戦後70年、身命を賭して国を守ってきた先人に学ぶ

高木書房 斎藤信二

パールハーバー

  人は安住の地に居ると、それが当たり前になりその安住の地の有難味が分からなくなる。子供は親の庇護のもとにありながら親に反発したり、会社という組織があって仕事ができるのに自分がいるから会社が成り立っていると錯覚したり、国民として国に守られているのに地球市民などと言って国の存在を否定したりする。

 政情不安が続く国が今なおあるという現実を見るにつけ、国の安定の有難さを感じないわけにはいかない。海外に仕事や留学で長く滞在した人は、初めて日本の有難さを知ったという話は良く聞く。

 今年は戦後70年ということで、大東亜戦争開戦地であるハワイ・オアフ島の真珠湾へ行ってきた。日本がどんな思いで戦いに望んだのか。現地に出向くことで、多少なりとも当時のことが理解できるのではないかと思ったからである。

 また以前中国の江沢民国家主席がパールハーバーに行き「中国とアメリカは共にファシスト国家の日本と戦った戦友の国である」と演説した。そして平成25年6月には、米国で行われた米中首脳会談で、習近平国家主席は、「太平洋は広い。中国もアメリカも受け入れる十分な空間がある」として、アメリカに「太平洋を二分割管理」しようと要求した。ハワイは太平洋のほぼ真ん中に位置する。

 真珠湾見学コースの現地ガイドは、幸いにも日本男児であった。真珠湾には様々な展示物を備えたパールハーバー・メモリアルがある。公園としてきれいに整備されており、そこに入る前の説明で、ガイドは日本が一方的にだまし討ちをしたのではない。そのように仕向けられた歴史があると語った。

 戦争記念館と言えば、日本が悪者にされ、多くの場合、歴史の真実は語られることはない。そんな思いを持っていた私は、「観光客相手に、ここまで言うのか」と思った。
 「現在の日本は戦後教育によって、日本は侵略戦争をした悪い国と教えられ、それを信じている日本人が多い中、なぜあなたはそうした歴史観とは違う立場で堂々と観光客に語るのですか」と質問してみた。

 「ハワイには仕事できて、あまりにも日本のことを知らなかった。歴史を勉強してみると、日本で教えられた歴史とまるで違うことがわかってきた。太平洋戦争ではなく大東亜戦争と呼ぶのが正しい。日本人は日本の歴史に恥じることは決してない。日本人はもっと誇りを持っていい。歴史の真実を語っている」と答えてくれた。

 パールハーバー・メモリアルの入口近くの地面に世界地図が描かれている。以前現地のガイドは、そこに描かれた「日本」を何度も踏んづけながら真珠湾攻撃を説明していたという。日本人として、自分が勉強した歴史を元に抗議した。今はそういうことはなくなったという。展示品についても、間違った歴史を修正してきたという。




武人の心

 日本軍の攻撃で沈没した戦艦アリゾナは、そのままの状態で保存されており、その中心部の真上に真っ白い慰霊堂が建てられている。船でそこに渡り中に入ると、約1200名の犠牲者の名前が記録されていた。戦艦からは今も油が浮かびあがっている。私は海軍で戦死した父親を思い出した。遺骨は海深く沈んでおり戻っていない。やはり戦争は避けなければならないが、だからと言って単純な平和主義にはなれない。平和憲法を守れとか、言葉だけの戦争反対は、むしろ戦争の危険を増すからである。それが現実の世界である。

 真珠湾には戦艦ミズーリが記念館として係留されている。ミズーリ号と言えば、昭和20年9月2日、艦上でマッカーサー元帥率いる連合国軍側と重光葵(外相)全権率いる日本政府代表との間で降伏文書が調印されている。また硫黄島の上陸作戦、沖縄の攻撃作戦にも参戦している。その際日本の特攻機による攻撃を受け、その部分が確認されるように展示してある。そこにはその特攻機のパイロットの名前と写真が飾られており、パイロットの勇気と技量を称賛し海軍葬をしたとのメモがあった。

 武人、かくあるべきと乃木大将を思い出したが、戦艦ミズーリ記念館の入口にあるニミッツ海軍元帥の銅像を見て、そこでもまた武人の心を思い出した。ニミッツ元帥は日露戦争に観戦武官として参加している。旗艦三笠を率いる東郷平八郎元帥の戦いぶりを見て、東郷元帥を尊敬し、その指揮を手本として日本と戦っている。戦後間もなくダンスホールや水族館が設置された戦艦三笠を歎き、偉大な海軍軍人を偲ぶ記念物として保存されるべきだとしてお金を集めている。それで記念艦「三笠」は横須賀港にある。

 パラオのペリリュー島にもニミッツ元帥の武人の心を示した碑があると聞く。是非訪ねて慰霊の祈りを捧げたい。

 特攻と言えば神風特別攻撃隊の創始者である大西瀧治郎海軍中将を思い出す。家族を思い国を思い、後に続くを信じて散華した特攻隊員。大西中将は、昭和20年8月16日に遺書を残して自決している。

 遺 書

特攻隊の英霊に申す 善く戦いたり深謝す
最後の勝利を信じつつ肉弾として散花せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり、吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い
聖旨に副い奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり
隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ
諸士は国の宝なり 平時に処し猶お克く
特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と
世界人類の和平の為 最善を尽せよ

海軍中将 大西 瀧治郎

それにしても、身命を賭して国を守らんとするこの強い信念は、どこから生れてくるのだろうか。




「士規七則」と「教育勅語」

 ある時、一つのヒントに出合った。たまたま訪れた四国松山市の護国神社境内で「天壌無窮」の石碑を見つけた。二つに割れた跡がある。米軍が壊したのだという。その石碑をよく見ると、秋山好古謹書とあった。「そうか明治の軍人は日本の成り立ち、古事記、勅語を学んでいたのか」と納得した。

 そしてもう一つ、吉田松陰の「士規七則」である。「士規七則」とは松陰が獄中(野山獄)から、従兄弟である玉木彦助の元服式(十五歳)に贈った武士の心得七ヵ条である。是非調べて全文を読んでもらいたい。

 日本人は君臣一体、忠孝一致の民族である、武士として義に生きよ、人間として聖賢を師として自己を磨けよ。そのためには、志を立てること、友を選ぶこと、書を読むこと、を実践しなさいと教えている。

 これを何度か読み返しているうちに、これは「教育勅語」とつながっているように思えてきた。こうした武士の生き方が明治の武人に引き継がれていると思えたからである。そう思って「教育勅語」を読むと、なおその感を強くした。

 世間では「教育勅語」は良い教えだが、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし」が良くないという人がいる。「君臣一体、忠孝一致」が日本精神である。国を国民が守らなくて誰が守るというのか。戦いという言葉をアレルギー的に嫌うのは「戦いは絶対悪」「戦争をした日本は悪い国」という戦後教育の結果である。こういう思想から抜け出ない論者や学者、政治家が日本に多くいる。マスコミもまた同じである。これでは歴史ある日本を守ることはできない。国会議員は国のかじ取り役だけに、日本の歴史に誇りを持たない者はリーダー失格である。

「士規七則」や「教育勅語」で示された生き方が明治維新で活躍した志士たちを動かしてきたのではないか。最近出版された「『吉田松陰 武教全書講録』全訳注 川口雅昭(K&Kプレス)」を読むとそれが納得できる。実践に即した武士の生き方、戦い方、国を守るためにどうなるべきか、その行動哲学が満載である。




戦争はいまでも国際政治における「現実」である

 それと繋がったのが今年の一月に出版された、「李登輝著『新・台湾の主張』PHP新書」である。現実的に国を守るための考え方が記されていた。

「……国家の防衛を委ねる国際組織なども存在しない。……国際社会の安定を考えるうえで、各国間の抑止や威嚇による均衡を無視できない。……戦争はいまでも国際政治における『現実』である。その現実を冷静に見つめて軍隊を保持し、戦争に訴えることなく秩序を保ち、国益を増進する方法を考えるのが、もっとも有効な見解だと言える。」

 安倍総理がすすめる集団的自衛権は、まさにこの文脈の中にある。集団的自衛権に反対する者は、李登輝氏が言う「現実」を正しく見ようとしない。しかし政治は、そういう人達の命も守らなければならない。だからと言ってその人達に迎合するわけにはいかない。そこが政治の難しさである。将来に亘って国家国民を守るという強い信念を持って行動するリーダーと、それを支える国民がいて初めて「現実」に対処できる。その意味で私は、安倍総理を応援することが日本国家に貢献することになると思っている。

 ハワイから戻り中田整一編『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』(講談社文庫)を読んだ。時間のない中で真珠湾攻撃を考えての猛訓練、択捉の単冠湾(ひとかっぷわん)に集結。そして厳寒の港からハワイに向けて出港。国を守らんとする思いがビシビシ伝わってきた。その心を忘れないで生きることが、日本人として生きることだと改めて思った。
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