風 たより
〜 第 4 回 〜

平成20年6月29日


新緑の息吹が視界を埋める、

日本の美しい四季の訪れだ、冬の寒さも、夏の暑さにも、

とどまることなく、風にのった花々は舞う、

与えられた使命と正義のもとに日本人の精神の復活を求めて。



 私のところは、暖冬の年には珍しく元旦は雪でした。朝から強く降ったり弱くなったりしながら終日降っておりました。

 窓の外に小さな桜の木が一本あります。ときどきこの桜を眺めては友や我がこの子のことを思い浮かべます。殊に雪の日の桜の光景は、北国の流謫の辛苦に耐える友や、大海の中の小船のように、おそらく社会の厳しい現実に漂ようているであろう子供等の姿に重なって胸が痛みます。私は、か細い桜の木々の上にまで容赦なく降りつもる雪の中、尚じっとしている桜に向かって「ガンバレヨ」と何度万感の思いを込めて呟いたか知れません。

 冬の夜は寒気に負けて、己が身の辛酸ばかりについつい心が向いてしまうこともありますが、今年はそんな甘えた気持ちを元旦の桜が吹き飛ばしてくれました。お陰で干支の始まり「子」の歳を良い心構えでスタートを切れたように思います。


『天長節と地久節』
天皇皇后両陛下の誕生日の旧称です。旧制の「祝祭日」では天皇誕生日を天長節、皇后陛下の誕生日を地久節とお呼びしていたのでした。天長節と地久節を合わせると天長地久という対句になります。これは老子の言葉で、天壌無窮と同様、天地が永久に変らぬように物事がいつまでの続くことを意味しています。天長節と地久節は老子の言葉から名付られたのでした。

 旧制の「祝祭日」では、四方拝と紀元節、天長節と明治節を総称して四大節と呼んでおりました。四大節は日本最大の祝日で、日本人のアイデンティティーとしての拠り所でもありました。この日は日本中で日の丸を掲揚し、国を挙げて盛大にお祝いしたものでしたが惜しくも戦後の改革で、四方拝、紀元節、明治節は廃止され、天長節は天皇誕生日に改称されてしまったのです。それは昭和二十三年七月のことでした。


 戦後の改革とは、二度と日本が米国の敵や脅威にならぬよう連合国軍最高司令官マッカーサーが占領中、我国政府に命じて行った占領政策のことです。最大の目的は日本の弱小国化にありました。マッカーサーは徹底的に日本の弱体化をめざしたのです。

 占領政策には主として、明治以来の日本の国家体制を解体することと、天皇を中心とする日本人の精神的結合を解体することの二つの面がありました。言わば物心両面からの破壊です。マッカーサーは日本の弱体化を、単に物的なものに限定せず、精神的要素も極めて重視したのです。四大節は、占領政策のそうしたメンタルな面を対象として廃止されてしまったわけなのでした。実に惜しいことをしたものです。

 マッカーサーは旧制の「祝祭日」を日本人の強固な国家意識の中核をなすものと視て、殊の外厳しく取組み、御皇室の大祭は宮中祭祀のうち、天皇が親しく執り行なう日本の最も重要な祭典です。マッカーサーはこれを国事から御皇室の私事に、国家の祭儀を御皇室の私祭に貶めたのです。政教分離に反するの理由からでした。

 しかし英国は周知のとおり新教を国教とし、国王の載冠式も宗教的儀式で行っています。米国の大統領も聖書に手を触れて宣誓式を行います。凡そ世界の諸国では大なり小なり国家と宗教は不可分な関係にあるのです。日本の国家だけが一切の宗教と分離しなければならなぬ理由はありません。抑も政教分離の目的は信教の自由であって、要は国民が信じようとするいかなる宗教信仰も自由に認めさえすれば、皇室神道を国教とし、宮中祭祀を国家の手でお祭しても何等問題はないのです。


 結局マッカーサーが強行した政教分離とは天皇と国民の関係を分離するための口実にすぎません。宮中祭祀は肇国以来続いてきた日本の古儀です。これを国事から私事に、国家の祭儀を御皇室の私祭に貶めたことは、即ち日本の歴史と伝統と日本人の国家意識の破壊に他なりません。

 政教分離も過剰な摘要は本来の目的を失い、国を滅ぼす凶器ともなります。現に天長節が天皇誕生日に改定されていく過程は、日本の伝統と風俗が失われていく過程であり、日本人の国家意識が崩壊し日本が弱体化していく過程でもありました。しかもそれは、戦後社会のその脆弱性からも見て取れる筈です。戦後体制の原形は旧制「祝祭日」が廃止されていく中で醸成されたとも言えるでしょう。このことは憶えておきたいものです。


 もう一点、マッカーサーは別の角度からも天長節や紀元節を敵視してた所があったようです。例えば昭和二十一年四月二十九日の先帝陛下の誕生日に合わせて、わざわざマッカーサーは、A級戦犯を起訴し、死刑を宣告された東條元総理、外七名の烈士を昭和二十三年十二月二十三日の今生陛下の誕生日に処刑しているのです。今、手元に資料がないので記憶が曖昧ですが、確かマニラの軍事法廷で死刑を宣告された山下奉文中将は昭和二十一年二月十一日の紀元節に、同じく本間雅晴中将は同年四月三日の神武天皇祭にそれぞれ処刑されているはずです。

 開戦初頭マッカーサーは日本軍の猛攻からフィリピンを防衛できず、オーストラリアに敗走したことがことがありました。これがマッカーサーの輝かしい軍歴の只一つの汚点と言われています。マッカーサーには敗者の恨みがあったのでしょうか。しかし戦争が終結した後に猶このような形で報復したり、復讐心を遂げようとすることは卑劣なことです。米国には、武士道や騎士道はないのでしょうが、それにしてもマッカーサーたるものが、浅ましい振る舞いをしたのもです。


 国家と国民は運命共同体です。これは世界の国民共通の国家観で、国家意識とはこの一言に尽きると思います。累卵の危機は北朝鮮が書く武装することでも、急速に軍事大国化する中国の台頭でもありません。日本人として国家意識を共有できぬ社会にこそあります。今なすべきことは弱体化した日本を復興し、国家意識を持った日本人を復権することだと思います。まずは占領中に失った伝統文化を回復すべきでしょう。
( 美濃の臥竜)

 

旧制の「祝祭日」は是非とも復活したいものです。

○伝統を復活し

○日本人を復権し

○日本を復興する


戦後体制を打破する鍵はこの三点にあります。

山紫水明の日本がいつ迄も続くように、天壌無窮の日本を確立しましょう。
「旧制祝祭日」
(国家の祝日と皇室の祭日との併称)


1月01日  ●四方拝
1月03日  ●元始祭
1月05日  ●新年宴会
2月11日  ●紀元節
3月06日  ●地久節
3月21日頃 ●春季皇霊祭
4月03日  ●神武天皇祭
4月29日  ●天長節
9月23日頃 ●秋季皇霊祭
10月17日  ●神嘗祭
11月03日  ●明治節
11月23日  ●新嘗祭
12月25日  ●大正天皇祭
 (は大祭日 ●は祝日・準祝日)

(5)へ続く