正しい歴史認識を深めよ




平成17年11月5日
九州管区長 
蜂 谷 公 一

擬態的な事実を一つ一つ掘り起こせ

 小泉首相は、終戦六〇年を迎えた本年(平成十七年)、首相談話として、以下のようなものを発表しました。

 「わが国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほどの経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展が必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています」。

 これは、正しい歴史認識が中国や韓国、あるいはアジア各国との友好に不可欠だという考えを明らかにしたものです。この談話自体は、明確に過去の私達の歴史認識に間違いがあり、これから正しい歴史認識を学ぶ必要があるということを示していますが、中国や韓国の反応を見ると、どうも話しが逆で、あたかもわが国では現在軍国主義的な歴史観が蔓延していて、中国や韓国の歴史教科書にあるような事柄を、これから採用すべきであるかのように伝えられていますが、これは重大な誤解であり、むしろ談話が言っているのは、中国や韓国の「愛国的」な歴史観を改めよ、ということなのです。既に出発点からお互いに誤解があるような有様です。

 「正しい歴史認識」とは、一体どういうことなのでしょうか?

 それは第一に、起きたこと、出来事の正確な知識を持て、ということです。

 特に問題になるのは、私達の近・現代史に関する知識です。具体的に言えば、明治維新以降の歴史に関する知識には、彼我とでは、極めて大きな隔たりがあるはずであるにも関らず、奇妙な一致が見られます。韓国や中国では、明治以降わが国は一貫して、日本帝国主義の侵略の歴史であったとしています。他方わが国では、日本軍国主義の膨張政策の結果、東アジア諸国で暴虐の限りを尽くしたとする歴史認識が一般的です。この奇妙な一致は、一体何に由来するのでしょうか?それはわが国の多くの歴史家が、一度もこの間の時期について具体的な事実の収集を怠り、欧米の歴史書や中国政府の見解を無批判に受け入れてきた結果から、そうなるのです。戦後わが国は、国際的にはドイツなどと並ぶ敗戦国としての辱めを受けて来ました。た。本来は科学であるべき歴史もまた、国際政治の道具の一つとして利用されてきたのです。その結果、明治から大東亜戦争の敗北に至るまで歴史を、いわば「間違った歴史」として学ぶことを強制されてきたのです。

 しかし歴史認識というものは、国によって異なるのが当然です。全ての国に共通する普遍的な歴史認識などは、あり得ないのです。日本には日本の、韓国には韓国の、中国には中国の、アメリカにはアメリカの、各々の歴史があり、歴史認識があり、それは当然自分達の「国体」に基づくものであり、決して他国や他国民から強制されるものではありません。もし強制されるとすれば、それは支配されているということに他ありません。
 歴史というのは、一つに事件に関して国によって価値観や存在感が違うのは当然であって、自国にとって有益であるとすれば、フランスではナポレオンは英雄でも、イギリスでは侵略者と描かれています。スペインの無敵艦隊をイギリスが破った歴史の事実を私達は知っていますが、この無敵艦隊がイギリスに破られる前に、スペイン軍のイギリス侵略大部隊をオランダが運河を利用して壊滅させ、イギリスの危機を救ったことは、オランダ以外の国は知りません。このように単純な事実でも両面があります。

 しかし大切なことは、事実に二つがある。ということではないことです。今、大いに問題となっている「南京大虐殺」があります。この南京占領の司令官・松井石根大将は、東京裁判で殉難されましたが、占領に先立って

(1) 皇軍が外国の首都に入場するには、有史以来の盛事にして、永く歴史書に載るべきことであり、世界は斉しく注目しある大事件なるに鑑み、正々堂々将来の模範なるべき心組を以って各部隊の乱入、友軍の相撃ち、不法行為等絶対に無しからむるを要す。
(2) 部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし、支那軍民をして皇軍の威風に敬仰せしめ、いやしくも名誉を毀損するが如き行為の絶無を期するを要す。
(3) 別に示す要図に基づき、外国権益、特に外交機関には接近せざるは固より、特に外交団が設定を提議しわが軍に拒否せられたる中立地帯(南京安全地帯)には、必要な立ち入りを禁じ、歩哨を配置す。
(4) 入城部隊は師団長が特に厳選せしる者にして、予め注意事項、特に城内外国権益の位置等を徹底せしめ、絶対に過誤なきを期し、要すれば歩哨を配置す。
(5) 略奪行為をなし、又不注意といえども火を失する者は厳罰に処する」

との立派な命令を発し、軍紀の厳正たらんことを命じています。南京戦は皇軍始まって以来の激戦であり、正規軍だけでなく大量の便衣隊(ゲリラ部隊)を相手にするという、かつて戦史にない戦闘であったため、その労苦のあまり暴走する自軍に対して「皇軍の威風を敬仰せしむる」ことを求め、また部隊も、これに粛然と従ったのです。これば現地・南京での事実であり、しかも皇軍の軍紀の厳正なることは敵国からも賞賛されていたのですから、従って「虐殺」などあり得なかったことも確実なのです。かかる具体的な事実を一つ一つ掘り起こしていくことが、「正しい歴史認識」の第一歩なのです。


安の暗殺行為によって日韓併合は進んだ


 第二に、正しい歴史認識には「両眼」が必要だということです。

 例えば、安重根による伊藤博文暗殺は、日韓両国で正反対の見方があります。わが国では、安は政府要人の暗殺者ですが、韓国では救国の英雄です。この二つの評価が互いに一致するということは、それぞれの国柄であって、あり得ないことです。従って、一つの事実に、二つの評価があるのは当然です。それを当然の前提とすることが「正しい歴史認識」の始まりです。

 例えば伊藤博文の事件についても、多くの人は知りませんが、以下のような伏線があったのです。

 伊藤博文は韓国を植民地化することに反対で、いずれ韓国を独立させたいと考えていたようです。これは様々な資料により明らかになっている事実です。彼は韓国皇帝に謁見したときも韓国の独立を保障しています。彼は様々な宥和的政策を次々と打ち、韓国の保護を日本の利益のためにではなく、韓国の育成のためにやっています。

 しかし、韓国内における反日・抗日運動は収まるどころかますます激化します。実はこの反日・抗日運動は韓国皇帝の資金により支えられていたのです。皇帝は実は日露戦争の頃から日本に全面協力する格好を示しながら、ロシアをはじめ列強各国に密使を派遣して日本に対する干渉を要請していました。この事実は「大韓毎日申報」の記事によって報じられています。当時日本国では激化する反日・抗日に対して日韓併合の動きが強まっていました。これによって日韓併合の世論が一挙に固まってしまうのを恐れた伊藤は、この皇帝の動きを不問にしますが、やがて人々の知るところとなり、韓国皇帝の退位を決意せざるを得なくなりました。しかしなおも伊藤は日本国内に渦巻いている韓国併合論に対して強行に反対し続けるのですが一九〇九年ハルピン駅内で安重根に狙撃され死亡したのです。そして翌年一九一〇年韓国併合条約が調印される。今日韓国では伊藤博文は日韓併合を押し進めた人物として憎悪の念を抱かれているのです。歴史の実像は、伊藤博文が日韓併合を進めたのでなく、安の暗殺によって日韓併合は実現したのです。

 事実は、関係によって成り立ちます。単に暗殺者が英雄かという視点では、事実の評価はできません。事実を取巻く様々な「関係」を詳細に検討、精査してこそ、本当の事実は浮かび上がるのです。


「正しい歴史認識」は東京裁判見直しを促進する

 「正しい歴史認識」のための第三の視点は、イデオロギーから自由たれ、ということです。

 戦後のわが国の歴史教育は、まさにイデオロギーに汚染されきったものでありました。ソ連と中国の社会主義こそ人類の未来であることが、それこそ小学校の時から私達にたたき込まれてきたのです。その最も象徴的なことが、ソ連と中国の核実験には反対しないという日教組の態度でした。世界で唯一の被爆国であるわが国は、いかなる国の核実験のも反対であるとの態度を貫かなければ、核廃絶の運動は進展しません。しかもアメリカの広島・長崎への原爆投下は、日本国民の多くの生命を守った、という自己弁護にさえ反論することができません。

 また、大東亜戦争は侵略戦争であった、という戦後歴史教育の常識を覆すためにもイデオロギーの排除は重要です。わが国においては、大東亜戦争に関して未だに一貫してアジアへの侵略戦争であったという意見が強く、アジア開放もしくは「自存自衛」の戦いであったとする意見は少数派です。その背景には独自の歴史認識=イデオロギーが存在していることは明らかです。しかるが故に、内閣は「先の大戦」「過ぐる大戦」という呼称を使用し、価値判断を避けているのです。

 すなわち、戦後日本において歴史学会を中心に「マルクス主義史観」が大きな影響力を持ち、しかも社会主義崩壊後は、マルクス主義に代わり「正邪弁別」による日本近代史批判、さらには「残虐行為」の発掘・糾弾による加害者としての責任追及の転換したという事情があります。ある外国人ジャーナリストは、「日本では憲法解釈をはじめイデオロギーが分裂しており、それが歴史解釈にまで影響を与え、歴史の仮面をかぶった国内政治論争となり、合理的な歴史論争にはならない」と指摘していますが、新世紀を迎えた日本人は、いかなる歴史認識を持つべきなのであろうかといえば、健全な「共有すべき共通の記憶」を、史料に依存しつつ客観的に過去についての意味を問う、真摯かつ謙虚な姿勢が求められることは言うまでもないことです。

 いわゆる「東京裁判」についても、先に挙げたように、松井大将のような尊敬すべき軍人までも戦犯として処刑したことについて、再度の検証を追及することが必要なのです。幸い、こうした風潮は世論においても増えつつあり、現在私達が進めている「東京裁判再審請求署名」運動が、一つの大きなうねりになることが予感されます。それも、このような「正しい歴史認識」を深めることによって支えられていることは、誠に心強いことです。

※ 「東京裁判再審請求署名」運動については、こちら