平成14年06月12日
時局対策局長 水 野 孝 吉


 今国会(第154回、通常国会、会期は6月19日まで)では重要法案(有事法制3法案、個人情報保護法案、健保法改正案、郵政関連法案)が山積しているが、なかでも最重要視されているのが、いわゆる

有事三法案
1、[武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法案」
2、「自衛隊法改正案」
3、「安全保障会議設置法改正案」〕である。

 同法案の重要性は改めて多言を要しないが、私が注目している法案のひとつに「個人情報保護法案」がある。

 この法案の是非をめぐっては多くの学者、知識人をはじめマスコミ関係者からも反対の声があがっていることは周知のとおりである。

 たとえば作家の城山三郎は「この法案が成立した場合には『言論の自由の死(詩)碑』を建て、小泉純一郎首相や同法案に賛成した全議員の名を刻む」と異議を唱え怒りを露にした。この城山発言に対し自民党副幹事長の村上誠一郎(愛媛2区、衆議院議員)は城山氏はぼけていると中傷、同法案をめぐる攻防は感情問題も絡めて熾烈を極めている。

 ちなみに、個人情報法案にくわしい弁護士の梓澤和幸は某紙上で「法案をよく読むと、規制の主体は警察だ。警察の判断で雑誌や新聞の記事差し止めもできるし、お茶の間にいつでも踏み込むことができる。いわばコンピューター時代の治安維持法と言っても過言ではない」と言いきる。また、ノンフィクション作家の吉田氏も同紙上で、ドイツナチスのヒトラーが「個人保護」を名目にした大統領令で言論を抑圧し、ファッショ権力を確立していった歴史を示して「情報統制」をする法案を腐敗した国会が審議する資格などない、と斬って捨てている。

 これほど厳しい批判を浴びている個人情報保護法案だが、いったいどれだけの国民が同法案の内容を理解しているのか、私には疑問に思えてならない。そこで、まず同法案に対する私の立場を鮮明にして論じてみたい。結論から言えば、私は個人情報法案には絶対に反対である。その理由は後記するが、ひとつのエピソードを紹介しよう。

 前出の城山氏は「昨年9月、内閣官房副長官補の竹島一彦をはじめ数人の閣僚との会合の席上、同席していた若い官僚が何度も『(この法案によって国民に)大きな網をかける必要がある』と言ったと言っている(月刊誌、諸君6月号)。また某週刊誌はこの発言を「まるで国民を獲物か賊のように言う言辞」と評して「官僚が国民を統制、支配するための道具としての個人情報法案」と断じている。

 また、さきに引用した「諸君6月号」で城山氏はジャーナリストの櫻井よしこさん、と対談し個人情報保護法案に反対する理由をくわしく語っているが、この対談とは別に興味ある事実がある。それは辛口評論で有名な佐高信(彼は櫻井よしこさんとは、まったく対極の立場に立っている)が某週刊誌につぎのように書いていることだ。

 「外務省をはじめ官僚の腐敗が目に余る現在、彼らの汚い網などかぶせられてはたまらない」この網をかぶせるもととなるのが住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)である。櫻井よしこさんもこれに真っ向から反対している。そして、そのためにはどこへでも出かけて行く。(中略)櫻井氏自身は『右も左も乗り越えて自分の意見を言う自由を確保したい』という強い思いから、彼女は反対運動の先頭に立っている。(中略)彼女にはそうした本気としたたかさがある。そして佐高はいう「彼女の本気としたたかさにまなばねばならぬ」と。

(註、佳基ネットとは正式には住民基本台帳ネットワークシステムをいう、これは全国民に11桁の住民票コード(番号)を強制的に割あて、氏名、性別、生年月日、住民票コード、変更期日などの情報をコンピューターネットワークシステムを利用して一元管理すること。このシステムは国が一元的に個人情報を漏洩する懸念や国が国民を監視することにつながる、として反対する意見が多い)

 さて、個人情報保護法案が成立したら我々はどのような影響を受けるのか、簡単に言えば政治、経済をはじめ、あらゆる情報が我々に正しく伝達されなくなるのだ、つまり、官の独裁を許すことになる、そもそも同法案の隠れた目的はメディアの規制にある、言うまでもなくメディアの規制は憲法第21条に定められた言論、出阪、その他一切の表現の自由に反する、去る4月24日に出した日本新聞協会の緊急声明でも「憲法に保証された『表現の自由』に政府が介入する」と厳しく批判し、また日本ペンクラブも5月9日に「言論、表現の自由という民主主義の基本理念に反する」との内容の要望書を政府に提出している。

 私は、個人情報保護法案について考えると、昭和13年4月に公布した国家総動員法とおなじようだ、同法は戦争完遂という美名のもと、人的、物的資源を国家が全面的に統制運用することを目的に制定されたのである、このために集会の自由は奪われ新聞の発行停止まで政府が行うことができるようになってしまった、つまり、国民生活のすべてを政府に「白紙委任」せざるをえなくなったのだ、同法のために我々の先輩は文字どおり暗黒の時代を生きねばならなかった、私はそのような時代の再来は真っ平御免である。ところが今まさにその時代がやって来ようとしているのだ。腐敗しきった「官」に我々が束縛され自由をうばわれる理由などまったくない。

 「国民に網をかける」との官僚の発言ほど個人情報保護法案の本質をついた言葉はあるまい。それ故、私は同法には断固反対するのだ。

 噂によれば民族派のなかに極めて稀だろうが、公安警察や公調(公安調査庁)と友好関係にある団体があるやに聞く。そうした団体は、もはや「大きな網」をかぶせられているとしか思えないし、そうした団体に今回の個人情報保護法案を論じる資格はないと思う。これを他山の石として我々も心すべきではなかろうか。

 終わりに、先日発覚した防衛庁の情報公開請求者の身元調査リストの問題が個人情報保護法案と深い関孫があることを指摘しておく、この問題については改めて論じたい。