世界人口の爆発的増加を抑制し自然と共生する人間社会を

平成19年 5月14日


  世界の人口が64億人を超えた。20世紀の初頭、世界人口は15億人と言われていた。当時の新聞はこの人口増加に警鐘を鳴らし、産児制限や移民を訴 え、それが国家の政策となり、実行に移された。米の生産量も人口増加に追い付かず、外米の輸入も開始され、食糧危機が国民の危機意識を高めた。

 100年後の現在私たち日本人は、
飽食の時代に生きている。食糧の大半は輸入に頼り、自給率は4割にも満たない。それどころか全輸入量の半分が廃棄物として捨てられ、日本国中ゴミの山である。そのような中で私たち日本青年社は「自然と共生・環境と調和」というスローガンを掲げたのであった。それは人間の尊厳を守りつつも、人間の放慢さを戒めるスローガンであり、世界の中の日本を意識したものであった。


環境破壊の最大の元凶は爆発的人口増加

 有史以来の地球の人口の推移を見てみると、定住と農耕が始まった8000年くらい前に人口増が始まり、紀元元年くらいに3億人になり、18世紀の第一次産業革命を経た頃には人口増加率は年0.8%に跳ね上がった。20世紀に入り石油を使うようになると1.85%に跳ね上がり、人口は15億人を超えるようになった。エネルギー消費と食糧増産により、人口増加が起ることは明白であり、炭酸ガス増加はその副産物にすぎない。20世紀に入ると半世紀ごとに世界人口は倍増している。1950年には32億人となり、21世紀・2000年には64億人を記録した。単純な予想では、2050年には128億人になってしまう。あと43年先の話である。

  地球上の人口の適切な量は約30億人と言われているので、2050年には百億人近い人間が余剰人口となる。これは様々な恐ろしい予想を生み出さずにはおかないであろう。「自然と共生」が単なるスローガンでなく、人類が未来を生き抜く道として、選択せざるを得なくなる唯一の方針である。


「京都議定書」「不都合な真実」の問題点

 環境問題の国際協定である「京都議定書」はCO2の削減目標を各国で定め、その実現を加盟国に義務付けた。しかし関係国のCO2排出量は世界全体の3割にすぎず最大排出量の国、米国・中国が外れていてはその効果は無いに等しく、各国に無力感を植え付けただけであった。

  その中で米国前大統領候補アル・ゴア氏が環境問題と地球の危機を結び付けた「不都合な真実」を書物と映画に依り発表し世界世論に訴えた。環境問題に対する注目を訴えた意義は大きいとしても針小 棒大な表現や自然の変化に対する曲解など、問題点は非常に多いので安易に同調することは危険である。問題の本質を見極めなくてはならない。特に地球温暖化の原因を全てCO2放出に求めているが、必ずしもそうでないという視点も必要ではないだろうか。

 人類が近い将来迎える困難のなかで最大なものは食糧危機ではないだろうか。現在ですら世界の4分の1の人々は明日の食糧を確保出来ないで生活をしているという。食糧の源は水と太陽(光合成)である。現在最大の穀物の生産地は米国でありその水源はロッキー山脈からの地下水の何百万年かけて貯蔵したものを吸い上げて使っていると言う。年々その水位は下がり採算性から多くの畑が放置されているという。又地下水に含まれる塩分が地表に蓄積され植物が育たなくなってきていることも指摘されている。メソポタミア文明が滅びたのもこの塩害によるものといわれている。

  明るい事もある。CO2の増加は光合成を促進する要素でもあるし温暖化が寒冷地を少なくし増産も可能にする。特に日本では米の生産が主力である為、水田が多く塩害が起こらない。気象変動が起こらない限り、日本は有数な農耕地として生き残るだろう。

  しかし現在の日本の現状は、豊かな自然を農業の衰退と共に生かせずに、世界中の農作物を金にまかせて買い漁っている。 つまり、ただでさえ不足している世界の水を、1番水が豊富な日本が買い漁っているのだ。環境問題は人口問題である単純な根拠は1人の人間が1年間に排出するCO2は10トンと言われている数値にある。特に石油や石炭、天然ガスにエネルギーを頼る先進国の生活スタイルを変化させない限り、天文学的CO2の排出は減少出来まずに人類は破滅に向かわざるを得ない。

  では世界の爆発的人口増を抑制する道は存在するのか。日本の進むべき道は何 なのか。この考察こそが今求められている。

※京都議定書
京都議定書とは、「気候変動枠組条約第3回締結国会議(COP3)」で採択された、二酸化炭素など6つの温室効果ガスの排出削減義務などを定める議定書 のこと。この会議が1997年12月に京都で開催されたことからこう呼ばれている。



少子化問題は本当に問題か

 「少子化」という言葉は1992年度の国民生活白書で使われた造語であり、そのころから問題になってきた。主に年金制度とのかかわりの中での問題であった。だがこの問題はもっと巨視的に世界の環境、人口問題との関連の中で把えるべきであり、日本の現状は悲観すべきものでなく、世界に対し、小子化の中で豊かな国造りが可能である見本として提起されるべきである。中国は強制的一人っ子政策をとり経済的発展を実現したのであり、少子化は必ずしも国力低下をもたらすものではない。

 「自然と共生、環境と平和」このスローガンは民族主義を世界的に展開させる力を持っている。

 人間は自然に寄って生かされている存在である、人間は自然を支配する事は出来ない。この認識は古来、日本人が持ち続けてきた意識であり、宗教的にも、生活スタイルに於いても自然と共生がその根幹にあった。自然を愛し、自然の持つサイクルを利用し尽くすことの中で豊かさを求めてきた。

  しかし西洋文明は自然を破壊し、自然を支配する中で発展し、日本もその流れに捲き込まれていった。特に戦後社会はアメリカの大量消費社会に追従する事に疑問を持つ事なく進んできた。先進国の仲間に入る事により、世界中の食糧や物資を経済の力により集中させた。世界の格差は貧困を生み出し絶えることのない戦争を引き起こしている。現在それに拍車をかけるように、後進国に人口爆発が起こっている。

  食糧不足の深刻さは、我々日本人の想像をはるかにしのぐものであり、自由貿易を廃止し、保護貿易に転換する可能性は充分にあるとみなくてはならない。これは食糧だけなく、金属・石油・石炭などに及ぶであろう。この臨界点がいつ訪れるのか、資源輸入国、日本にとって死活問題であり、当然列強各国による資源、食糧争奪戦が始まるのであろう。

  私たちはあまりに平和ボケしてしまっている為に、そのような事態は考えようともしないし、考えたくもない。しかし現在のペースで人口増加が進めば、この予想はそう遠くない将来、確実に訪れるものであり、日本は好むと好まざるにかかわらず、最大の被害国にならざるを得ないのである。日本政府は「自由と繁栄の弧」と名づけて南アジアからヨーロッパへかけての結束と支援を試みている。資源確保の戦略として非常に有効であると考えられる。少ない資源、食糧を有効に利用し、日本の持つ省エネ技術を世界に普及する事により環境の悪化と人類の破滅を防ぐ道を拓くことこそ日本の進むべき道であろう。

 自己中心的民族主義はやがて衰退していくだろう。世界の中の日本を国際的視野の中で育ててゆく、本物の民族主義こそ、今求められているのだ。

(文責杉山)