靖国神社に、土足で踏み入るな

平成18年 4月26日 編集委員会


 中国政府は、事あるごとに「靖国神社問題」を外交カードにを使っています。

  また韓国も訪韓した橋本、中曽根両首相経験者に対して、盧武鉉大統領が(軍国主義の見本である)遊就館に行ってみたかったなどと侮蔑的な発言をしたと伝えらていますが、そもそも靖国神社とは戊辰戦争から大東亜戦争までの日本人、台湾人、韓国人の戦死者を、「護国の英霊」として祀り、そしてご遺族をはじめ様々な人々の信仰の場として存在しているのです。また中国政府が、しばしば問題にする靖国神社には14名の戦犯が祀られているではないか、という筋違いの非難、あるいは国内にも、彼等は戦死者ではないのだから分祀せよ、という意見がありますが、これについても、靖国神社には戦没者の霊魂を取り扱う「位牌(物質的象徴)」がなく、分祀の対象(実物としての位牌)が存在しない以上、そもそも分けることができないばかりか、彼等は「昭和殉難者」であり、戦争を指導する立場にいたがために、不幸にして戦勝国から一方的に犯罪人に仕立て上げられた方達であって、その死の意味は、一般の戦死者よりも重く、深いと言わなくてはなりません。


 靖国神社に参拝するのは、小泉首相が言うように、誠に「心の問題」であり、心の問題に他人があれこれ言える筋合いのものではありません。もちろん私達は、首相が参拝することを両手を挙げて歓迎し、あるいは天皇陛下が参拝していただけることを心からお待ち申し上げておりますが、もう政治的な駆け引きの材料に靖国神社を利用して欲しくない、ということを強く訴えたいと思います。


 中国政府はこれまで執拗に靖国問題を取り上げ、我が国の歴代の首相は、そのたびに卑屈な態度をとり続けてきました。恐らく中国政府は、前世紀末期から今世紀にかけて脱社会主義化が進んできており、中国共産党も同時に求心力を失うことを懸念し、そのため日本政府を敵視することで一党支配の正統性を確保し、政権を維持しようとしているのでしょう。また自民党政府の首相が誰になろうと、仮に政権交代が起きようと、中国共産党の一党支配が終わらない限り、相変わらず中国政府の靖国批判は終わらないだろうし、靖国問題が何らかの形で解決すれば、次には歴史教科書問題を取り上げるだろうし、あるいは戦争賠償問題を蒸し返すことになるでしょう。要するに、中国政府の靖国批判は、中国の内政問題であって、内政の問題が解決しない限り、果てしなく続く、ということを私達は認識しなくてはなりません。


 私達がいいたいのは、自国のために尊い命を捧げた250万柱の英霊たちの魂を安らかに眠らせよ、ということに尽きます。にも関わらず、あろうことか中国政府は自国の安定のために靖国を政治的に利用し、また我が国の戦争を知らない政治家どもは、自党、自派の政略のために分祀を主張したり、国立公園墓地を夢想するなどの恥知らずの主張を公言しています。私達は、英霊たちの聖域に土足で踏み入るような無礼な態度を決して許すことができません。

 そのために私達のできることは何でしょうか?

 言うまでもありません。繰り返し繰り返し、粛々と靖国神社に参拝することです。かつて私達の父や母は九段の靖国神社を通るたびに深く頭を下げていました。学校の生徒は集団で靖国神社に参拝していました。それは決して強制されたからそうしていたわけではありません。祖先を敬い、国家の一員として国家のために命を捧げた英霊に対する衷心からの感謝の念があったからに他なりません。この原点に立ち返って、いたずらに大きな声で「参拝せよ!」というのではなく、心の底から自然に九段の方向に頭が下がるようにしなくてはなりません。中国や韓国の人々も、こういう私達の自然な態度に接すれば、自分たちの政府の、いかにも薄っぺらな政治的批判に気がつくことでしょう。また世界の人々も、我が国国民の崇神敬祖の態度に尊敬の念を抱くようになるでしょう。