今!日本民族はアンデンティティー・クライシスに陥ち込む
危険性をはらんでいる。
平成14年11月02日
編集委員会

 例えばノーベル賞の日本受賞者の大半が、ノーベル賞に決まったあと文化勲章を受けていることから、世界的評価を受けている人が、日本では一介の研究者・学者etcに過ぎないことを明らかにしている。

 こんな転倒した例は、「日本民族の恥」である。日本の戦後は「想像力」「創造力」を持った人間により「権威」「権力」を持った人間が戦後を復興したのではないのか。
 こんなことが続けば、日本民族はアイデンティティー・クライシスに陥り、北大のクラーク博士の「少年よ大志を抱け」は、若者を否定的に直撃する。民族の誇りを失う北朝鮮に近づくのだ。

 つまり、先に述べた「想像力」「創造力」を失うと「民族の恥」が「民族の誇り」のように錯覚し、そうした諸行動にに走るのだ。

 今日の日本は戦後複興した諸世界を自らの手で崩そうとしている。

 それは、優れた教師は別にして大半は「文部省」「教育委員会」にたてつき、それを研磨するなら別だが、その逆であるサボタージュを放任化してきたからだ。そうした中で、少年はハングリー精神の下、自ら、働き、勉強したのだ。

 それは米国に占領された屈辱を世界にはらすために日本民族を覚醒したからだ。

戦後築いてきた諸生産物を、今の若者は無意識に崩壊させようとしている。

 それは教師に責任があるのは当然だ。「予備校教師に教え方を勉強する現在の教師」の姿はその典型だ。だが自分たちに力がなく、予備校教師に教えてもらっていることは、自覚しているだけ「まっとう」だと言わざるを得ない。

 教育労働者だから「権利」がある。と主張するなら立派な「義務」を果たして欲しい。

 土台、「勤務時間」を守っている先生がどれだけいるのか、文部省は正確に調査し、与えられた先生の「勉強時間」は守られているのか、教師に付与されている「義務」について文部省は正確に具体的に調査し、「正すべきは正す」ことを明示すべきなのだ。

 おそら調査すれば、旧国鉄時代の国鉄労働者を越えた驚くべき調査結果がでるはすだ。

 責任は教師のみならず、教育関係者、家族に及ぶことは心配である。

 就中、家族において「勉強」の捉え方に格差が大き過ぎるのだ。こうしたことは父母会で解消しつつ、底上げを図るべきなのだ。

 数学の新聞報道による学力低下が事実なら、数学・物理少年だった私たちには日本民族の将来に大いなる不安を感じるのだ。「技術」を失った日本に未来はあるのか。と、自問している。


 教師と生徒・学生頑張れ!


(注)アイデンティティー・クライシス→自分の実体や所属がわからなくること。