昭和20年8月9日、旧ソ連は当時有効であった日ソ中立条約を一方的に破り、ソ満国境を怒涛のように突破して大東亜戦争に参戦、6日後の15日、日本はポツダム宣言を受託して終戦を迎えたが、旧ソ連の侵攻は一向にやまず、3日後の18日に南樺太と千島列島の最北端(シュムシュ島)に軍事侵攻を開始、28日に千島列島南端(ウルップ)島までを占領、29日には北海道に付属する択捉島、色丹島、歯舞諸島、国後島に侵攻、 終戦から18日目の9月3日には、わが固有の北方領土全て略奪しました。

 また旧ソ連は参戦と同時に満州から日本人軍属を60有余万人を酷寒の地シベリアに抑留し、強制労働を強いて約6万人の日本人を死に至らしめました。

 この旧ソ連の行為は明らかに国際法違反です。

 以来56年の歳月が経過、「我が固有の北方領土はいまだ還らず」日本青年社は結成以来、一貫して北方領土奪還闘争に取り組み、昭和57年から旧ソ連が崩壊するまで、政府が制定した2月7日の北方領土の日に「2・7北方領土奪還国民統一行動」を実施、平成2年に日本青年社創設者、初代小林楠扶会長直筆の「祈願北方領土奪還」の揮毫を茨城県原産の御影石に彫刻した祈願碑を納沙布岬に建立、毎年8月末日から9月5日まで北海道内において北方領土奪還を訴える縦断キャラバンを行ない9月3日に納沙布岬で北方領土奪還祈願祭を行なっています。

 

北方領土問題含め日本青年社が取り組んでいる領土問題に関する記事はこちらに詳しく載っています。