瓦解し、時計の針が逆の方向に回ろうとしてる時に、青年社の皆さんのような民間の活動の重要性がいよいよ増してきたと言う様に思います。尖閣諸島を死守してきたように、そしてタイ王国に先人英霊に感謝、供養すべく平和祈念公園を建立するような具体的な活動と、そして常に青年社の皆さんは理論武装と政策の研鑽に務めてこられました。どうか祖国日本が混迷の時代に突入しようとしている今こそ、青年社が新しい、救国の先駆けの運動体として力強く前進されるようにご期待とお祈りを申し上げる次第です。私も微力ではありますが全力を尽してお手伝いを申し上げて参りたい」
と挨拶された。


来賓のご挨拶


 日本の象徴的指導者であり、炎の行者として国内外に知られる高野山真言宗烏帽子山最福寺法主・池口惠觀先生と高野山真言宗松吟山大光寺大和尚・須藤哲乗先生が登壇され、司会者から略歴紹介がなされた後、池口惠觀先生が挨拶された。

日本の象徴的指導者
高野山真言宗・烏帽子山最福寺法主池口惠觀先生が、日本青年社『全国議員同志連盟・社友総会』に於いて挨拶される。
池口惠觀先生・プロフィール

 日本の象徴的指導者である鹿児島県鹿児島市の烏帽子山最福寺法主、池口惠觀先生は、真言密教修験の第十八代目の相承者・護摩の国修験五百年の伝燈法師であり、相承秘伝の護摩を日々厳修、一切衆生の祈願に応えられている。また最高秘法である「焼八千枚護摩供」を九十四回以上も修行され、その絶大な法力は、広く内外に知られている。
 昭和63年12月には、真言密教最高厳儀「学修潅項」に入檀受法され伝燈大阿闇梨位のご昇供され、翌、平成元年には、百日間にわたり、密教史上誰もがなしえなかった秘法「百万枚護摩行」を御修行されるなど、不世出の大行者として、我が国はもとより世界の仏教会の第一人者として、幅広く活躍する。
 また医学博士として、国内はもとより海外の大学の教授や理事を務められ、政界、財界、スポーツ界、芸能界などに幅広く人脈を築かれている。
 神奈川県藤沢市の江ノ島大師も鹿児島の最福時と同じく、全国から多くの信者や観光客が訪れている。
 烏帽子山最福時の総代は、自由民主党の鳩山邦男法務大臣。


ローマ法王ヨハネ・パウロ二世に特別謁見


ロシア正教アレクセイ二世猊下に謁見


高野山真言宗 松吟山大光寺住職
伝燈大阿闇梨大和尚
須藤哲乗権中僧正 略歴


 昭和三十六年、十二歳の時に出家得度、その後十三歳で単身奈良に赴き、南都七大寺の一つである元興寺・辻村泰園大僧正の室に入り、勉学、修行する。その間、総本山西大寺において菩薩流加行成満、四分律得戒。私生活においては、華道、茶道を取得し、八年間を奈良で過ごして高野山に登領する。
 高野山では、専修学院に入学。中院流加行成満、有部律得戒、伝法潅頂檀了。卒業後は、高野山塔頭別格本山浪切不動別当南院に止宿し、八千枚大護摩秘法を修し、歓学会初年目、二年目に出仕。三年間過ごし、御影堂御影修理沙汰を経て、総本山金剛本寺総務部に奉職すること四年、昭和天皇高野山行幸啓の折には、お部屋係。都合八年を高野山に在山する。昭和五十二年本山を辞し、相模成就院に普住し、民生委員、児童委員、青少年指導員、ボーイスカウト団委員長、その他を歴任。平成元年学修潅頂に入壇し伝燈阿大闇梨位に昇進。親交のあるスリランカ国ラーマニア宗管長シロガマ・ヴィマラ師の事業人協力。福祉施設の建立や運営を助け多大な貢献をしたとスリランカ国大統領より感謝状を拝受する。
 平成六年、横浜大光寺に転住し現在に至る。


【高野山真言宗・烏帽子山最福寺法主池口惠觀大僧正ご挨拶】


 本日は日本青年社の皆さまの「全国議員同志連盟・社友総会」が開催されますこと、“サポーターの一人として”、心よりお祝い申し上げます。また皆さま方が本日の会を機に、旧来の殻から抜け出し、新しい日本の創造に向けて、大きく飛躍を図ろうとされていることに、私は深甚なる敬意を払うものであります。

 私の家は鹿児島で室町時代から五百年以上続いております行者の家系で、現在は高野山真言宗の寺・最福寺を持ちながら、真言密教の行者として、日々、大きな火を焚く護摩行を行い、世界平和と衆生の救済を祈っております。

 そんな私から見ますと、昨今の日本はいよいよ亡国の淵に向かって歩んでいるように思われてなりません。小泉政権が「構造改革なくして景気回復なし」を合言葉に、国民に「米百表の精神」を説きながら、何とか経済再生のメドをつけてきたことは周知の事実であります。しかし私はかねてより、「構造改革を断行して、景気回復を成し遂げたとしても、真の日本再生は難しい」と、警鐘を鳴らし続けてまいりました。と申しますのも、戦後六十二年、日本が道徳的・精神的荒廃に至ったのは、高度経済成長を錦の御旗にして、カネとモノを追い求めるあまり、日本社会の底流に流れる清冽な地下水とも言うべき、伝統的精神や道徳を置き去りにしてきたからだ、と考えるからであります。つまり、日本古来の伝統的精神や道徳に対する目覚めがなければ、いかに景気が回復したとしても、真の日本再生は為し得ないのであります。 そのことを最も真摯に受け止めた政治家の一人が、今回、辞任表明に追い込まれた安倍総理であります。「美しい国・日本」というキャッチフレーズは、いささか情緒的でよくわからないという批判が、自民党内のもありました。しかし、安倍総理が総裁選前に出された『美しい国』という本をよく読めば、その真意が日本古来の伝統精神や道徳を再評価し、この国本来のお国柄を取り戻すことにあったことは明白であります。

 また「戦後レジームからの脱却」も、まさに皆さま方が目指しておられる敗戦後遺症からの脱却、すなわち東京裁判史観からの呪縛から解き放たれ、自らの手で自主憲法を制定して真の日本新生を成し遂げることに他ならなかったのであります。

 日本古来の伝統的な精神や道徳に根ざした本来のお国柄を取り戻すことによって、真の日本再生に道筋をつけようとされた安倍総理が、さまざまな原因はあったにせよ就任一年足らずで退陣に追い込まれたところに、私はこの国がいよいよ亡国の淵に沈んでいく「危機」を感じるのであります。

 安倍総理の辞意表明を受けて、この二、三日に自民党総裁選が行われますが、すでに元官房長官の福田康夫さんが、自民党国会議員の大半の支持を固めて、事実上の勝利を決めたかのような状況になっております。しかし私は自民党のこの現状にも深刻な「危機」を感じるのであります。

 福田さんは昨年の総裁選出馬を見送られて以来、永田町の表舞台に立たれることはなかった人であります。その間、「ポスト安倍」を目指して、闘志を燃やし、英気を養っておられたという話しも、私は寡聞にして知らないのであります。また、多くの国民も福田さんがどのような政治理念をお持ちになり、どのような政権構想を描いておられるのか、まったく知られていないのであります。

 その福田さんを、麻生派以外の派閥がこぞって担ぎ上げ、立候補届け出前に、総裁選の結果がほぼ決まってしまうという状況に、国民は白けた気分を味わっているに違いありません。中には、自民党は昔の派閥政治に戻ってしまったのかと、失望している人もいます。自民党の熱心な支持者ほど、その思いは強いのではないかと思います。

 このまま、「筋書きのある総裁選」が行われ、福田総理総裁が誕生したとしたら、自民党は次の総選挙で参院選に続いて惨敗し、再び政権の座から下野するハメになるのではないかと、私は大きな不安を感じざるを得ないのであります。

 自民党が激論を戦わせることなく、国民不在の総裁選を行うという現在の状況は、真にこの国を愛する皆さま方が、「自民党はそんなことで良いのか!」と、それこそ民族派の皆様が総動員して抗議行動を行うぐらいの、深刻な事態ではないかと思います。私はこの国を愛し、国民を愛しているがゆえに、祈るような気持ちで今回の総選挙を見守っているのであります。

 マスコミが何と言おうと外国がどう思おうと、日本は精神的な荒廃から立ち直るために、この国の底流に流れる清冽な地下水である伝統的な精神や道徳を取り戻し、真の日本再生に向けて、息の長い努力を続けていかなければならないのであります。そのことを置き去りにしたまま、派利派略で総理総裁が決められるようでは、日本の将来に大きな禍根を残すことになりかねないのであります。

 最後に、真言密教の祖師、弘法大師空海、お大師さまは、国家、国民の繁栄、皇室の安泰ということを、心の底から願い、祈られた方でありました。

 今から千二百年前に遣唐使船で唐に渡り、都・長安の青龍寺で恵果阿闇梨から密教のすべてを伝授され、日本に密教を持ち帰られたのでありますが、お大師さまは唐に渡る前、各地の深山幽谷で激しい修行を行い、室戸岬で明星が口に飛び込むという神秘体験をされています。つまり、日本古来の神々を背負って唐に渡り、当時最新の仏教であった密教を持ち帰られたのであります。


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