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 言うまでも無く日本人は、「誇り(道徳)」と「恥」を重んじてきた民族です。

 その根幹は見た目や中傷に左右されず法体系を超越した自己の鍛練であり、時として「死」をも恐れぬ自己犠牲の精神、所謂「武士道」に支えらた所にあります。
 葉隠れの精神やそれに伴う死生観がそれであります。


 「武士道とは死ぬ事と見つけたり」から始まる訳ですが、時として死への美学と捕らえられがちではありますが、これはむしろ生きる為のこだわりであり生命の尊厳と価値観を重く捕らえた「生き方」であります。


 武士道については5000円札の肖像にもなっている新渡戸稲造氏の著書を欠かす事が出来ません。

 明治12年、ベルギーの学者との雑談から日本に宗教教育が存在しない旨の話題から「宗教教育なしに、どのようにして子孫に道徳教育を授けるのか」の問いに即答できず、さまざまな考察と分析の結果、改まって教育せずしても生活習慣そのものに武士道の精神が息づいていた事の目覚めから始まった著書である。

 それは「義・勇・礼・誠・名誉・忠義・大和魂」などの項目に分別された構成になっています。

 明治32年、当初外国人向けに英文作成されたものを昨今、和文に訳して刊行された逆輸入的な著書である。

 文中、時の武士の言葉を引用していますが言葉少なくして武士の武士道たる所以、つまり日本人が元来持ち備えていた精神が簡潔に述べられています。

 「勇は義の相手にして裁断の事也、道理にまかせて決定し猶予せざる心をいう也、死すべき時に死し、討つべき時に討つ事也」「士の重んずる事は節義なり節義は例えていわば人に骨わる如し、骨なければ首も正しく上にある事を得ず、手も物を取る事を得ず、足も立つ事を得ず、されば人は才能ありても学問ありても節義なければ世に立つ事を得ず、節義あれば不骨不調法にても士たるだけの事は事欠かぬなり」簡潔明快にして正に論評の余地がありません。

 その精神を背骨として繁栄し、時に戦い抜いて来た事が我が国の歴史であり、誇りであります。
 それは同時に西洋文明には理解し得ない独自の精神であります。

 今日の日本では時代に封印されてしまった教えであり、情報化社会の中で人生観も生命観も果ては犯罪に至るまで欧米化し、個人主義が至極の幸福であり、したい事やりたい事を思いのままに実践する事が自由で平和であるかのような錯覚から一日も早く抜け出さなくてはならないと考えます。

 「個性の時代」と言いながら実は個性とわがままの区別さえついておらずにマルチやグローバリズムの甘言に犯され、取り戻すべきヒューマニズムやナショナリズムを置き去りに欧米主導の世界体制が構築されつつあります。
 それぞれの国に根ざした国柄や民族文化が互いに尊重されてこそ平和の第一歩を踏み出せる事を白覚し、目本人の日本人たる姿「武士道」を闡明する事が肝要ではなかろうか。
 国際社会の中で日本の役割は益々重要なウェイトをしめる事になります。

 だからこそ、時に「人類文明の秘宝」とまで言われたはずの日本人の伝統・文化を呼び覚ますことが世界平和に於ける日本の急務であると考えます。