小泉首相靖国神社参拝をうけて
“国家性こそが靖国神社の本質”

平成13年9月10日
総本部憲法調査研究委員会
委員長:横山正幸

 毎年来る8月15日。この日は日本人にとって、特にその当時を生きていた人々にとって忘れられない、いや忘れてはならない日である。

  この日がその後の日本を語る上での1つの分岐点になったことはまちがいない。

  敗戦した我が国が、昭和27年4月28日に占領解除になるまで、占領軍が現在の日本の姿の原点を作ったことは事実である。筆者が担当している憲法についてもそうである。

 靖国神社参拝問題?という問題は現行憲法が公布される前、昭和20年12月15日に発令された神道指令が原点になっている。正確には、「国家神道(神社神道)ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督弘布ノ廃止ニ関スル覚書」のことである。

(前略)
 日本ノ国家並、県並ニ地方ノ行政機関或ハ公的資格ニ於テ行動スル官公吏、属官並ニ雇員ニヨル神道ノ保証、支援、保全、監督及ビ弘布ヲ禁止シ即時コレガ停止ヲ命ズ。

(中略)
 
 全面的又ハ部分的ニ公共資金ノ支援ヲ受クル一切ノ教育機関ニ於テ現ニ使用セラレツツアル教師用教範及ビ教科書ハコレヲ検問シ、一切ノ神道教育ヲ削除スベシ、上記ノ教育機関用トシテ今後出版セラルベキ教育用教範及ビ教科書ニ全然神道教義ヲ含ムベカラズ。
 全面的又ハ部分的ニ公共資金ノ援助ヲ受クル一切ノ教育機関ハ、神道神社ノ参拝、神道ニ関聯スル祭式、慣例、或ハ儀式ヲ執行又ハ後援スベカラズ。

(中略)
 
 国家県又ハ地方政府機関ノ官公吏ハ、公的資格ニ於テ、官庁就任ヲ奉告シ、政状ヲ報告シ、又ハ政府ノ代表トシテ儀式又ハ礼式ニ参加スル為ニ神社参拝ヲ為スベカラズ。
 本指令ノ目的ハ、宗教ヲ国家ヨリ分離シ、宗教ヲ政治目的ニ悪用スルコトヲ防止シ、一切ノ宗教、信仰及ビ信条ヲ完全ニ同一ナル知的基礎ノ上ニ立タシメ、以テ正確ニ同一ノ機会ト保護ヲ受ケシメントスルニアリ。(後略)

(中略)
 
 本指令ノ意義ニ於ケル国家神道ナル語ハ、日本政府ノ法令ニ依リ、宗教神道又ハ神社神道トシテ知ラレタル非宗教的国家信仰トシテ分類サルル神道ノ一派(国家神道又ハ神社神道)ヲ指スモノトス。(後略)

 日本の歴史的国家の本質を理解しえない占領軍は、神宮神社と国家との関係を断絶させるために、神宮神社も寺院や教会と同じ個人的宗教施設として扱うことを強要した。つまり、現行憲法の条文中の宗教とは、個人の安心のよりどころとしての神の信仰であり、個人宗教のことである。

第20条 1、 信仰の自由は、何人に対してもこれを保証する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

  2、 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

  3、 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 しかし、信教の自由といえども、公共の福祉に反するものがあれば、そのかぎりにおいて、国家的制限を受けるものであることは、他の基本的人権と同じである。これは昨今の宗教団体による事件を見ても明かである。



第89条 1、 公金その他の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又は、その利用に供してはならない。

 この条文も、靖国神社に公金を支出する事が、憲法違反の非難のおそれがありはしないかと、政府はおそれているのであろう。しかし、この規定があったとしても、それは個人の安心のよりどころを求める宗教との関係であって、国家性を本質とする靖国神社とは関係ないことである。


 戦前も戦後も、靖国神社は国家の為に犠牲になった人々の英霊を祭神とする神社であり、国家が英霊に対し、感謝の誠を捧げる事は、国民道徳的義務である。すなわち、靖国神社は、国民個人個人の安心のよりどころとしての神とは別に、国家をささえる民族精神の宿るところである。この靖国神社の国家性こそが、靖国神社の本質的正確なのである。


 国の為に尊い犠牲となった人々を英霊と称して何の問題があろうか。国民の代表である首相が参拝する事に何の問題があろうか。首相は現行憲法下の我々国民の代表であることは、現行憲法が定めている事を忘れてはならない。英霊と称することは軍国主義の復活だと言うものがいるが、それは言葉のすりかえである。何の犠牲にもなっていない者達が、靖国神社を運動の拠点として考えている事を、英霊達はどうみているだろうか?「こんな者達の為に、我々は犠牲になったのか」と思っているのではないだろうか。

 今こそ、我々は素直な心で靖国神社国家護持を訴える時である。国家性こそが靖国神社の本質なのだから。