エセ「革新的」自然保護運動の欺瞞を排す!
左翼の欺瞞を弾劾し、身体と大地は一体であることを主張する。

平成18年10月26日

 近年、自然保護運動が盛んである。いわく「山林を守れ」「伝統的な有機農業を守れ」「海を汚すな」「鯨を食べるな」。結構なことである。彼らが、その文字通りのことを訴えているならば、我々としても反対する理由はない。しかし、そう言っている彼らの素性や、運動の本質を少しでも調べてみれば、これがいかに欺瞞に満ち満ちているかがハッキリする。彼らの多くは、元々左翼の活動家であり、その運動理論の拠って立つところは、欧米から直輸入したものだからである。

 その一例として、「大地を守る会」を取り上げてみよう。

  同会は、七〇年代初頭に有機農産物の流通を目的に設立された組織である。今日の有機農業運動のはしりと言ってもいいだろう。

  当時、有吉佐和子という作家の書いた「複合汚染」という小説が話題となり、日常的に我々が口にしていた野菜や米が、いかに農薬や化学肥料に汚染されているかを、一般の人々に周知させたものである。同会は、こうした世論の流れを巧みに我がものとして発足した。

  初代会長は、藤本敏夫(歌手・加藤登紀子の夫と言った方が分かりやすいかも知れない)である。藤本は、左翼運動の経験者であるならば、知られた存在である。元反帝全学連の委員長であり、神田カルチエ・ラタン闘争(大学の多くが立地していた神田地区を、机などでバリケードを築いて警官隊と衝突した事件)で起訴され、実刑を食らい、出所後、入獄中の農業体験を踏まえて有機農業運動に取り組んだという経歴の持ち主である。これが過去の左翼運動の間違いを反省して、真の環境保護に目覚めたのであれば、我々としても共闘するに吝かではない。ところが、有機農業運動の名を借りた、新たな左翼運動の再編であるのだから、ことは容易ではない。

  次の会長(同会の内紛で、藤本は追放されたのだが、これも左翼の通弊といってもよい事態である)である藤田和芳は、元中核派の活動家である。藤田は、ごく限られた都会の消費者組織だった同会を、少なくとも全都レベルにまで拡大し、今や農林行政の深部にまでシンパを増やしている。また同会の創立メンバーの殆どが、元左翼活動家であり、生協に巣食う現役の活動家と連携して、着々と勢力の拡大を図っている。

 自然保護活動家の多くが、元左翼活動家であることは、今や広く知られた事実である。彼らは元々、組織活動に長けており、口当たりのよい理屈を考え出しては、人心を攪乱するのが常である。幸いなことに、彼らが単一な組織にまとめ上げられることはない。理屈は得意であるが、その得意な理屈に自らが縛られることが多く、結局は大同団結することができないからである。かといって、放っておけば自滅するかというと、そうもいかない。世論は環境保護の方向に向かっているから、いつ、そういう欺瞞的な運動に火がつかないとも限らない。従ってここで、彼らの運動がいかに欺瞞的であり、真の自然保護運動・環境共生運動とは程遠いかを、明らかにしておく必要があるのである。

 彼らの運動が欺瞞的である理由の一つは、彼らの言う「自然」という概念が、欧米流の「自然」を指しているからである。つまり彼らの思想というのは、欧米思想の直輸入であって、我が国伝統の「自然(じねん)」には馴染まない思想なのである。

 欧米式の「自然」とは、その対立項に「人間」を持っている。「自然」とは、人間にとって怖ろしいものであり、危害を加えるものである。その自然を、どう手なづけ、コントロールするか、その程度が高いほど「科学的」であり、「進歩的」なのである。これは一七世紀から二〇世紀に至る近代文明の(それも特にヨーロッパ中心の)歴史を振り返ってみれば、一目瞭然である。

 これに対して、我が国を含めたアジアでは、自然は豊かな恵みをもたらすものであり、人間に恩恵を与えるものである。そして何よりも、我々人間もその自然の一部である。従って、我が国の伝統に従えば、自然は保護するものではなく、共生するものであり、回帰するところ、なのである。

 いわゆる「革新的」自然保護運動の最大の誤りは、ここにある。彼らが例えば、有機農業運動について言っていることを見ると、農薬を使ってはいけない、化学肥料を使ってはいけない、と言う。これは明らかに西洋の農薬を頭において言っていることである。農業は、欧米語ではいずれも「アグリカルチャー」を基本としている。「カルチャー」とは「耕す」という意味である。つまり西欧の土地は、耕すことをしないと農作物が育たない土地なのである。ヨーロッパへ行ったことのある人ならば分かるが、彼らの耕地は驚くほど浅い。土地が固いために、深い耕土を得られないのである。かてて加えて、西洋の気候は冷涼で、作物に害を与える虫類の生息が難しい。それに引き替え、漢字の「農」という字は、「貝殻で葉類を切る」という動作を表わしている。つまり作物は、あらかじめ自然から与えられているのである。「農」は、それを入手するだけのことなのである。従って、さほどの苦労もなく作物が手に入る。その代わり、作物に好適であることは同時に、虫類にとっても好適の地であり、それゆえ虫害に対する防御には大変な労苦を伴う。こうした違いがあるにも関わらず、いわゆる「有機農業」を提唱する、自称自然保護派は、欧米流の「有機栽培基準」を主張して恥じることを知らない。これは欧米の「自然」概念を何ら反省することなく、保護を訴えているに過ぎない。

 我が国の農業は元々、戦争前までは有機農業なのである。肥料には下肥や魚介類を使用していた。虫類や雑草の駆除には人手で当たっていた。これを止めさせたのは、戦後の進駐軍と農林省である。大量の化学肥料や農薬を農家に買わせるよう、指導してきた。狭隘な田畑を整理し、不必要なまでの大規模な灌漑を施し、農作業の機械化を進めてきたのは、「近代農法」という美名に隠れた、西欧式「人間の支配する自然」という考えなのである。「革新的」自然保護運動とは、まさにこの図式に則った運動であると言える。

 彼らの欺瞞の第二に挙げられるのは、彼らが消費者の味方という仮面を被って、農村を破壊していることである。確かに我が国の農業政策は、伝統的に生産者主義的傾向があることは否めない。それは米本位制をとっていた江戸時代からの伝統であり、またそのことによって、世界に類例のない美田が長期にわたって保全されてきたのである。しかし彼らは、農薬を使うな、化学肥料を使うな、という消費者の我儘に乗っかって、農村の破壊に手を貸しているのである。農業に後継者がいない、というのは、一つはその労働が苛酷だからである。少なくとも昭和三〇年代の農作業は、殆どが人手に頼っていて、苛酷なものであった。それを嫌って、大量の青年労働者が都市に流出していった。それが農村の疲弊に拍車をかけたのは言うまでもないが、農薬と化学肥料の使用と、農業機械の普及によって、一定の歯止めがかかってもいたのである。それを止めろというのは、農業を知らない都市消費者の我儘である。そのことに思い至らず、有機農業を主張すれば、一部の「根性」のある農家を除けば、農村を破壊する道につながる。その傲慢さが、欺瞞だというのである。

 さらに第三は、彼らが農業をグローバル・ビジネスにしようと考えていることである。農業生産は、言ってみれば究極の安全保障である。自国民の食料を自国で充足できない国家が、保ったためしは歴史上ない。かのローマ帝国滅亡の要因の一つは、外国に高く売れるオリーブや柑橘類を自国内で生産し、穀類は植民地で生産したからである。ところが彼らは、農産物をあたかも工業生産物のごとく、規格を統一し、品種を均一化しようと企んでいる。農産物はすぐれて局地性の強い産物である。どこでもかしこでも、方法が同じなら、同じものが採れるわけではない。優れた農産物の育つ土壌には数万の条件が揃って初めて、当該の農産物ができるのである。土地が変われば、その優秀性は保証されない。そんなことも分からぬ輩が、農産物の効率的な流通を主張するのである。

 我々は、かかるエセ「革新的」自然保護運動派に組みすることはできない。我々が主張するのは、「人然一如」の運動であり、「身土不二」の精神である。欧米流の合理主義や自然概念に毒されない、我が国独自の伝統に基づく、真の自然との共生、環境との調和でなければならない。