平成15年03月15日


 一九九七年十二月、カナダの首都オタワに一二三カ国の代表が集まり、「対人地雷の使用、貯蔵生産及び移譲の禁止およぴ移譲の禁止に関する条約」(禁止条約)署名式が行われた。それから六年、地雷問題は今どのような局面であるのだろうか。



■条約は普遍化したか?
 
 禁止条約の第二回締結国会合が二〇〇〇年九月現在、一三九ヵ国の署名(加入)、一〇七ヵ国が推進(承諾・加入・承認)するなど世界の四分の三ヵ国が禁止条約に参加。数の上では地雷禁止は世界規模になったと見える。しかし、アメリカ、中国、ロシアの三大国など五ヵ国が未加盟である。


■貯蔵地雷と使用。

 確かに地雷の使用は減少している。しかし、超大国三ヵ国の「戦争」には地雷がつきものでその地域での地雷は増加している。例えば、アンゴラ、チェチェン、アフガニスタンでは一挙に増大した。

 日本等によって二千二万個の地雷は撤去されたが、三超大国を中心に各国の武器庫に二億五千万個の地雷が貯蔵されている。

 こうした状況は「地雷撤去」がアホらしく見えてしまうのだ。地雷の被害を見て涙しても現実の厳しさに圧倒されてしまうのだ。

 言い替えれば超大国が率先して「地雷除去」に踏み切らなければ、この問題の解決は絶対ないのだ。



☆地雷除去は避けて通れない。

 近くはカンボジアをはじめ地雷の除去は、超三大国の思惑とは別に喫緊の課題である。だが除去技術の新開発は今なおできず、第二次大戦直後と同じというに等しいものだ。


☆日本の動き

 一九九七年十二月、わが日本は向こう五年間で百億円の支援を約束した。「犠牲ゼロプログラム」を発表、これまでに犠牲者・除去支援として国際機関へ三十億円を拠出した。このような日本は「地雷除去」のリーダーなのだが、三超大国の横暴の後始末に追われているのが現状である。


☆こんな擬装された「地雷撤去」はむなしい。

 でも、カンボジアで地雷の被害にある少年、少女を見ると「地雷撤去」が重要な課題なのが一目瞭然なのだ。三超大国は自らが「犠牲」にあうと大騒ぎし、「戦争」の構えを採る。そこに私たちは非人間性を見ざるを得ないのだ。

 大胆にいえば、一昨年九月十一日の米国同時テロは「オサマビンラディン氏一派」の仕業といっているが、証拠は何もないのだ。ローマ帝国の再来をブッシュ大統領は頭に描いているらしいが、「ローマは一日にしてならず」の諺があること位知っているのだろう。

 世界の協調と平和の政策を放棄し、「力」で勝負する時代は実は終わっている。このことは北朝癬にもあてはまるのだ。

右翼や左翼がいくら名乗ろうがヒューマニズムの精神がなければならないことを地雷問題は私たちに教えている。