新たなる飛躍を目指して
日本青年社の苦闘と民族派の進むべき道 

平成23年11月10日

 平成23年は日本国民にとって戦後最大の試練の年となった。1000年に一度という、未曾有の大震災は津波と原発事故を引き起こし、被害を一挙に拡大した。更に世界経済の不安定により、円高、デフレによる国内経済の不況は復興の力を削いでしまっている。このような国家浮沈の危機に対して力を発揮すべき政府が素人集団である民主党政権である事も不幸の連鎖であった。しかし日本国民は不屈の日本民族の精神があり、人々の心の底に埋もれていた、連帯と共助の精神が自然発生的に生み出され、災難を日本再生の機会とし世界をリードしてゆく奇跡を実現してゆくであろう。 



今こそ、日本精神復活の時


 国難の時こそ、物事はその本質を表す。3.11三の東日本大震災を取材した外国人記者たちが一様に驚嘆した事は、日本人があの混乱の中で秩序を守り、多くの人々の犠牲的救助活動を目のあたりにしたからであった。

 この日本人の「国民性」はいかにして生まれてきたのであろうか。その答えは「日本」という国にあり、日本の風土から生まれたものであると言えるだろう。日本は春夏秋冬の季節があり、山の国であり、海の国でもある。光と水と土と緑の豊かな国土の自然が日本であると同時に地震、火山、台風という天災も重要な日本の要素である。つまり自然の偉大さ、自然に逆らう人間の愚かさを認識しているのが日本人の特性である。豊に実った農作物を台風により一夜にして失う恐れを知っており、その為に勤勉と貯蓄の必要性が身に付いたのである。もし日本が自然の恵みだけがあたえられていた国であったなら、今日の日本と日本人は無かったのであり、天災といういましめこそ、日本にとって不可欠な要素であったと言えるであろう。

 このような日本の風土から生まれた日本精神、日本文化こそ日本人が決して失ってはならない日本人の「あかし」であり原点なのである。私たち「日本青年社」はそれを「自然と共生 環境と調和」というスローガンにまとめあげたのである。

 戦後日本人は敗戦により、より日本的なものを否定し、戦勝国アメリカの物質的豊かさ、個人的利益を最優先にする精神、文化、教育を受け入れてきた。アメリカ型資源浪費社会は、日本人から節約の精神、「もったいない」という感覚、自然と共に生きるという生活スタイルを奪っていった。しかし今回の大地震は日本人に戦後の日本の生き方に対する反省と疑問を投げかけた。「わざわい禍を転じて福となす」という諺もある。今こそ日本精神復活の好機である。


領土問題は民族派の最大課題


 日本国内が大震災の処理に手いっぱいという状況を見透かして、日本の領土に対し、様々な圧力をかけてきている国がある。北方領土を不法占拠しているロシア、竹島を不法占拠している韓国、尖閣諸島の領有権を主張する中国だ。領土問題は国家の基本問題である。いかなる国も、国民と領土により国家が成立しており、この問題に真剣に取り組まない国は滅亡するしかない。しかし我が国に於いて、戦後、国家意識と領土意識が希薄になっているのも事実である。その中で我々民族派は奪われた領土の奪還を求めて運動を展開してきた。日本青年社は常にその先頭に立ち、右翼、民族派の限界を突破し戦い続けたのであった。

 北方領土奪還の闘いは、徒歩デモという、当時の民族派の運動形態としては初めてのスタイルを取り入れ、日比谷野音を埋め尽くす動員を成功させ、ソ連大使館に怒りの抗議を行い、その運動は全世界に配信された。

 又平成21年3月には、日露両政府の交渉の突破口を開くため、31名の訪露団を結成し、ロシア訪問を実現した。モスクワ、クレムリンを始め、サンクトペテルブルグを訪問し、ロシア政府高官、議会、大学などで話し合い、交流を深め、領土問題解決への道筋をつける事に成功した。

 尖閣諸島領有については、改めて言及するまでのなく、日本青年社の存在なしに尖閣を語る事は出来ないであろう。我々日本青年社は日本政府が昨年九月に中国漁船に対して行った対応を猛省し、二度と同じ轍を踏む事が無いよう迫るとともに、我々が建設した灯台だけでなく更なる実効支配の強化を要望している。

 日本青年社は国民大衆の先頭に立ち、領土死守の闘いを大きく進めなければならない。

 問題は竹島問題だ。日本政府は不法な韓国の占拠、軍事支配に対し、有効な対応をしていない。「北方領土の日」は制定したが、「竹島の日」は島根県議会のみの制定であり国民運動にしようという意気込みは全く感じられない。韓国側は反日運動を巧みに利用しながら領土主張をしており、理性を欠いた国民的熱狂に支えられている。最近の事では、自民党の三人の議員の入国を拒否した。理由は「安全が保障できない」ということだが、本当のところは鬱陵島へ行かせない事が目的であった。そこには竹島が韓国領だというデッチあげが多数存在し、そのどれもが学術的に通用しないものである。自国民へのキャンペーンには使えても、国際的に全く価値のないものを見せたくなかったのであろう。

 更には最近になって、ソウルの日本大使館の前に「従軍慰安婦」の記念碑を立てる計画が進んでいるという。韓国外交部は日本の玄葉外務大臣に「従軍慰安婦への保障」を主張してきたところをみると、竹島とからめて反日キャンペーンを行う意図が明白である。又竹島周辺に実効支配を強化する施設を建設する計画も浮上している。これでは日本政府が思い出したように「竹島は日本の領土だ、日韓間に領土問題はない」などと呟いたところで、国際社会は竹島は日本領とは認めなくなってしまうだろう。日本国民は勿論、日本政府も決死の覚悟を持って竹島の奪還へ向かわなければならない。領土問題に妥協はあり得ない。

 唯一あるとすればそれは裁判だ。ハーグ国際司法裁判所に両国で提訴すれば領有権は定められる。日本にとって裁判は有利とは限らないが、少なくとも現状で推移することは最悪の結果を招くだけである。現在判事の過半数はサンフランシスコ条約加盟国であるが近い将来、日本の敗戦の経緯を知らない人々が判事になれば、「実効支配」が最大の力を持つ。現実は韓国が実効支配しており、日本の正義は否定されるのである。

 過去にもハーグ国際司法裁判所への提訴は試みられたが、韓国の不同意により実現しなかった経緯があり、結果は同じだとあきらめる意見もあるが、国際社会に日本の立場を主張し、韓国が自らの立場が国際社会に通用するかどうかを問い詰めてゆく事が出来れば同意も可能になる。その為には政府、国民が一体となり、不退転の決意が不可欠である。外務省の一部ではすでにその作業が行われているという話も聞くが、日本青年社は民間の立場から断固推進させなければならない。


「右翼・民族派改革元年」の持つ意味

 平成11年、日本青年社は大きな転換点を迎えた。旧態依然とし右翼のままの存在でいいのだろうか、という問題であった。そこで打ち出した方針こそ「右翼・民族派改革元年」であった。従来の右翼は自らの運動に対し、国民大衆の支持を求めることはなく、孤立することを是とする運動であった。こういう右翼の「ひとりよがり」の運動から脱皮し、国民大衆の正義に意識を引き出し、国民大衆とともに闘ってゆく運動、組織にしなければならないという痛切な想いから方針の転換を行ったのである。

 直ちに社友会を結成して全国社友会を立ち上げ、数少ない地方議員を軸に議員同志連盟を結成した。最大の難関は日本青年社自身の体質を改善することであった。まず会議を変えた。今まで始めから終わりまで会長の訓示だけの会議が各役職からの発言に変わった。支部長会議は全国代表者役員会議に変わり、地方支部の三役が会議に参加出来るようになり、総本部の方針が地方に浸透するようになった。そして全社員が職業を持つことを義務付けた。

 これは金儲けの為の活動と日本青年社の活動を区別し、違法活動を禁止にする方針でもあった。しかしこの方針によって脱落していった部分が出た事もあったが逆に、その純粋さに共鳴し、加盟する者も出てきた。

 日本青年社は出自が任侠団体であった事で一般社会から色メガネで見られてきた事もあったが、社員一人一人の自己改革により、今ようやく一人前の政治団体として認められつつある。長い間の苦闘が報われる時が到来したのだ。新たなる飛躍を目指して。