ロシアに対し怒りの抗議
平成18年度北海道キャラバン隊活動報告

平成18年8月31日〜9月5日

日本青年社 運動局長兼群馬県本部長  茂木 明

 私たちは毎年8月末から9月初旬にかけて「北方領土奪還キャラバン隊」が北海道入りして道内で街宣活動を行うとともに、わが国固有の領土である北方領土全てが旧ソ連(現ロシア)に略奪された9月3日に日本の最東端に位置する納沙布岬において「北方領土奪還祈願祭」と「領土奪還闘争」に取り組んでいる。

  然し、今年は8月16日にわが国のカニかご漁船がロシアの警備艇から銃撃を受け、日本人乗組員1人が死亡、船長他2名がロシア当局に拿捕された国際事件をわが国の主権侵害事件ととらえ、ロシアの蛮行と日本の軟弱外交に憤りを禁じえず、今年の「北海道キャラバン隊」はロシアと日本政府に対し国民の怒りを込めた「北方領土奪還抗議行動」に取り組んだ。

  以下に今年の「北方領土奪還キャラバン隊」活動報告を記す。

 




  今年のキャラバン隊は新潟県直江津港・茨城県大洗港、青森県八戸港の三港からの出発であった。


8月31日
  直江津港、茨城県大洗港の二港から関東以南の街宣車輌と行動隊が室蘭港に目指して出航。


9月 1日
  札幌市内で直江津港出発隊と大洗港出発隊が合流、早速、抗議行動の打ち合わせ会議を行う。


9月 1日
  青森県八戸港から東北管区の街宣車輌と行動隊が出航。


9月 2日
 6時30分に朝食、8時に宿舎を出発し北海道神宮にて恒例の参拝とお祓いを受け、10時より札幌市内街宣を開始、市内街宣は大通り公園での停止街宣と市内一円街宣の二手に分かれて道行く多くの人達に北方領土問題とロシアの蛮行を訴えた。今夜の宿泊地は札幌市から約600キロ離れた根室市なので昼食(弁当)は全員が車輌の中で食べるように伝達して12時過ぎに札幌を出発。道中約10時間の長旅であり、根室市に到着したのが21時40分、その後の食事と入浴であったために就寝は夜中の1時。同時刻ごろに9月1日に八戸港を出航した東北管区の街宣車輌と行動隊が合流する。


9月 3日
 
今回のキャラバン隊は例年にない好天に恵まれた。夏の納沙布岬は比較的にガスがかかっているために目の前の北方領土を望むことをできないこともあったが今日は大丈夫だろうと胸が躍る。納沙布岬では地元の友誼団体・國青塾の真籠塾長と塾生二十数名が出迎えてくれた。一年ぶりの再会である。

 納沙布岬では私たちの期待通り、北方領土がその姿をクッキリと見せてくれている。まるで北方領土が私たち一行が納沙布岬からロシアに怒りの抗議をしてくれと待っていたように感じられる。然し、目と鼻の先にある貝殻島の中間線ではロシアの警備艇が停船しており、その警備艇に対峙するように海上保安庁の巡視艇が警戒している。私たちにもその緊張感が伝わってくる。もし私が武器を持っていたら、私たちの同胞を銃殺するという蛮行を犯したロシア警備艇を沈めてやりたい気分になる。

 納沙布岬に全車輌を止め「北方領土奪還祈願碑」に向かうが、祈願碑の周りの玉砂利が少なくなっていることに気がつく。すでに顔なじみである土産屋・東光のおばさんに聞いたところ、観光客や一般の人たちが祈願碑の周りの石を北方領土奪還祈願の石として大事に持って帰るようだと言う。誠に有難いことだが、現地を補修しなければならないので根室市昭和町の第一産業(株)に連絡すると、七号砕石をダンプカー1台分を快く寄付してくださった。以前にも奪還碑の補修工事に行った時に釧路のアサノコンクリートと言う会社がコンクリートミキサー車の生コン2台分を寄付して下さったことが思い出される。感謝、感謝だ。全員で砕石をならしてから清掃を済ませ、9時30分より厳粛に祈願祭を挙行。10時より全街宣車輛の上から、日本漁船を銃撃した上に民間人を銃殺した非道極まりないロシアに向けて抗議のシュプレヒコールを開始した。また、この抗議行動は私たちだけでなく、この日のために札幌市から駆け付けてくれた札幌市在住の吉田さんご一家をはじめ大勢の一般の人たちや地元の人たちも大きな声でシュプレヒコールに参加したので私たち日本人の怒りのシュプレヒコールは天にも届くほどの勢いであった。

 また根室では8月16日にロシア警備艇の銃弾を受けて犠牲になられた盛田光広さんのお宅を訪問して御仏前に線香と花をお供えしようとしたが、盛田さんのお宅周辺にはマスコミ関係者が大勢いるとのことから、ご迷惑を掛けないように納沙布の地から哀悼の意を表して御仏前に添える花をお贈りした。この花は来年も再来年も、その先も民族運動に取り組む日本青年社の真心として御仏前に供えることとした。
今夜の宿泊地は阿寒湖ホテルなので整然と隊列を組んだキャラバン隊は一路阿寒湖に向かう。反対車線を走る一般車輌がライトをパッシングしたり、窓から熱い声援を掛けてくれる。

 阿寒湖ホテルでは今年のキャラバン隊最終地であることから行動隊全員で親睦会を開いて疲れを癒す。


9月 4日
 
9時に阿寒湖ホテルを出発。途中から國青塾の先導を受けて全国的に有名な釧路和商市場に向かう。この市場はキャラバン隊が最後の日にいつも寄っているので「今年も来たね」「頑張ってね」と声を掛けてくれる商店もある。近年の殺伐とした社会の現実に照らし合わせば、この様な人と人との心の触れ合いも行動隊にとって大きな意義がある。

釧路を出発した私達キャラバン隊は帰りのフェリーにのるために一路室蘭に向かうが車中で北上する台風が気になる。昨年は日本海側に台風が来ていたため直江津港が閉鎖され、急遽フェリー会社の交渉して全車輌は茨城県大洗港行きの便に乗ることになったからだ。今年は太平洋側に台風が来ているので気になったのだが、その予想は的中してしまった。今年は太平洋側に台風が来ていたために昨年とは逆に全車輌が

新潟県直江津港に行く便を利用することになった。太平洋側に帰る行動隊の面々には気の毒だが仕方がない。室蘭港から全車輌が乗船したが、帰路の津軽海峡は波が高く、船中を歩くのも一苦労、船酔いする参加者もでて大変であった。

9月 5日
  全員無事に新潟県直江津港に到着、下船後、私たちは更なる北方領土奪還運動に取り組むことを堅く誓い合って解散。

 最後に、今回の抗議行動に参加してくれた真籠國青塾塾長を始め、塾生の皆様、國青塾傘下団体の皆様、札幌市在住の吉田さんご一家、第一産業(株)の野陳様、日本青年社の活動へのご理解と温かいご支援ご協力を本当にありがとうございました。

 


北方領土奪還キャラバンに参加しての感想


▼憂和会 行動隊長 佐 藤 輝 幸

 北方領土キャラバン隊に創めて参加したのでよく分からないことばかりでしたが日本青年社が取り組んでいる事の素晴らしさと日本の領土の大切さが分かりました。また貴重な体験をさせていただきました。

 北海道に入り、天候にも恵まれ、まず驚いたのは「北方領土は日本の領土」「北方領土奪還」などの建て看板。また札幌で行われた停止街宣の時、多くの市民、道民が私たちの声を聞いて手を振ってくれたり、応援してくれていたのがわかりました。私は札幌の人達は北方領土のことや現在の日本の弱さを知っているからこそ、応援してくれるのだと思います。このような人達を増やしていけば、政治を動かすことができるのだと思います。また、納沙布岬で行われたシュプレヒコールの時、弱い日本の政治と、北方領土を我が物顔にしているロシアに向かって「私も言いたい。参加させてくれ」と言う観光客も一緒になって大コールになったのにはとても感動しました。

 また、北方領土問題の解決は、日ロ両国間の最大の問題懸案事項です。この問題が、一日も早く解決され、平和条約が締結され、真の友好関係が確立されること。長い年月の間、さまざまな理由で取り上げられなかったこの北方領土返還運動の歴史を知ってもらい、元島民だけの問題ではないことをあらゆる人々に考えてほしいと、北方領土奪還キャラバン隊に参加し強く思いました。

 

▼茨城県本部 事務局長 矢 野 富 士 夫

 私は今回2度目の北方領土奪還キャラバン隊参加ですが、9月31日の夕方、私の地元である茨城県の大洗港にて、青木塾長ひきいる日本親武道塾の皆さんと合流。18時30分のフェリーで出港。9月1日13時頃に北海道の苫小牧港に到着。9月3日は6時頃起床、白の上下を身に着けてから北方領土奪還キャラバン隊参加者全員で北海道神宮参拝。その後すぐに札幌市内で街宣活動を行った。

  今回の市内街宣は札幌市民の皆様の温かいご声援に感極まるものを感じました。札幌市民の皆さん、来年も再来年も私達が運動に行った際には、熱い声援を心から宜しくお願い致します。同日、根室市内の旅館まで約600キロの移動。翌日の9月3日は朝9時前に納沙布岬に到着した。

  現地に着くまでの道中で感じたことは、道路脇に「北方領土は日本の領土」「北方領土かえせ」の看板が多数設置されていたことから、納沙布岬に近ずくにつれて熱いものが込み上げてきました。この熱い思いをシュプレヒコールに込めて「北方領土返せ」「今年も頑張るぞ」と言う意欲で運動に臨みました。大久保行動隊長の指示のもと、国民儀礼等を執り行った後、初代会長直筆の石碑の前において祈願祭を行った後、ロシアに向けてシュプレヒコールを開始、右手に拳を作り、天高々と拳を突き上げ、強い思いを込めて「叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ」。

  また当日は晴天に恵まれたので私たちは日本の領土、北方領土を自分の目で確認することができました。確認できたからこそ思うのですが、何故?私達日本人は日本の領土なのに、あの島に足を踏み入れてはならないのでしょうか?さらには何故、ロシアから銃弾が飛んでくるのでしょうか?まだまだ書ききれない程に言いたいことは百とありますが、今回の運動で益々政府に対する不信感が私自身の心中で強まりました。また今回のシュプレヒコールには、一般の方や地元の國青塾の皆さんも参加され、例年以上の運動が出来たと思います。

 当日、運動後に阿寒湖ホテルに一泊。この阿寒湖ホテルでは親睦会があり、憂和会の堀本副代表が歌われた阪神タイガースの応援歌、六甲おろしの熱唱が未だに頭の中から離れません。多分堀本副代表は私たちにもっと元気を出せという思いで応援歌を熱唱したのだと思いました。

9月4日、この日は苫小牧からフェリーに乗る予定でしたが台風が接近している為、フェリーが大幅に遅れるらしく、全員が室蘭港から新潟県の直江津港行きの便で帰ることになりました。

  この度の北方領土奪還運動におかれては山本北海道本部長を始め総本部役員の方々、各本部支部団体代表並びに隊員の皆様には大変お世話になりました。紙面をお借りしてお礼も申し上げます。



▼日本親武道塾 行動隊 江 原 豊 久

 私は今回始めて北方領土キャラバン隊に参加させていただきました。

 奪還運動に参加して思ったことは、領土奪還の為に多くの人間が力を合わせ、その運動がいかに大事か、そしていかに大変かを肌で感じました。特に日本人同胞森田さんの銃撃事件を見て、ロシアと言う国がいかに残酷で非道であるかを思い知らされました。同じ日本人として胸がしめつけられる思いが込む上げるものを抑えて北方領土奪還運動を行いました。

 この北方領土問題は中々解決の糸口も見えないまま今に至っております。今回の北方領土奪還キャラバン隊で感じたこと、思ったことを、そしてこの運動が正しいことも国民や子供た達に教えていかなければならないと思います。

 茂木運動局長並びに各団体の皆さん本当にありがとうございました。



群馬県本部 伏 島 賢 一

 8月31日より、9月5日の6日間、群馬県本部 茂木明本部長の御好意により、今回初めて参加させていただいたことに感謝いたします。

 私は昭和26年生まれの54歳であります。私が今日まで、テレビ、新聞、教科書等により、我が国固有の領土である北方四島は旧ソビエト連邦共和国が『第二次世界大戦終了後、無断で北方四島を侵略してきた』との知識は少なからず、頭の片隅に置いてあり、何のこだわりもなく北海道民及びそこに利害関係を持つ根室市民の問題であるとの認識で今まで他人事のよう、野次馬的考えでしか四島の問題を熟知しておらず、まったく別次元の出来事としか考えておりませんでした。

 私当初に述べたよう、今回初めての参加ということで、観光旅行気分でウキウキ、ドキドキの出発でありました。伊勢崎市より新潟県直江津港へ向かう車中の中、リラックスのもと初めての大型フェリー乗船へと予定行動が行われる最中、私は驚きを感じました。日本青年社の役員、隊員各位は徐々に旅行から使命感へと目の色が変わっていったのは何か?それは北海道の地に到着して、その答えは出たと私自身大変感銘を受けたのです。
 それは各地域の日本青年社の同志が札幌市に集結し、キャラバン隊最大の目的である四島奪還行動の納沙布岬に向かい、是が非でも北方四島を奪還するとの情熱のもと、一丸となって本来の目的を遂行するとの意識の表れであると私は確信したものです。

 私自身旅行気分の出発と申しましたが、9月3日根室市沖納沙布岬に生涯生まれて初めて立ちました。目の前にクッキリと映し出ている四島、茂木本部長より日本とロシアの国境の説明を受け、目の前に見えるロシアの警備艇、日本の巡視艇、先日起きた日本漁船銃撃事件等々現実を直視したとき、四島奪還問題は、単なる北海道民、根室市民、漁業関係者だけの問題ではなく、我々日本国民一人一人の問題であり、一日も早く解決しなければならない重要な国益に関するものであると深く考えたのでありました。

 私はロシアに向けてのシュプレヒコールに参加し、声を大にして奪還要求をさせていただきました。個々前向きに返還要求を求め、身も心も締まる思いであります。

 今回参加させていただき本当に心地よい思いであり、今後とも日本青年社の闘争に深い感銘を受けたものであり、ぜひ再びキャラバン隊に参加させていただき、一日も早い四島返還が行われることを願うものであります。