民族派の使命は時代の先駆けにある

平成18年10月20日

 民族派の運動は、常に民族の未来を見据え、時代の先駆けでなくてはならない。日本青年社は結成以来、常に日本国民に対し、民族の危機を訴え、国家として為さねばならぬ運動を、政府、政治家、国民に訴え、自らも又、全力を尽くして実現すべく闘い続けてきた。現在日本青年社が掲げるスローガンは「東京裁判無効を明らかにする、東京裁判再審請求」と「倫理・道徳・品格の向上」に示されている。戦後社会そのものを根底的に見直し、国際社会に対し、凛とした日本及び日本人を取り戻すという非常にラジカルな方針なのであり、他の政治団体とは大きく異なるものである。


◆靖国神社・首相参拝を巡る不毛な論争


 日本青年社は結成以来、毎年4月29日愛知県三ケ根山山頂の殉国七士の墓に於ける墓前祭に、地元奉賛会の方々と共に参列し続けてきた。

 殉国七士とは当然のことながら、いわゆる「A級戦犯」という汚名の下に処刑された方々のことである。 極東国際軍事裁判という名ばかりの、戦勝国による一方的な私刑(リンチ)を敗戦国日本は受け入れざるを得なかった。戦争とはそういうものなのだ。弁明を一切許されず、天皇陛下への責任追及を一身の死をもって防いだ殉国の士に対し、日本国民は畏敬の念をもって、その霊を祭ることは当然のことである。連合国は軍事力をもって日本を打ち負かし、極東国際軍事裁判によって日本の精神を打ち砕かんとした。裁判は昭和21年4月29日、天皇陛下の誕生日に新聞に公示され、5月3日に開始された。そして7名の処刑は昭和23年2月23日、当時皇太子であった今上陛下の誕生日に行われた。この事実は未だに日本国民のほとんどが認識していない。

 この夏、東京裁判やA級戦犯を巡る論争がテレビ、雑誌、新聞など多くのメディアによって行われたが、この裁判の目的が、日本の国体の破壊、特に天皇そのものに対する攻撃であった本質を誰も見抜けなかった。

  日本青年社は三ケ根山殉国七士の参拝を唯一続けてきた団体である。

  日本の戦後の出発点は東京裁判にあると見抜き、その誤りを正すことなしには、日本の再生はないと主張し続けてきた。そして靖国参拝を巡る論争が、A級戦犯とは何であったのか、東京裁判は何であったのかという疑問に国民を導いたのだ。日本青年社は首相の靖国参拝にそれほど言及してこなかった。それはあまりにも当然のことであり、国民の義務であると考えたからである。

 1980年、当時の中曽根首相が中国の圧力で突然参拝を中止した。言語道断の決定であった。

  日本青年社は、この中曽根の決定に断固たる抗議を行った。多くの右翼団体やメディアは、中曽根の右翼風な言動に惑わされ、ほとんど批判することもなかった。しかし現在から考えれば、中韓などによる靖国批判はこの中止から始まったのであり、その罪の大きさは万死に値するものだ。外国の内政干渉を受け入れる国家は独立国とは言えない。歴史認識にしても、国が違えば歴史も違う、違いを認め、互いに尊重し合うのが外交の基本ではないのか。

 最近中国の指導部が「中国の国民を納得させる為、日本の戦争指導者と一般国民の責任を分けて説明した」と言っているらしい。これは共産党特有の階級闘争論に基づいて言っているだろうが、東京裁判そのものが「国民無罪論」なのであり、目新しいものではない。情けなく悲しいのは、日本国民の中に、戦争責任の「免罪符」を与えられ、中国、韓国に媚を売る者が存在することである。A級戦犯をはじめ東京裁判そのものを受け入れることにより、自分自身の戦争責任をのがれようとする人々が保守派と言われる者の中にも存在する。

 日本は明治維新によって支配階級の武士が、自らを否定し、滅すことにより階級社会を壊してきた。しかしその精神は武士道として全国民に浸透し、国民そのものが武士になった。そのような国民にとって、自分の罪を他者にになすりつける「支配階級悪者論」は受け入れることは出来なかった。国民は圧倒的多数の署名により国会は全会一致により戦犯を釈放し一般社会に復帰させた。政治家は政界に復帰し、日本の発展に全力を尽くした。独立と同時に日本は国連加盟を行った。国際社会はA級戦犯であった重光葵代表を日本の代表として迎え調印を行った。この時国際的にも戦犯の存在は無くなったのである。

 以上が日本青年社の一貫した主張であり、訴え続けてきた内容である。現在の時点でもその主張は光を失ってはいない。時の大きな流れは、それまで片隅に追いやられ見向きもされなかった存在を、人々の目にさらすことがある。日本青年社の存在と主張は、今ようやく表舞台に躍り出ようとしているのだ。



◆日本の混迷は戦後教育から生まれた。


 連合軍による、日本弱体化政策は大きく、三つが考えられる。一つは精神的打撃を与え贖罪意識を生え付ける東京裁判、一つは日本人の価値観を根底から覆す新憲法の制定、そしてもう一つは日本人が将来にわたっても再生不能にする為の教育の転換が「教育基本法」の制定と教育勅語の排除であった。この三つの問題の根底は一つである事は誰の目にも明らかであるが、この事を勇気を持って主張する勢力がどこにもないのが現状である。

 日本青年社は今年の新たなスローガンとして「倫理・道徳・品格の向上」を掲げ、教育の荒廃により乱れ切った現代社会を建て直す事を宣言した。

  この内容は教育の根底的見直しを図り、戦前まで日本国民の全てが自分自身の生き方を「教育勅語」により決めてきた事を重要視し、その復権、復活を目指すものである。なぜストレートに「教育勅語の復活を」と言わないのかという疑問を持つかもしれないが、そこには日本青年社自身に対する自戒が込められているからである。

  日本青年社は「右翼」「民族派」である。戦後の右翼は日本を建て直す事よりも、反共として保守陣営の御用部隊としての要素が強く、国民大衆からは「嫌われ者」「暴力集団」として存在していた。日本青年社は正義を貫き国益を求める集団として「右翼、民族派改革元年」をスローガンに自己変革と自己研鑽を積み上げてきた。 しかし、その成果は充分でなく、多くの国民に理解されてはいない。

  現在、日本青年社は地域の人々と手を結び、議員同志連盟を創り上げてきた。当初2名にすぎなかった地方議員はすでに20名を数えるまでになっている。血のにじむような選挙活動の結果である。それ故に「倫理・道徳・品格の向上」は組織の大前提にならざるを得ないのだ。

  教育勅語の復活は教育のみならず、社会そのものを復活させる事も理解しなければならない。教育勅語は原文を見ればわかるように非常に短く、国民の生き方を示したものであり、現在誰が読んでも理解できるものである。本文が難しいという者には口語訳もあるので、小学生も充分理解できる。かつては教育勅語は「修身」という形で子供たちに教えられていた。歴史上の人物の物語を知る中で、自然に倫理、道徳が教えられていった。日本人のほとんどが知らない事で非常に重要な事がある。日本とアメリカの根本的な差は教育である。

 日本では明治18年に「学校令」が発布され、国民教育=義務教育が実施された、アメリカで義務教育が開始されたのは、戦後25年を経た1970年である。 当時「暴力教室」なる言葉が流行し、映画の題材にもなったこともある。教育現場の荒廃に対しアメリカ政府は日本の修身教育を取り入れ、ようやく正常な教育が出来るようになった。

  しかし残念なことに当時日本では修身教育を捨て去り、「戦後民主主義」なる国籍不明の旗を打ち振る日教組の全盛期だった。教育勅語や修身の研究者は日本青年社が師と仰ぐ、小池正次先生ただ1人であった為、小池先生がアメリカ政府から派遣された教育者に、その内容を伝えたというエピソードがある。また前大統領クリントン氏が在任中に、世界中であなたが尊敬する政治家はだれですかと聞かれた時に、日本の上杉鷹山の名をあげたという。これは日本の修身の教育をクリントンが知っていた証左ではないだろうか。日本人の中でも上杉鷹山の名前と功績を知る者が少ないのに、米大統領がそれを知っていたとは、大いなる驚きである。

 先日の自民党総裁選挙の中でどの候補も教育の重要性と改革を訴えていた。しかし、教育勅語の復活に結びつく方針を示した候補はなかった。教育勅語・修身という言葉は古い封建主義や懐古的な響きを感じ、現代にそぐわないと考える人もいると思う。又戦前の軍国主義と結びつけて考える人もいると思う。しかし、軍国主義と教育勅語や修身は関係があるだろうか。世界中で日本の修身教育が行われ、見事に成功しているにもかかわらず、なぜ日本では否定されなければならないのか。日本青年社は日本再建の基礎を作り上げる為この問題を提起し続けなくてはならない。



◆民族派の使命は時代の先駆けにある


 日本青年社は常に時代の最先端に立ち、未来の日本を展望しなくてはならない。そしてその運動は地に足を張り、大衆と共に歩むものでなければならない。社会の中で少数派の我々の運動は常に多数派への道を用意したものでなくてはならない。少数派を是認し、「はねあがり」に甘んじてはならない。しかし、運動方針は妥協を求めず、常に未来の日本の国益を目指さなくてはならない。日本青年社の軌跡はそれを示している。日本は60年にわたる戦争のない、平和な時代を送る事に成功した。これは貴重な体験でありその教訓は大切にしなければならない。しかし、その一方で多くのものを失ってきた。その重さは当事者である我々自身、気付いていないものが多い。日本の平和は偶然の重なりと国民の努力により達成出来たものであり、奇跡に近いものである。この平和に酔いしれていると、どのような不幸が襲い掛かるかわからない。特に不安定な北東アジアに位置する我が国は、安全保障に万全の注意と対応が求められる事は自明の理である。

 日本は経済的には世界有数の大国になった。しかし、日本人の精神はどうだろう。世界中の食糧を買いあさり、そのあげく平然と捨ててしまう日本人の姿は世界の人々の目にどのように映っているだろうか。

 日本青年社の方針は常に時代の先駆けでなくてはならない。今の日本から一歩進んで、これからの日本にとって一番求められていることをテーマにし、その実現を成果にしてゆくことこそ我々の任務である。その為に常に求められる事は組織の拡充である。どんなに正しい方針でも、運動を進める人がいなければ、それは「空論」になる。日本青年社の目指す道は険しいけれども、夢と未来がある道である。