東京裁判の不条理に反撃
〜三ケ根山殉国七士墓前祭 盛大に挙行〜

平成19年 7月25日


  4月29日、愛知県幡豆町三ケ根山山頂に於いて、今年も殉国七士の墓前祭が厳粛な中例年になく盛大に執り行われた。 4月29日が「みどりの日」から「昭和の日」に変更され、昭和の最大の事件、大東亜戦争の敗戦と東京裁判を全国民が深く受け止め、戦勝国の私刑(リンチ)により処刑された七士の無念を共有する日として生まれ変わったのだった。

  日本青年社は歪められた戦後を正し、道義国家を再建するために「東京裁判再審請求」を掲げ戦い抜いてきた。そして三ケ根山墓前祭こし、その戦いの出発点であり、拠点である。

  日本青年社は責任ある団体として、首都圏を中心に全国各地から三ケ根山に集結した。地元奉賛会の万全たる準備のもと、祭主である福留佳子様、七士の遺族の方々、大東亜戦争を戦った旧軍人の方々、各地奉賛会の方々、民族団体の方々等、心ある人々によって、会場は溢れるばかりの盛況であった。式典が終わった後も、あちこちで交流を深め、最後に来年の再会を誓い帰路についたのであった。特に今年は参加者が増加し、東京裁判への批判の広がりを感じさせた一日であった。



●東京裁判はどんな裁判だったのか

ここでもう一度東京裁判の本質を確認しておこう。戦後教育を受けた人々は、東京裁判が決めた歴史観「日本は悪い国だった」「日本は侵略国だった」「日本は人権を無視した国だった」などと教えられ、それに疑問も持たずに生きてきた。しかしこの東京裁判は、いかなる国際法にも、いかなる国の法律にも基づかず、占領軍のマッカーサー司令部の参謀部が勝手に作った要項に基づいて行われた。裁判という名が付けられてはいたが、判事は全て戦勝国ないしはその関連国から選ばれ、国際法専門の判事はインドのパール博士ただ一人というものだった。

  そもそも裁判というものは、原告と被告があり、それらに対して中立的、公平な判事が存在して成立するものだ。法律もなければ、公平性もないものは裁判と言えない。無法による私刑、これが東京裁判の実態であった。それ故日本は一貫して世界支配を目指す侵略国として断罪させられ、南京大虐殺というナチスのホロコーストにも匹敵する虐殺が行われたと断定された。弁護側の証拠は何一つ採用されず、弁護人の追求には何も答えなかった。東京裁判の目的は裁判の名の下に、日本が二度と立ち上がれない国にすることであった。


●マッカーサーは東京裁判の誤りを認めた


 東京裁判は法的根拠がなく、マッカーサーの権威だけで行われた裁判であった。しかしそのマッカーサーが、裁判終結から2年足らずで自らその誤りを認めた。最大の根拠は朝鮮戦争であった。コミンテルンの指示を受けた北朝鮮の半島全域の共産化を目指し、中共の支援の下、南下した。放っておけば半島はおろか満州・中国全土が赤化することは目に見えていた。東京裁判で日本の弁護団の言っていることが、その通り進行していた。アメリカはマッカーサーの進言を受け、ただちに日本の独立を認めるサンフランシスコ条約の調印へと準備を整えたのだった。当時のマッカーサーは対共産戦の作戦として満州爆撃と東シナ海の港の全面封鎖をトルーマン大統領に提言した。何百万人という中国軍をくい止めるには他に方法がないと実感したのであり、それは日本軍が行ったことの正当性を示すものであった。トルーマンはソ連との全面対決になることを恐れ、マッカーサーを本国に呼び戻し説得した。その時のマッカーサーの上院の軍事外交共同委員会の証言で「日本がこの前の戦争に入ったのはセキュリティーのためであった。侵略ではない」と言い切ったのだった。東京裁判が下した「日本は侵略国である」という判決を、東京裁判を開かせた張本人が否定した歴史的発言であった。セキュリティーというのは「安全」とも訳せるし、「自衛」とも言える。また「生き残る」とも訳せる。現在問題になっている「自衛権」と考えてもいい。つまり万国共通の普遍的権利の下に行われた戦争であったと位置づけたのである。東京裁判の全面否定をマッカーサーがおこなったことで、日本は堂々と東京裁判を否定する立場を持つことが出来た。しかし残念なことにそのような展開を示すことが出来なかったのだ。一体その原因はどこにあったのであろうか。


●「公職追放」の嵐

 最近の靖国問題の論点で「日本の独立はサンフランシスコ条約の成立によって認められたのだから、十一条にある『裁判を引き継ぐ』という文がある以上、東京裁判を認めざるを得ない」という主張が民主党などから言われた。この日本人とは思われない主張は大きな誤りを犯している。日本政府は処刑された七人は別にして「刑の執行はそのまま続けて欲しい」というアメリカの言い分を認めたが、その条項の後半部分「日本政府が適当と認め、関係の国の過半数の同意があれば、刑はなくしてもいい」という趣旨の言葉がついており、その主旨に基づいて、日本政府は独立後、直ちに国民の意志として署名活動を行い、四千万人という、当時の有権者のほとんどの賛同を得て国会決議を行った。共産党を含む満場一致の決議により関係各国に打診したところ一国の反対もなく、戦犯は無いことになり、全員が釈放された。つまりサンフランシスコ条約に基づいて戦犯の刑がなくなり、日本には戦犯が存在しなくなったのだ。それ故にA級戦犯であった重光葵氏は鳩山内閣の副首相・外務大臣として国際的活動をし、日本の国連加入時には、日本代表として演説し喝采を受けたのだった。この時国際社会は日本に戦犯は存在しないことを再確認したのである。

  このような事実があるにもかかわらず、昨年の10月5日、民主党の菅直人副代表は安倍首相に対し安倍首相の祖父が岸信介であり、開戦時の東条内閣の商工大臣だったことを理由に「責任を感じるか」という質問をしている。東京裁判がどのような裁判であったのか、それらの理解が出来ない政治家が存在している証拠であり、もし理解した上での質問だとしたら、卑劣極まりない人間ということになるだろう。この論法は現在の民主党の主流になっている。小沢党首も「東京裁判は様々な問題のある裁判ではあるが、日本の独立は東京裁判の判決を受諾して成立した以上仕方がない」と言っている。この「受諾」の問題は実は「判決」(ジャッジメンツ)の理解であり、何故複数形にしたのかという鋭い指摘を米田建三氏がしており、当時の日本政府と国民が戦犯を無実としたのである。そればかりか世界中が日本の方針を了承し、無罪を認めたのである。


●興亜観音は吉田茂 三ケ根山は岸信介の筆

 殉国七士の墓は熱海市伊豆山興亜観音と愛知県三ケ根山七士廟にあるが、どちらも奉賛会の人々により手厚く供養されている。かつて大東亜戦争の戦犯として、一切の弁明もせずに極刑に甘んじて受けてた七士の霊を慰めるため、時の宰相は自らの筆をしたため碑を建立した。長い歴史の中で左翼過激派による放火、爆破などの災難を受けたが、心ある人によって、三ケ根山七士廟は4月29日、興亜観音は12月23日、静かに厳かに慰霊祭が営まれている。東京裁判によって失われた日本の心を取り戻す最大の恒例行事として、日本青年社が取り組む意義を全員で再確認しなければならない。