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 お大師さまも心の中には、密教を日本の神々と融合することによって、この国と国民の繁栄、皇室の安泰を資するというおおきな欲、大欲が沸々と沸き立っていたに違いありません。だからこそ、お大師さまは皇室のために、国家鎮護の行を何度も繰り返しお勤めになりました。また、お大師さまと親交を結ばれた嵯峨天皇も、お大師さまが真言密教の一大道場を開くために、高野山の地をお大師さまに下賜されたのであります。

 お大師さまの法灯を受け継ぐ一人として、私は、国民が皇室を尊重、敬愛し、日本古来の伝統的精神や道徳を遵守しながら、この国に誇りを持って、国際社会に貢献する、そういうお国柄を取り戻したいと、日々、祈っています。

 本日お集まりの皆さま方が、密教で言うところの身口意、すなわち身体と言葉と心をフル回転させて、この国本来のお国柄にそった新しい国づくりに力を尽していただきことを、心より祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。


東條由布子女史ご挨拶

 続いて、第四十代日本国総理大臣を努められた東條英機陸軍大将のご令孫である東條由布子先生が次のように挨拶された。

東條由布子先生
 
「先の参議院選では大変皆様方にお世話になりましたにも関わらず、私の力不足のために当選にはなりませんでしたが、皆様から頂戴致しました心を大切に、次の活動に向け続けてまいりたいと思います。私は現在NPO法人・環境保全機構と言うものを主宰しておりますが、主な活動は皆様方もなさっておられます異国の戦場での遺骨収集で御座います。それと愛知県は三ヶ根山と言うところにユートピア三ヶ根と言う慰霊の施設を持っております。三ヶ根山には日本青年社の皆さま方に毎年四月二十九日にお参り頂いて大変盛大な会を模様して下さっております。本当に心から感謝しております。

  この度の参議院選では、どこかの政党からの公認を願っていたのですけれど、やはり現在の、社会情勢では私を抱えるということは中々難しく無所属で出馬をさせて頂きました。私の大きな選挙公約としましては、国のあり方、そして教育の問題などがありますが、日本人の子供達を教育するにも関わらず、日本国の教科書には近隣諸国の検閲が必要であるということを恐らく皆様はご存じないと思います。どんな良い教科書を作ろうとしても近隣諸国条項と言うものがあるために、これは宮沢政権当時、河野官房長官当時に制定されてしまった近隣諸国条項、この近隣諸国の検閲がなければ日本人の子供達の教科書の検閲が通らないと言う非常におかしな条約を結んでいます。この近隣諸国条項の撤廃、そして私が今携わっております一一三万柱が残された異国の戦場に放置されたままの御遺骨の日本への返還、そして今非常にしわ寄せがきております老人、あるいは障害者の方々の問題、これを何とかするために厚生省から福祉省を分岐して独立させる、そのような大きな四つの柱を立てて戦って参りました。これは今回の選挙で必要なものではなく、将来にわたって、又現実の問題として大変大切な問題だと思います。私はこれからの活動を、国会議員になるというようなことではない方法も考えながら、これらのことを何とかして実現させて行きたいと思っております。

  残念ながら先ほど池口先生がおっしゃられたように安倍さんが途中でとうとう心身ともにくたびれ果てて安倍政権は崩壊いたしましたけれども、今日の毎日新聞の朝刊に私はコメントを求められまして、大きく載せてくださっていました。麻生さん、福田さん、どちらを応援しますか、と言うコメントが出ていました。私は福田さんになったならば北朝鮮問題、そして靖国問題、また中国への接近の問題、これらの問題が今までの方向とはかなり違って来るだろうということと、麻生さんは不利だと言われておりますが、この十対一の中でも麻生さんは頑張って自分が出なければどうなるなんて意気込みでお出になり、こう言う危機に陥っても尚且つ日本を変えようというあの思い、そして恐らく麻生さんは安倍さんの意志を継いで安倍路線を継承されるだろうということに対しては、私は麻生さんを応援させて戴きたいと、ですが多分福田さんになるでしょう。しかし福田さんは靖国神社の代替施設を作ろうと、そしてまた北朝鮮に対しては対話路線で行こうと、又中国には、非常に親中派でいらっしゃいますのでこれらのことを私どもはしっかりと見守っていかなければいけないと思います。

  又、今日見せて頂きましたあのビデオ、心から感動しながら、もう胸に熱いものが上がってくるのを抑えながら見せて頂きました。あれほど皆様方は命がけで日本の国土を守っておられる、それにも関わらずマスコミが、いわゆる右翼という十把一絡げで悪く伝えてしまうことの空しさをしみじみとあのビデオを見ながら感じました。皆様方は自信を持ってあれだけのことをしていらっしゃる。日本の国土を命がけで守っていらっしゃる。左翼は国土を守りませんね、右翼といわれる皆様方は本当に命がけで国土を守っていらっしゃる。左翼は国土を壊す。それにも関わらず右翼という言葉が悪く言われる、それでも皆様は自身と誇りを持っておやりになっている。私の「祖父東條英機一切語るなかれ」に書いてありますが、戦後の東條家は右翼と言われている方々に守られて今私どもがこうして生かして頂いています。そういう思いから私は日本青年社の皆様方がやられていることに心から感謝を申し上げてます。どうぞ皆様は自身を持って活動を続けて欲しいと思います」
と挨拶された。

同志紹介

 同志紹介では、大阪本部の吉田敏章本部長と隊員の田中義之氏が登壇、吉田本部長の「大阪本部の田中義之君であります。生まれながらにして難聴と言う障害を抱えておりますが後にスピーチしてもらいます。非常にお聞き苦しい点が多々あろうかと思います。が、どうかこの場に免じご容赦頂ければ幸いで御座います。また彼の民族運動に対する思いは非常に熱いものがあります。しかるに本日彼の発する言霊(ことだま)とでも申しましょうか。それの一つでも皆様に感じ取っていただければ幸いと思います」との紹介で、田中義之君が、挨拶に立った。

【難聴と言う障害を抱えての活動】

吉田敏章大阪本部長とスピーチする隊員の田中義之氏
「私は、昭和五十二年五月に、大阪で生まれました。現在三十才です。私は生まれた時から、聴覚障害児でしたので、小学校・中学校は聾学校にかよいました。中学を卒業してから、大阪府立生野高等聾学校に入学しましたが、学校では、いつも、腕に技術をつけたいと考えていました。それは、学校を出たとき、果たして私にできる仕事があるのだろうかと悩んでいたからです。そして思いきって高等聾学校を中退して、国立の職業訓練学校に入学しました。

 私は、難聴という障害を抱えていますが、生まれたときからの事ですから、日常生活には何も不自由を感じません。でも周りの人たちは、私を気にするようです。私は、みんなの話すことはわかるし、一緒に生活できるのに、周りの人が、耳が聞こえないんだ、という目で見ることが一番悔しかったです。

 私は現在、妻と子供三人の五人家族です。妻は私と同じように難聴障害を抱えていますが、結婚して子供ができると私の考え方は変りました。

 それは私が家庭を持ち、子の親となった時、私は、社会に心から感謝するようになったのです。そして、全国に沢山いる、私と同じような障害を抱えた人たちの気持ちを、どうしたら健康な人たちに受け入れられるのか、どうしたら一緒に同じ事ができるのか、と考えました。そのために、何か社会に役立つ仕事につきたいと考えて、色々な職業を経験しました。そのような時、市内のある駅前で、車の上から、マイクを持って演説をしている右翼の人を見ました。 その時、私はこういう方法で、私たちの思っていることや考えている事を訴えればいいんだと思って、地元の右翼団体を調べたり、たずねたりしましたが、私が思っていたような団体は、ほとんどありませんでした。しかし私はあきらめないで、今度はインターネットで右翼団体を探したのです。そんな時に日本青年社の大阪本部があることを知って電話を掛けました。私はこんな話し方をしますから、多分、電話に出た方は驚いたと思いますが、その人が、大阪本部の吉田本部長だったのです。吉田本部長は私に「ともかく会おう、話しを聞こう」と言ってくれました。これが私と日本青年社の出会いです。

 吉田本部長は、私の話しを良く聞いてくださり「できる限り頑張ってみろ」と言われました。それからは日本青年社の色々な行事に参加しましたが、どの行事も想像していた通りのものでした。私は日本青年社に入ってから、今年で六年になります。現在は、会社に勤めながら、日本青年社大阪本部行動隊員として、吉田本部長の指導を受けながら、頑張っています。

 そこで皆さんにお願いしたいのです。日本には、身体に障害を持った人たちが沢山います。そして普通の人以上に人の痛みを知っています。そして、みんな頑張り屋さんなのです。ですから体に障害があるからといって特別扱いされたくないんです。みんな健康な皆さんと同じような仕事をして、同じように生活して、社会に役立ちたいと考えています。

 お陰さまで私は、日本青年社という大きな懐(ふところ)に飛び込む事ができました。そして今は、小学校、中学校、高校で、机を並べた同級生が「田中と一緒に民族運動がやりたい」と言ってきます。そんな時、私は「遠慮しないでこいよ」「日本青年社はみんな仕事をしながら民族運動をやってるんだ」「民族運動は心と心の絆(きずな)が大切なんだ」「日本青年社はそういうところだ」といつも話してます。

 今、私は、日本青年社の一員であることに誇りを持っています。そして、吉田本部長を師と仰ぎながら、体に障害をもつ人たちの気持ちを大きな声で訴えていますが、ぜひこういう運動を全国に広げて行きたいと思います。

 皆さんの周りにも私のような聴覚障害の人たちがいると思いますが、みんな健常者の皆さんと同じように、仕事がしたいんです。それが私たちが社会に出るまでお世話になった多くの人たちに恩返しすることのできる社会貢献だと考えています。そして、私は、全国にいる多くの身体障害の皆さんの、目標になり励みになるように頑張って行きたいと思っています。」
との、切々とした訴えに会場からは惜しみない拍手が送られた。

自由民主党同志会の御紹介

岡崎二朗氏

 自由民主党同志会御紹介御挨拶では、同志会推進委員長の俳優・岡崎二朗氏が司会を努め、「本日はお忙しい中を、全国議員連盟、社友総会のためにお運びを頂きまして本当にありがとうございます。今日はこのお祝いに自民党同志会の各ブロックの代表が馳せ参じております。

 実は、私は日本青年社の方々に大変お世話になっておりますが、私は長きに渡り日本青年社と行動をともにしてまいりましたが、何のお役にもたったことがありません。そしていつも何か私にできることはないかと思っていたんですが、三十年前になりますか、私の師匠の鶴田浩二が、「この男はいい男やから岡崎世話になっておけ」と言ってご紹介を頂いたのが、自民党同志会最高顧問、そして事務総長も兼任していらっしゃいます福田晃丈先生でございます。

 自民党同志会の最高顧問は、初代が元総理・福田赳夫先生で御座います。二代目福田晃丈先生が「俺は日本青年社が大好きなんだ。日本一の政治団体じゃないか。岡崎、俺を会長にあわせろ」と言って下さいました。このとき私は、これで日本青年社の役に立つことができると思いました。日本青年社の活動は国家のために、国民のために長きに渡り取り組まれております。先ほどのDVDにあった尖閣諸島の灯台も二十七年もかかってやっと国が動きました。拉致問題も二十年以上、横田めぐみさんを返せ、と叫び続けてやっと政治が動いてまいりました。タイ、八王子、そのほかに平和祈念公園を建立、この大きな地道な活動が皆様のお陰で少しづつ大きなうねりとなってきております。そしてここで、政権党であります自民党に意見を言える方、天下のご意見番であります福田晃丈先生のお力をお借りしまして青年社とともに自民党同志会が国にものを申せる団体であるように手を組んで行って頂きたいという事で本日お運びを願いました」
と挨拶した後、全国から駆けつけてくれた五十人の各代表紹介に続いて、同会最高顧問兼事務総長の福田晃丈先生を紹介された。

【自民党同志会最高顧問・事務総長/福田晃丈先生ご挨拶】

福田晃丈先生
 
紹介を受けた福田晃丈先生は「私は自民党の立場で皆さんの前に本日でてくるのが非常に恥かしい。日本青年社は現実にいいリーダーをもった実行集団として政権政党よりも、このビデオに出てるが如く、間違いなく思いを遂げています。非常に今の時期、恥かしいと思うのは自民党に確たるリーダーがいません。政権政党である自民党にリーダーがいないということは、国が非常に危ない状態にある。今日、お集まりの皆さんは当然それを感じておられると思います。家庭に中においてもリーダーがしっかりしていれば、家庭によってはご主人でなく奥さんである場合もありますけれども、いずれにしてもリーダーがしっかりしていれば家庭も安定です。今日ビデオを見ながら改めて胸が熱くなりました。私はこの日本青年社が設立の時から関係を持っておりましたけれども、今日ほど、この時こそ、手を携えて一緒にやって行かなければならない、そういう思いに駆られました。

 この実行力のある青年社さん、我々とともに手を携えて日本国のために何をなすべきか、もっと広くもっと深く、ただ一つの政治結社ではなくて、いわば、政権政党以上の力を持つ、そういう資質のある一人ひとりがリーダーの素質を持っておられる皆さんが、今日お集まりになっているという風に確信を致しました。これからぜひ皆さんとともに行動を取らせて頂くことをお願いし、お誓いを申し上げる」
と挨拶されたことに続いて、岡崎二朗先生が再度マイクを握り、「どうか青年社におかれましては、このご縁を大切に心一つにして、日本のために、そして友達、皆様の大切な家族のために、皆で元気に日本を守っていけるように力を併せて頂きたいと思います」と結びの言葉を述べた。





小林明全国社友会理事長

 続く謝辞では、小林明全国社友会理事長が「皆様、長時間にわたり有り難う御座いました。本会もつつがなく終了することができました。これも偏に本日ご臨席賜わりました皆々様のお陰と存じ上げております。先ほど来、諸先生、諸先輩、また同志同憂のお話を聞いておりまして、東條先生のおっしゃったこと、その通りで御座います。どうなんでしょうか皆さん、僕は良くこの壇上とか色々な処で怒りまくってるんです。もう腹が立って腹が立ってしょうがない。我々日本青年社の社歌の一節の中に、わが国民を守るため、と言う一節がございますが、守ってもらってるんですか政府に、社会保険庁の問題然り、どうなんでしょうか、大事な皆さんの年金をネコババしてやめて、あまねく退職金まで取っている馬鹿野郎が多い、馬鹿野郎なんて言葉を使うと松尾会長に怒られるんです私はよく、小林さんそんな馬鹿野郎なんて言葉はやめましょうと、でも馬鹿野郎は馬鹿野郎なんです。どうなんですか皆さん。右翼民族派という言葉に、この美学の中に我々はどっぷりつかりながら私は頑張りますよ。私も正業をやってましてね、良く言われるんです。「あんまりでしゃばると出る釘は打たれるよ」と、打たれてもらおうじゃないかと、我々のやってることは民を守るんだ。弱い物いじめはしないんだ。この行動美学の中で一生懸命頑張ります。今日こうやって見ると若い方も大勢いらっしゃいます。どうぞ皆さん頑張りましょう」と心から御礼を述べた。


伝統と使命を継承

 最後に二十有余団体の神輿会による総締めが行われた。総締めは神輿会のメンバー五十人が粋なはっぴ姿で登場。司会者から各神輿会の代表が紹介された後、神輿会を代表して晴天會の福田直樹會長が、日本青年社議員同志連盟と全国社友会の益々の発展と、開場いっぱいの出席者のご健勝を祈念し、声高らかに「全国社友総会」恒例の五本締めで総締めを行い、4時30分閉会した。

(※注)
 日本青年社には、様々な宗教に関わり、又政治政党に関係している人たちが多くいます。又、宗教には正しい人の道を説く崇高な理念があり日本人の信仰心を養います。
従いまして、日本青年社の目的とするところの思想信念を目指すものであるならば、何ら政治政党・宗教宗派にこだわるものではありません。
 各界各層に於かれましても視野を広く持ち、祖国日本の繁栄と発展を望むものならば、小事にこだわることなく、大道に立って国家社会に貢献することを旨とするものであります。


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