日本精神の崩壊の危機に対し  
   民族派は力の限り闘い抜け!

平成21年10月29日

 総選挙の歴史的大勝利を手にした民主党は早くも外交、防衛などの我が国の根幹に関わる、重大な改変を行う徴候が見られ、心ある多くの憂国の士に不安感 を与えている。また選挙の勝利を目的にした大衆迎合のためのマニフェストに振り回され、国民のための政治を忘れ、選挙のための政治に明け暮れている。
 初めて政権奪取した素人集団の試行錯誤とは言え、国の行く末に対し重大な影響を及ぼす事態が生まれた時には、我々民族派は断固とした決意を持って対峙しなければならない。




保守思想の低迷と左翼勢力の台頭


 世界共産主義のリーダーソ連邦の崩壊とベルリンの壁の解体に象徴される追随社会主義諸国の壊滅によって、共産主義、社会主義の思想的敗北が、全世の 人々に認知され、我が国に於いても、左翼思想にかわり、保守思想が台頭し言論界をもリードしているかのうような様相を呈していた。しかし左翼思想は巧妙に生き続けていた。一つは贖罪主義というベールを被り、我が国の過去を口汚くののしり続け、東京裁判史観を金科玉条とし、靖国神社を否定し続ける運動として生き残ってきた。もう一つは日本の倫理・道徳を教育の中から追放し、日本人を根本から変えてしまうという運動である。この二つの運動は一見左翼運動とは無縁であるように見えるが、巧みにリベラル派を巻き込んで多数派を形式しているのだ。保守派は自らの客観的優位性にあぐらをかき、「油断」したのである。

 保守派は戦後六〇年、常に政治の主導権を握ってきた。官僚の能力に支えられ、敗戦という最悪の事態から立ち直り、世界有数の経済大国として再生したのである。しかし国家の基本を欠いたまま続いた繁栄はリーマンショックという経済的外圧と豊かさを求め続ける国民に対し、大衆迎合主義をチラつかせただけで、見事に政権交替が実現したのである。この事は何を意味しているかのであろうか。

 少なくとも世界経済が全体的に繁栄に向かって進んでゆくとは考えられない。環境問題、食糧、資源問題という非常に困難な課題を全ての国々が抱え込み、全国民が最大限の努力を積み重ねる事によって生き残る事が可能であるという厳しい現実が私たちの未来である、という認識が求められているのである。しかし日本国民は、それとは別の道を選んだのであった。



民族派の進むべき道は何か

 日本青年社は昨年、自らの思想的位置付けを「保守民族派」と定め、旧来の「右翼」との違いを「ひとりよがり」を改め「大衆と共に」歩む、責任ある政治団体とした。日本青年社のもう一つの方向を示すものは社友会、議員同志連盟の存在である。特に議員は各地区に於いて選挙という洗礼を受け、大衆的支持なしには存在しない。いわゆる「右翼」にとっては最も困難な突破口でもあるのだ。日本青年社は社友会、議員同志連盟を両輪とし、国民大衆と共に国家、国益の為に闘い抜く存在である。保守民族派として登場する日本青年社は国民大衆と共に闘う「行動する民族派」であり、議会政党を目指すものではない。それ故我々にとって「大衆迎合」は全く必要としないのだ。

 これらを前提として日本青年社が突き進む方向性を明確に示す必要があるだろう。

 先ず第一に我が国を「まともな国家」に再建することである。戦後、様々な形に歪曲された日本を、一つ一つ建て直す戦いである。憲法の改正、東京裁判の見直し等々、数えあげれば切りがない程、課題は多い。その中で政治的に効果的な運動を選択してゆくのである。

 日本青年社が現在取り組んでいる運動の中で、三ケ根山の殉国七士廟参拝活動は、東京裁判こそ、戦後社会の歪みを生み出した原点としてとらえ、A級戦犯として処刑された七士への供養を通して東京裁判の不条理を明らかにする運動として非常に重要である。毎年四月二十九日、日本国民がゴールデンウィークの始まりの日として行楽に浮かれている中、日本青年社は一回も休む事なく、敗戦の犠牲となり無念の処刑をされた七名の英霊を心の底から慰霊する行事を続けてきた。この運動は必ず全国民から高い評価を受け、三ヶ根山が聖地として認識されていくであろう。戦没者の慰霊活動は民族派の原点となる活動である。なぜならば、祖国を守る行為こそ、何にも増して国民の賞賛を浴びるべきものであり、戦没者への尊敬の念を持たない国民と国が自らの滅亡を招くことは歴史が証明しているのだ。民主党・鳩山首相は靖国神社への参拝を自分だけでなく、全閣僚も禁止した。

 更にこの傾向は強まり、靖国神社に代わる代替施設を本気で造る方針を打ち出した。「どなたも、わだかまりなく戦没者の追悼ができる国立追悼施設の取り組みを進める」と政策集「INDEX二〇〇九」に明記したのである。小泉首相も時の官房長官福田康夫にこの構想を進めさせたが、本人が靖国参拝を欠かす 事なく続けた為、腰くだけになり立ち消えとなった。今回は鳩山首相の持論を政策として提示したものであるため、国民の強い反対運動がない限り実現する可能性が高いのだ。鳩山首相はなぜ靖国神社を否定したがるのか、その理由は「A級戦犯合祀」を中国などに批判されるというものである。アメリカに対しては「対等」な立場を強調する鳩山政権も中国に対してはなにも言えない事を表明しているのと同じである。自国民の戦没者を追悼する施設を外国の意向に従って建設するという卑劣な哀れな国がほかに存在するのであろうか。日本国民は靖国神社を追悼の中心施設と考えている。年間六〇〇万人の国民が参拝している施設を無視して別の施設造る意味がどこにあるのであろうか、「ムダを無くす」をキャッチフレーズにしている民主党が、無駄の象徴であある代替施設を造るとは言語道断である。日本青年社は当然の事ながら断固とした反対運動をとらなければならない。



平和運動拠点の追悼施設


 日本青年社のもう一つの戦没者慰霊の運動はタイ・カンチャナブリ県の平和祈念公園に於ける慰霊活動である。遠く異国の地で散華した多くの戦没者の無念を慰さめ、世界平和を祈る施設として平和祈念公園は、日本人だけでなく、戦いで犠牲になった、全ての戦没者を弔う「怨親平等」の精神によって建立された。「敵・味方の差別なく絶対平等の慈悲の心」こそ日本の武士道の精神であり、これこそが日本精神そのものではないだろうか。日本青年社は「民族派」の思想を自国民だけ幸せになれば良いという狭い器量のない小さいものとして考えない。日本精神は他民族との共生の中で本領を発揮するものであると考えられている。そのように従来の民族派の考えから脱却した思想によって建立された平和祈念公園は世界平和を祈る、平和運動の拠点ともなりうる追悼施設でもあるのである。



混迷する日本を救う唯一の道


 日本青年社の進むべきもう一つの道は戦後失われてしまった日本人の心の回復である。私たちはこれをスローガンとして「倫理・道徳・品格の向上」と定めた。日本人が本来持っていた、倫理感や道徳心が国民の中から失われ、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという個人至上主義が、家庭崩壊・親子断絶・兄弟による財産争いへと進み、家族が助け合い、家を守るという基本がくずれてしまった。老人は家族に頼れず年金に老後の生計を期待する、若者は親の協力が得られず子供も生めない。少子化が起こり年金が不安定になり、社会不安が起る。本来少子化現象は先進国では起り得るもので、人口爆発が進み、環境悪化の最大の原因が世界人口の爆発的増加である事は誰もが認めるているところであるが、CO2削減については言及し、世界的対策をとろうとしているが、人口爆発については誰も発言しようとはしない、日本では故息にも、年金の安定の為に少子化対策を考えているのである。


 「倫理・道徳・品格の向上」の目的は、日本が世界に先駆けて作り上げ、現在に於いても類がない道徳教育である教育勅語を復活させる事である。確かに勅語は古めかしい表現をしているので、そのまま教える事は出来ないだろうが、その内容を国民教育として教える事が現在の混迷する日本を救う唯一の道である事は間違いない、しかし現民主党政権の中に、日教組出身者が多く含まれており日本の教育現場が左旋回する事が充分考えられる。今後行われる様々な動向に対し鋭い注意を払わなければならない。

 日本青年社、及び民族派の進むべき道は以上の二つに尽きると思われる。つまり、戦後歪められた国家を再建する事、この中には当然領土の回復も含まれる事は自明の理であり、憲法の改正も重要課題である。

 そしてもう一つは戦後変質した日本人の心を本来の日本人に戻す事、日本人の心に日本精神を復活させる事に尽きるのである。

 新たな政権下に於いて日本青年社の存在を明らかにし、これまで闘い続けてきた運動の意義を一人一人が明確に認識し更なる前進をかちとろうではないか。