平成15年05月08日
総本部理論文教局


《殉国七士廟所在地》
愛知県三ケ根山頂 愛知県幡豆郡幡豆町字東幡豆入会山1-234

 日本青年社は毎年4月29日に行なわれる「殉国七士廟墓前祭」への参列を重点行事としている。


 私たち日本青年社が民族派としての責任ある立場から墓前際に参列する意義は、かつて東京裁判(極東国際軍事裁判)の不当性と戦後の日本社会に与えた深刻な悪影響の払拭の必要性を痛感したからに外ならない。

 東京裁判が持つ意味を日本人はあまりはっきりと認識していない。私たちが4月29日という日に殉国七士廟墓前祭を行なっていることは実は重大な意味が込められているのである。

 終戦の翌年、つまり昭和21年4月29日、昭和天皇の御誕生日を選んでGHQは新聞紙上で極東軍事裁判の開始を全国民に通告した。実際の裁判の開始は5月3日であった。そして判決の後、7名のA級戦犯とされた方々の処刑は今上陛下(当時は皇太子殿下)の御誕生日である12月23日であった。

 この事実は今日に至っても知る国民はほとんどいないのが現実である。

 つまり東京裁判の本質は日本の国體の破壊、つまり天皇制の破壊を目的とした戦勝国の陰謀と見ることが普通の把え方であろう。

 しかし日本国民の大多数は、戦争責任を戦争犯罪人のみに押しつけ、国民は被害者だという、巧妙な罠にはまり、免罪された解放感により、戦犯を非難する立場に立つ事になった。この事により東京裁判に対する批判はなくなり何の疑問すら抱かなくなってしまったのだ。

 GHQの軍事支配が行なわれる中、国民の意思が表現できない状況で制定された戦後憲法、教育基本法、教育勅語の廃止など国民の弱体化と民族性の放棄・愛国心の禁止などが行なわれ現在に至っているのである。

 それ故その根源を作り出した東京裁判を見直し、その欺瞞を暴き出す事なしには真の戦後は始まらないし、日本の精神的再生は不可能になってしまうのだ。

 私たち日本青年社が殉国七士に慰霊を行なう目的はここにあるのだ。

 墓前祭を遺族や、小数の人たちだけのものにせず、全国民が七士の無念に涙し、東京裁判そのものを否定し、歴史の真実を学び取る。そういう聖地として守り抜いていかなくてはならない、三ヶ根山殉国七士廟こそ、現代的な日本民族運動の発信地として今後、益々重大な役割をしめてゆくに違いない。

 日本青年社は責任ある立場からこの運動を推し進めてゆかなくてはならない。


三ヶ根山 殉国七士廟についてはこちらの方もご覧下さい。