北朝鮮工作員日本侵犯ルート

平成12年06月01日

新光丸事件・・・1957年(昭和32)12月28日
金基水(日本名/松田博:以下同じ)大尉は香港経由で入国し、日本人として活躍していたが、京都府伊根港から工作船「新光丸」で脱出する直前、海上保安庁に逮捕された。

第4次北朝鮮スパイ事件・・・1958年(昭和33)10月30日
姜乃坤(青山京一)は、1957年10月30日に石川県の港に密入国し、在日米軍情報を収集していたが、1年後に逮捕された。

滝事件・・・1959年(昭和34)7月31日
趙昌国(鈴木久雄)は石川県滝港から密入国し、連絡員と接触場所に向かう列車の中で、職務質問を受けて逮捕された。

浜坂事件・・・1960(昭和35)年9月29日
xx英(川上崇弘)は1959年7月29日に兵庫県浜崎港から密入国し、東京で補助員獲得の任務遂行ののち、帰国するため浜坂港にいたところを逮捕された。

大寿丸事件・・・1962(昭和37)年7月24日
崔燦寔(滝川洋一)は1960年10月19日に酒田市の海岸から潜入し、「大寿丸」を購入して下関から脱出、再び潜入して拠点設立の準備中に逮捕された。

解放号事件・・・1962(昭和37)年9月24日
金鳳国と李承基は工作母船(解放号)から伝馬船に乗り移り、新潟県の大月海岸を目指しているとき転覆、泳いで上陸し、水を求めた民家からの通報で逮捕された。

第1次、2次能代事件・・・1963(昭和38)年4月1日
秋田県の能代海岸に2体の遺体に続いて、5月10日には再び遺体が打ち上げられ、無線機、暗号文書、米ドルなどが発見され、潜入に失敗した武装工員と判明。

酒田事件・・・1963(昭和38)年5月21日
馬今鳳(中村東x)は1961年5月15に酒田市の十里塚海岸から潜入し、補助員獲得の任務遂行ののち、帰国するため酒田市にいたところを逮捕された。

薫グループ事件・・・1964(昭和39)年5月14日
薫吉模(柳川昌儀)は1961年2月に新潟県の柏尾海岸から潜入し、韓国への迂回浸透のための活動中に逮捕された。

本庄浜事件・・・1964年(昭和39)年7月24日
姜礼黙(大山富国)は1964年2月に京都府の本庄海岸から潜入し、東京で勧告への迂回浸透の活動中に偽装自首して逮捕された。

一富事件・・・1964(昭和39)年7月29日
xxx(吉岡正夫)は1953年3月21日に秋田県八森の海岸から潜入し、岐阜で自衛隊情報を収集していたが、警察の追跡から逃走した後逮捕された。

寝屋川事件・・・1964(昭和39)年10月31日
全東岩は石川県輪島市の形部岬から潜入し、軍需産業情報を収集していたが、補助員獲得中に逮捕された。

神田事件・・・1965(昭和40)年3月15日
李竜鉄(石田原作)は1964年8月1日に京都府簿入の海岸から潜入し、東京の神田に定着していたが逮捕された。

江戸川事件・・・1965(昭和40)8月2日
宋嬉燉(平山正雄)は1963年7月に京都府の経ケ岬から潜入し、神戸に定着し韓国浸透を計画していたが逮捕された。

岩崎・能代事件・・・1969(昭和44)年11月13日
在日朝鮮人の金邦鎮(金井正夫)は1968年10月15日に青森県西津軽郡深浦町の海岸から密入国し、工作員教育を受けたあと、再度、西津軽郡岩崎村の海岸から潜入した直後に、職務質問で逮捕された。

八王子事件・・・1970(昭和45)年11月16日
高栄浩(加藤栄浩)は1970年10月9日に青森県西津軽郡岩崎村の海岸から潜入し、対韓工作の活動中に逮捕された。

足立事件・・・1971(昭和46)年9月25日
朴環華(金沢)は1965年に潜入し、68年に帰還したあと、68年9月に鳥取県の海岸から潜入し、対韓工作の活動中に逮捕された。

温海事件・・・1973(昭和48)年8月8日
1973年8月8日に山形県の海岸近くに不審な3人連れを職務質問したところ、崔光成をリーダーとする工作員グループと判明し、3人は逮捕された。

水山事件・・・1973(昭和48)年12月22日
金一東(水山美尾)は1969年10月7日に青森県西津軽郡の岩崎海岸から潜入しし、大阪、名古屋で活動したのち、東独に出国しようとして羽田空港で逮捕された。

中川事件・・・1974(昭和49)年2月5日
李白学(佐藤一郎)は1973年710日に石川県の能登半島から潜入し、名古屋で対韓工作の活動中に逮捕された。

切浜事件・・・1974(昭和49)年9月19日
兵庫県の切浜海岸で工作員の案内員である威国上が逮捕され、翌日には脱出しようとしていた工作員の李庸煥も逮捕された。

鶴見寺事件・・・1975(昭和50)年4月5日
金鶴萬(八幡伊八)は1974年2月に鳥取県の海岸から潜入し、横浜で対韓工作の活動中に逮捕された。

濁川事件・・・1975(昭和50)年7月13日
李敏哲(山本光伸)は1970年10月に京都府の経ケ岬から潜入し、東京、千葉で対韓工作に従事し、帰国命令によって青森県十二湖海岸の濁川の河口で工作船を待っているところを逮捕された。

布施事件・・・1976(昭和51)年6月16日
逍昌朝(川島啓介)は1972年9月に島根県三保の関から潜入し、一度北朝鮮に脱出したのち再潜入し、任務を完了し脱出しようとしていたところを逮捕された。

豊島事件・・・1977(昭和52)年4月6日
申栄萬(藤森正夫)中尉は1972年4月26日に元山を出発して丹後半島(京都府与謝群伊根町浦人港付近)から潜入し、栃木県足利市を拠点に活動していた。74年5月に野と半島の羽根海岸から脱出し、北朝鮮で6ヶ月の教育・訓練を受けて羽根海岸から再潜入したが、耐乏生活のため任務を放棄し自首した。

水橋事件・・・1980(昭和55)年2月20日
李龍雨(徳山龍雨)は1979年4月24日に富山県水橋海岸から脱出し、工作員教育を受けた後、80年2月20日に福井県敦賀湾から潜入し、対韓工作中に逮捕された。

磯の松嶋事件・・・1980(昭和55)年6月12日
在日韓国人の李基吾(岩本清)は工作員訓練を受けるため、案内員の黄博(須藤博)と脱出しようと兵庫県の香住海岸で工作船を待っていたところを逮捕された。

日向事件・・・1981(昭和56)年3月30日
富山県高岡市の越中国分駅で職務質問された男(姜正彦)が、宿泊中のホテルの7階から「金日成主席万歳」と叫んで飛び降り自殺した。3ヶ月後の6月24日、宮崎県日向市の海岸をうろついていて逮捕された黄成国(斉藤幸雄)は、1979年7月17日に南浦から日向市の小倉ケ浜に潜入し、大阪を拠点に工作任務を遂行し、帰還命令によって工作船を待っていることろであった。浸透ルートに太平洋側が使われたのは初めてであり、姜正彦と黄成国の外国人登録証はナンバーが2番違いの偽造されたものだった。

六郷事件・・・1981(昭和56)7年23月日
東京・北区の路上で泥酔して保護された高徳煥(千葉仙台)は、偽造された外国人登録証を所持し、日向事件のものと酷似していた。高徳煥は1980年11月に元山から山口県長門市の海岸に潜入したと自供した。

男鹿脇本事件・・・1981(昭和56)年8月5日
秋田県男鹿市脇本漁港で職務質問された3人のうち、2人は迎えのゴムボートで逃走したが、逮捕された尹敏哲は北朝鮮で工作員訓練を受けて戻った直後だった。

工作員回収事件・・・1982(昭和57)年6月
朝鮮労働党作戦部の李相哲(83年12月3日に勧告に潜入後逮捕・帰順)は、1982年6月のある日の午後8時頃、山口県長門市の沖合いの海上から小舟で接近し、ゴムボートに乗り換えて岩場に上陸して、日本に送り込まれていた工作員を回収した。

金錫斗事件・・・1986(昭和60)年3月1日
日本人「小住健蔵」を名乗る氏名不詳の北朝鮮の工作員は、1970年夏に秋田県の男鹿半島から潜入し、東京で日本人未亡人と同棲しながら、任務を遂行していた。「小住健蔵」は豊島事件の申栄萬や金錫斗に指令していた大物工作員で、小住健蔵名義の偽造パスポートで日本から出入国を繰り返しており、現在も逮捕されていない。

第31幸栄丸事件・・・1985(昭和60)年4月25日
宮崎県日南鵜戸崎の東南20kmの海上を北に向かう「第31幸栄丸」表示された挑戦運搬船を、漁業監視船が発見、臨検のため接近すると、不審船は猛烈なスピードで逃走した。連絡を受けた第10管区海上保安本部は、空と海から2昼夜(38時間半)にわたって約1000kmを追跡した。しかし、不審船は時速32ノットのスピードで東シナ海に西進して、27日午前1時過ぎ、屋久島の北西約610kmの東シナ海海上で姿を消したが、南浦湊に帰還したことが確認された。

辛光洙事件・・・1985(昭和60)年6月25日
人民武力部偵察局の工作員だった辛光洙は元山を出港して、1973年7月4日に石川県鳳至群猿山灯台付近の海岸から潜入し対韓工作に従事していたが、帰国命令によって76年9月12日に富山県骨川市の河口から脱出した。北朝鮮で3年間の教育・訓練ののち、80年4月10日に南捕を出港、宮崎県日向海岸から潜入し、中華料理店のコックだった原敕晃氏を拉致して、6月20日に再び宮崎県青島海岸から北朝鮮に戻った。80年11月26日、辛光洙は宮崎県青島海水浴場の「子供の国」から3度゛目の潜入を果たし、東京で「原敕晃」として生活し、82年3月23日、原敕晃名義のパスポートで成田空港から日本を出国し、北朝鮮に帰還した。そして、82年5月3日、平壌からスイスを経由して偽造パスポートで日本に入国した。以後出入国を繰り返し、85年4月24日に韓国に入国したが、その招待が発覚し韓国案企部に逮捕された。
当時に逮捕された在日朝鮮人の金吉旭は、1978年3月30日に福井県大飯群の大島半島付近の海岸から脱出し、清津港に上陸した。北朝鮮で指示を受けた後、78年4月29日に再び大島半島付近から潜入していた。

工作員漂着事件・・・1990(平成2)年10月28日
1990年10月28日に福井県美浜町の海岸に難破した船(全長8.8m、幅2.5m)が漂着した。内部には乱数表などのスパイ道具とともに金日成の写真入手帳があり、近くの雑木林に緑色の水上スクーター(全長1.5m、重さ70kg)が引き上げられているのが発見された。数日後には付近の海岸に2人の遺体が漂着し、北朝鮮の工作員と断定された。

軍人漂着事件・・・1998(平成10)年12月16日
1998年12月16日、島根県隠岐群五箇村の海岸に軍服姿の痛いが流れ着いたのを皮切りに、12月25日には福井県高浜町の「和田マリーナ」に3体、翌99年1月14日にも福井県三方町の海岸に1体、そして1月22日には鳥取県の砂丘海岸に1体と、計6体の人民軍兵士の遺体が漂着した。