尖閣諸島を再び襲う中華の高波

平成22年8月25日
政治学者・殿岡昭郎「尖閣諸島 灯台物語」著者

 5月3日付「産経新聞」は、日本固有の領土である尖閣諸島(中国名・釣魚島)に対し、領有権を主張する台湾団体「中華保釣(尖閣防衛)協会」が世界各地の華人が集結し、世界中から船などで同島上陸を目指す「全球保釣大同盟」を結成する計画を推進していると報じた。1972(昭和47)年の沖縄返還に伴い、アメリカから日本へ尖閣諸島の施政権が返還されてから40年となる来年7月16日に合わせ、参加団体に同島上陸を呼びかけるという。

 尖閣諸島は沖縄の南、八重山列島・石垣島の北北西の東シナ海に浮かぶ小群島で、総面積は皇居前広場の11倍に過ぎない。明治20年代に古賀辰四郎・善次親子が開拓に乗り出し、島に群生する海鳥の羽毛採取をはじめ様々な事業を手がけ、最盛期には200人を越える従業者が主として鰹節生産に従事したが、昭和15(1940)年に燃料不足で撤退してからは無人島となっていた。ところが1968(昭和43)年、国連機関の調査で約4億トンと推定される石油資源が存在することが確認されるや、それまでまったく無関心だった中国、台湾は自国の地図や公文書を改竄(かいざん)してまで同諸島の領有権を主張するようになり、日中平和友好条約締結直前の1978(昭和53)年4月には百隻を越える武装漁船壇が5日間にわたって同海域に居座るという事件も発生した。

 この事態に日本政府や自民党も危機感をもったものの、中国を恐れ何も具体策をとらなかったのに対し、日本最大の右翼団体といわれる日本青年社は日中条約調印の同日、同諸島・魚釣島に建設した灯台に点火し、10年後にはその立替え灯台を、また1996(平成8年)年には北小島にも二基、合計四基の灯台を建て、26年間にわたり保守点検作業を続け、2005(平成17)年に小泉内閣の要請でこれを国家に移譲した。この間、1996(平成8)年には、香港の活動家が尖閣海域での抗議活動中に海に飛び込み溺死したり、同年と2004(平成16)年には台湾人と中国人が海上保安庁の警備をかいくぐって魚釣島の上陸し、国旗などを振り回し、中国、台湾の領有権を誇示する事件も起っている。

 最近、中国海軍の海洋進出は著しく、4月10日に沖縄本島と宮古島の間を一周して東シナ海に帰還したが、航海の行きと帰りの二回、中国艦搭載のヘリコプターは海上自衛隊の護衛艦に異常接近するという挑発行為を行った。さらに日本政府の抗議に対し「日本の監視活動に対する必要な防衛措置だ」「中国の艦艇が、さらに多く頻繁に外洋に出ることに日本は順応すべきだ」と開き直る有様で、いよいよ尖閣諸島をめぐる日中決戦のときは近い。

(平成22年5月14日)