平成16年6月25日


 平成十四年四月より新学習指導要領に基づく教育がスタートし、公立の小・中・高の土曜日がすべて休みになった。新カリキュラムと完全週休二日制による、ゆとり教育である。


  だが、平成十五年四月からの教科書は、ゆとり教育をはみ出して、一段二段と高いレベルの教科書が検定を通過した。かかることは、文部省のゆとり教育は、破産したというほかない。


 私は、ゆとりある教育には反対である。鉄は熱いうちに打てとよく言われる。若者が遊んでいる姿は、日本の将来を決定する。だいたい、遊んでいる生徒に、ろくな者がいないのは、我々が知るところである。


 文部科学省の教育改革は、「自ら学び考える『生きる力』を育む」ことを目指すものである。戦後の教育の普及は、日本人の学力を相対的に向上させ、科学技術、経済、文化等の発展に寄与してきた。しかし、一九七〇年代に入ると、不登校児の増加や、校内・家庭内暴力・いじめ問題が深刻化し、その原因として学習指導要領が槍玉に挙げられたのだ。そのため、文部省は一九七六年に、「ゆとりある教育」の展開を目指す答申がなされ、翌年に改定された学習指導要領にゆとり教育が盛り込まれることになった。ここから、日本の小中高の学習能力の力が、年々落ち込むようになっていった。


 学校は元来、学び舎であり、それに付随して体育があるのだ。だから、偏差値教育からの脱却を図り、ゆとりを持つことで想像力を高め、個性を育成しようという文科省の狙いは、そもそも矛盾したものである。それが、一九九〇年代の後半になって、学力低下が急激に叫ばれるようになった。


 再度言うが、子供にゆとりを持たせてもろくなことはおきない。偏差値教育からの脱却など、どこかの組織の陰謀である。
 ゆとり教育で、一番喜んだのは、学校関係者である。特に、教師は教育現場から離れることが多くなり、カリキュラムが減り、勉強することも少なくなった。ここに、ある先生がいる。近くの市の小学校の教師をやっている。彼の日常を見ていると、夕方の四時半にはT市の飲み屋で飲み始め、K市の中学には定時まではいず、T市でアルコールに浸っている次第である。その彼は小利口だから、K市や自分が住むH市では決して飲まないのだ。それは誰が考えてもそうに決まっているが、学校は八時半に登校し、五時に退勤する制度が確立している。その逸脱が「ゆとり教育」の破産の典型例だからである。


 日教組が強い時代に、文部省は日教組懐柔政策として、賃金を大幅に引き上げ、当然退職金も引き上げられた。そのぬるま湯にこの何十年、公教育界は浸っていたのだ。だから、先生の学力は生徒と一緒に低下し、塾の先生に教えをいただくと言う恥ずべき自体が生じているのである。石原慎太郎は東京都の教育改革を試みているが、この何十年かのつけを払拭することは極めて難しく、今回スタートした新しい高校入試制度も石原慎太郎にとって満足のいく結果になっていないはずである。


 日本の近代化が図れたのは、江戸時代に寺子屋が普及し、明治維新の立役者を多く排出した松下村塾に代表されるような塾が点在してあったことによる。そうでもなければ、軍事大国ロシアに間違っても勝つことができなかったはずだ。また、日英同盟などができたのも、英国が日本を評価したことによる。


 このように、教育をないがしろにすることは、国債を発行し続けることと同じ意味で、日本崩壊につながることになるのだ。