平成14年04月13日
編集委員会

(1)
 本年4月以降、公立小・中学校の全校で週休2日制が導入される。そしてこのことが「学カ低下」を招くことは確実だ、という。誠にこれは不思議なことだ。会社は現在一般的に週休2日制だ。病院殆どそうである。だからといって週休2日制によって生産力が、医療の質が低下したとは聞いていない。

 この事実が文部科学省(以下文部省という)の「週休2日制」導入は不純だ、誤りだということになる。

 元来、教育、学校は「良く学び」「良く遊ぶ」ことが大切なのだ。つまり「教科理解の質の向上」と「人間性を育む」ということだ。

 それを文部省が「ゆとりある教育」と称して「教科の質の低下」を図れば自ら「学カ低下」を招くことは当然なのではないか。それとも「ゆとりある教育」で教師の教育時間を短縮することが目的だったのか。


(2)

 具体的一例を見ることにしよう。つまり「学級崩壊」だ。これは家庭、教師の有り様が交錯して派生するのだが、教師の資質によることが多い、という。

 私の経験では教師は勉強しない。想像力、創造カに欠けている者が多すぎる。文部省は「学習指導要項」で教師を縛り、教師はこれを甘んじて受ける。これではダメだ。学校はクラスでそれぞれ異なっている。

 つまり「学習指導要項」では「収まらない」場所が学校なのだ。校長を先頭に想像力と創造カで乗り切ることが大切なのだが、学校現場では、管理職は頭が硬く一般職の教師のカが現場を知っているのが現実だ。


(3)

 正直いって私の高校時代の同級生は「教師」になると、管理職試験を放棄し、生涯一教師の方が良い、というのだ。

 私の知っている教師たちのいる所は県単位で日教組が解体しているので、何らかの組織的指示でそうしているのではない。ということは校長、教頭職は出世職の魅カで教育委員会など信じていないということだ。このことはひいては「文部省」不信を訴えていることと同一なのである。

 文部省は単一的かつ秩序的生徒が欲しいので個性ある生徒を忌み嫌っているのだ。生徒総体が「低下した平準化した生徒」になれば学校は平穏だ。こんな学校なら潰した方が良い。


(4)

 世界的に「学カ向上」は全体的な流れだ。それに対し「学カ低下」を指導する目本の文部省など不用だといいたい。各学校、教師、生徒は創意ある工夫をもって文部省、教育委員会を無視し「学カ向上」を図ることが大切である。今こそ「机に向かう」生徒を大量につくりだすことが週休2日制の最大の任務であることを関係者が自覚し、文部省に叛旗を揚げ、全力を挙げることを何とかして期待したい。