戦後教育=占領教育の弱点を克服し日本型教育を確立せよ

総本部理論文教局
局長 杉山 洋

 森総理の「教育改革国民会議」が9月に入り中間報告原案を発表した。

 その中核となっているのは従来の画一的教育から脱して独創的、創造的な人間を教育してゆかなくてはならない、そうしなければ日本の教育はたちゆかないという危機感である。

 この「国民会議」や多くの日本人が言っている画一的教育からの脱却はその対極に米国型の「独創的で個性を重んじる教育を頭に描きその方向に日本の教育を導こうとしているのは明白であるが、日本の優れた教育者や知識人を終結し「日本の頭脳」が発言したものであるにしては少々お粗末だ、と言わざるを得ない。

 戦後教育が戦後民主主義をバックボーンとして出発してきたことは言うまでもないが、日本の教育の優秀さに恐れを抱いていた占領軍が日本の文化と民族性を破壊することを占領政策の根幹においたことも事実である。日本の教育制度は江戸時代後期の寺子屋に庶民教育の出発があり、明治5年学制が発布され教育令・学校令と国家としての教育制度が着々と整えられていった。

 明治維新はヨーロッパやアメリカよりも、より徹底した教育の近代化を行なった。それは支配層としての武士が自己否定をし、平民として国難に殉ずるという中間支配層として武士階級を残さなかったことにそれを示されている。そして精神としての「武士道」を国民全体の民族性に高めていったのであった。教育制度の改革が支配者層の交替と同時に行なわれ、「立身治産」のための学問を説き文盲の一掃と全国民の義務教育制度を確立したのであった。

 当時ヨーロッパではフランス、イギリスに学制があり、先進国として世界に君臨していたが、日本のような義務教育制度は存在していなかった。

 特に日本の教育は競争と結びつくことによって発展を遂げた。公平な教育は官吏登用法として用いられた。成績により頂点に登りつくという個人の可能性が封建社会を打ち破っていったのだった。

 「武士道」という武士階級が自らの階級を社会から消し去ることを通して日本の教育の中に生き残らせた精神こそ西洋の教育との違いを大きなものとし、「教育物語」の根幹をなした。日本の教育の偉大さは学問的な競争力と儒学的道徳心を学校という場を通して教えたとこにあった。

 現在の教育の問題点は一つは中等・高等教育のレベル低下が教育の平等と平行して起こっていることである。日教祖や高教祖が教育の平等を唱え、高校全入などの方針を打ち出し学校教育から競争力を取り除こうという運動を行なった。これに対し学校格差や学習塾という対応を国民は選択していったのだ。

 15才でも大学進学が可能だという今回の中間報告は余りにも歪んでしまった教育の現状に対してのカンフル剤的な効果はあるだろうが教育の危機に対する本質的対応とは言えない。