日本の歴史と文明は稲作とともに


 

平成13年4月4日
日本青年社 群馬県本部 須 賀 和 男

 電車や高速道路の車窓から目に飛び込んでくる日本の田園風景は、いったい、いついかなる時代に、その姿を現わしたのであろうか。山があって、川があって、海があって、その途中に田園が広がり、集落のたたずまいの見られる、ごくありふれた日本農村の原型は、どのような経過で現在につながっているのであろうか。私たちの目にふれる日本の国土景観はたかだか4〜500年前に型作られたにすぎないと思う。現在日本と連結する国土の原風景ないし日本列島の土地利用の在り方は、江戸時代にいたって、ようやくその原型が生み出されたと思われる。日本の国土は、気候が温暖湿潤で、地型は峻険な山地と狭い平野によって構成されている。この風土は牧畜には不適当だが、水田稲作には向いている日本の歴史には牧畜時代が欠如しているばかりでなく、厳密な意味での有畜農業の経験も乏しい。極端にいえば、この国では狩猟牧畜の時代を飛ばして、稲作が発達した。日本の歴史と文明は稲作とともにはじまった、といってもよいだろう。

 日本の国土は南北に細長く連なる火山列島である。日本列島のごく大まかな模型図を描くと、国土の中央部の3000メートル級の山々が、急斜面の裾野には東西に数多くの川が流れ、河口部にわずかな平地が見られるだけである。こうした日本列島の地形条件は、農業の自然的生産環境としては、決して恵まれているわけではない。日本農業は水稲作を基調とした灌漑農業であるから、日本の農業生産力の発展は常に用水の水源、技術、管理などの在り方に深く規制されてきた。稲作は、水の運ぶ養分によって、毎年連続して耕作が可能であり、面積当たりの収穫高も大きい。小麦やトウモロコシなどは人工的に肥料をやらなければすぐ地力が衰えるので、収穫も少なく休耕期間をおく転作にならざるを得ないが、稲作にはその必要がない。


 もともと、生物には厳しい自然の中で適応して生き抜いていこうとする性質があり、何も自然の摂理に反するわけでもないし、格別むずかしいことでもない。例えば米の品質改良に注いだエネルギーを小麦にも注げば、梅雨期の前に収穫できるものができるかもしれないのだ。そもそも小麦は年間雨量が500ミリ程度の乾燥地帯が原産地であり、およそ収穫期の雨などに無防備にできている。気高く、まっすぐに上を向いた穂は雨を一身に受け止め、種にためてしまう。これが病気や発芽の原因となってしまう。稲が稔れば稔るほど稲穂を垂れるのと大違いである。稲と同じく、雨を下に垂らしてしまう茎の小麦を作り出す手もあるかもしれない。 これには、金と手間がかかるが、こうしたことにこそ国が力を入れるべきである。

  しかし、よくよく考えてみると、科学の進歩に頼って農業生産力を高めたのは、たかがこの50年ぐらいのことにすぎず、人類は1万年前に農業生産を開始してから大半の時代は、そんなものに頼らずにやってきたのであり、今後は、方針さえ変えればいくらでも「環境保全型農業」による生産力の向上が可能である。その後の生物学の学問の発展を考えると、自然の力を無機質にねじ伏せるのではなく、むしろ自然を助けて人間の見返りを多くしていくことのほうがずっと理にかなっている。