令和2年 年頭総会 新春全国代表者・役員会議

 

令和2年 年頭総会、新春全国代表者・役員会議開催

 日本青年社は令和二年二月八日(土曜日)午前十一時、東京原宿の東郷神社に全国から参集した三百有余名の社員と関係者によって第一部「新春全国代表者・役員会議」を和楽殿会議室で開会。第二部「年頭総会」をル・アール東郷において開会した。

第一部「新春全国代表者・役員会議」

 好天に恵まれた二月八日、午前十一時四〇分より代表役員三十名が社殿において昇殿参拝を済ませた後、正午より和楽殿会議室において四宮 崇足立社友会事務局長の司会による『新春全国代表者・役員会議』を開会した。最初に足立社友会の石丸仁志が声高らかに日本青年社綱領を奉読した。

 続く年頭挨拶では松尾和也会長が「本日は何かと寒いところ、そして遠路のところを大変ご苦労様です。先ずもっては昨年一年様々な行事等に多大な協力を頂きましたことをこの場をお借りまして感謝と熱い御礼を申し上げたいと思います。有り難うございました。本年も昨年同様に宜しくお願いをしたいと思っております。また本日の年頭総会は令和の新時代を迎えて初めての総会ということですから記念すべき総会ではないかと思っております。ですから皆さんには心に残る、思いに残る、そんな総会を開いてもらいたいと思っております。

 さて、日本青年社は昭和三十六年に創立され以来、昭和、平成、令和へと三時代にまたがり活動してきた団体であります。昭和には激しい、そして厳しい運動に取り組んでまいりました。そして平成になりましては時代の変化と大きな社会環境の変化に鑑み、右翼改革元年を打ち出し、先ず我々が意識の改革と体質の改善を図って多くの大衆の皆様とともに国家社会地域の役にたてるような団体を目指して舵を切りました。そして平成の時代も終わって新たに令和の時代が始まった訳でありますが令和の時代は新しい人たちが多く台頭しております。新しい人たちの豊かな感性と新しい人たちの息吹によって令和の新しい時代を新しい運動で築き上げて盤石なる日本青年社を築き上げていってもらいたいと思います。これから年頭総会が始まりますが本日お越し頂いております様々な先生の御挨拶や意見を頂き、また参考にして、そして記憶に残るそんな年頭総会になってもらいたいとそのように心がけております。本年も一年ぜひ宜しくお願い申し上げます。有り難うございました」と述べた。

 続く日本青年社全国社友会会長挨拶は小林明会長が「松尾会長明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。またご臨席の諸先輩、同志の皆さん、今年一年間宜しくご指導頂きますようお願い申し上げます。

 先ほど松尾会長のお話にありましたように日本青年社は二十一世紀の初頭、「品格の向上と道徳心の向上」を目ざしておりますが、まだまだ自分たちが思っているほど世間では認めてもらっていないと思いますので皆様には一日も早く我々日本青年社が持っている潔さ、美しさ、素晴らしさを多くの皆さんの知って頂きたいと思います。また私が住む山梨では、日本青年社と言ったら、頑張ってくださいという言葉が結構多くなっております。(中略)そんな中で観光地には中国の方も来るんですがコロナウイルスの関係で営業を停止するホテルも出ています。今日もこの会場に来る途中で中央高速道の石川インターに寄ったら中国人かと思われる方たちが、観光バス二台で来ていましたが誰もマスクしていません。ですから統括長の大久保君にそのことを言ったら、あの人たちは台湾人ですよって言うので、そうですか、同じ北京語をしゃべっていたからなと言ったんですが、これは冗談と致しまして本年も皆さん一致団結しましょう。私はこれがすべてだと思います。どうか宜しくお願い申し上げます。素地でございますが有り難うございます」と述べた。

 最後に各県奉賛会千葉州時会長が「二月になりましたけど今年初めてお会いする方もいらっしゃいますので改めまして明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。

 先ず私が今年の日本青年社の機関紙『青年戦士』新年号に今年はねずみ年、そして忙しくなるという年でございますということを掲載いたしました。しかし小林会長が言いましたように現在、新型コロナウイルスという伝染病によって私たち以上に国家が騒がしく忙しいというような状態でございます。これはもっともっと拡がる可能が大でございますのでぜひ皆さん気をつけてください。特に私たちのようなお年寄りはね。そういうのにかかると先が短いから気をつけるようにしております。また今年は東京オリンピックなど様々な催事が沢山あります。そして経済効果というものを期待しているわけでございますが、それがどうなるかそれまだ分かりませが、やはり日本人として東京オリンピックぜひ成功させたいと私たちも思っている次第でございます。

 それとですね、私はタイ王国カンチャナブリ県の「平和祈念公園」奉賛会会長を拝命致しております都合上、常日頃より皆様には私の使命であり責務だと思って言わなければならないことがあります。皆様方には何度も私の話を聞いて耳のタコができているという方が沢山いると思っています。しかしながら、この「平和祈念公園」が今年で二十五周年という節目の年を迎えているわけですから、私はどうしても言わざるを得ない。そしてこの平和祈念公園奉賛活動と言う運動は必ず歴史にのこる運動であるとも確信致しております。

 また松尾会長も戦後五十年を迎えた平成七年から二十五年間、最初は公園を建立するための土地を探したり工事の段取りをしたり何度もカンチャナブリに行かれ、そこに色々と力を入れ、心を入れるなど、まさに男の生き様というものをそこに注入致しているわけでございます。ですから後に続く私たちはそれを継承していかなければならない訳でございます。勿論私も今言いましたように年齢も年齢、そして私たちのあとに続く若い人たちに継承していかなければならないと思っております。 どうかですね、皆様方にはご存知のように日本青年社は東シナ海の尖閣諸島魚釣島に私たちの先輩たちが、私も、もちろん魚釣島に三回ほど上陸しましたが、我が国の領土主権を守るために灯台を建設して二十七年にわたって保守点検塗装、そして塗装や電池の交換等を行ってまいりました。しかしながら、灯台を国家に無償移譲した後は、国有灯台として国が管理しますから私たちは行くこともできませんが、日本青年社というこの名前はこれからの歴史の上に残っていくでしょう。 そういう意味におきましても私たちがいつも言う平和祈念公園、これも必ず歴史に残る運動であると私は確信いたしております。そしてこれはいつも私が言うことでございますが、ただのいわゆる戦争で亡くなった英霊の方たちの真心、あるいは魂というものを、しっかりと安らかに眠って頂くために作り上げたものでございます。そういうことを皆様方も胸に刻み、そして今年は二十五周年という大きな節目の年でございます。一人でも多くの方々がご参会ただけるようぜひ宜しくお願い致します。

 末尾となりましたが、本日ご列席の隊員の皆様、今年一年益々のご隆盛とご多幸をご祈念致しまして私しの挨拶に代えさせて頂きます」と挨拶した。

 

第二部・令和二年「日本青年社年頭総会」開会報告

第二部の「年頭総会」は、第一部の全国代表者役員会議が行われた和楽殿からル・アール東郷に会場を移して開会した。

 年頭総会は午後一時、日本青年社行動隊長・石塚知己の指揮による国民儀礼と足立社友会事務局長事務局長・四宮崇の司会で開会した。

 開会挨拶では、日本青年社顧問・斎藤茂男が「本日は我が日本の新しい時代、令和二年「日本青年社年頭総会」に際し、ご多用の中をご臨席賜りました諸先生、諸先輩には誠に有り難うございました。

 また全国から参集いただきました心熱き同志同友の皆様には大変ご苦労さまでした。ここに心より厚く御礼申し上げます。

 さて、今年は、年明けから中国で発生した新型コロナウイルス肺炎が世界を騒がしております。また一月三十日にはイギリスのEU離脱、アメリカでは十一月に行なわれる大統領選挙とイラン核問題など、国際社会は大きな問題が噴出する多事多難な時を迎えている感が否めません。

 そのような中で、わが国は、本年、戦後七十五年を迎えました。しかし、我々の悲願である憲法改正は「笛吹けど踊らず」の如く、何の前進も見られず、戦後日本人は、いまだに贖罪意識と自虐意識のもとで米国一辺倒の対米従属に甘んじています。しかし我々は、国憂うる保守民族派として、我が国が一日も早く、道義国家日本再建に向けた第一歩を踏み出さなければならないと確信してやみません。

 本日の年頭総会は、そのような熱い思いをともに語らいながら、今日の一日を有意義にお過ごし頂きますことをお願い致しまして開会挨拶とさせて頂きます」と述べた。

 続く来賓挨拶では、作家の大下英治先生(別記事参照)と、高木書房代表取締役・斎藤信二先生(別記事参照)がお客様を代表して挨拶を述べられた。

 次の聖寿万歳ご発声は、富山県からお越しの武道家、中川愚山先生が、

 「改めましてこんにちは。ご紹介を賜りました中川でございます。こうしてお見受けしましたところご臨席の御諸賢各位が斯くも多数おられる中、私のような浅学非才な若輩者、未だ修行途上の青二才が弥栄の音頭などとは笑止千万甚だ僭越至極とは存じますが、ご指名を頂戴致しましたので謹んで合勤めさせて頂きます。一言ご挨拶の後、聖寿万歳を執り行わさせて頂きます。

 昨今コロナウイルスとかいうものが世間を賑わせておりますが私医者じゃありませんので原因などいろいろ囁かれておりますが真意のほどは分かりません。この今のごたごたを思いまして真っ先に直感で思いましたのが、これは靖国のお社にご鎮座遊ばれております二四六万四柱の英霊の御霊が怒り心頭に達しているということだと思っております。

 シナの親分ですね、独裁者がチベット、ウイグル、東トルクメニスタン、現在進行形で侵略、略奪、虐殺の限りを尽くしております。その独裁者親分をなぜ国賓で呼ぶのか、国賓と言うのは恐れ多くも陛下の拝謁を賜るものですから、陛下のご威光が霞むことは一切ございませんが、しかしながら英霊の御霊は、こんな国にするために我々は命を賭して戦ったわけではないんだと、何なんだこの体たらくはと言うことを強く思っておられてその結果、コロナウイルスとかが蔓延して、このままいくと独裁者は来ない可能性が出てくるわけですよね。それできっと英霊の御霊もお怒りなんだと思っております。ぜひ松尾会長をはじめとする日本青年社全社員の皆様、一致団結して私もそうなんですけどシナの親分を国賓待遇で、単なる来日ぐらいなら百歩ゆづって一万歩譲って良しとしますが、国賓等と言うことで呼ぶことを断固阻止できればなというふうに年頭の言葉で深く思った次第でございます。 今後とも今年一年宜しくお願い致します」と挨拶して聖寿万歳の音頭を執った。

 最後に弁護士・門西栄一先生が、乾杯の音頭を執って和やかな懇親会となった。

 

作家・大下英治先生のご挨拶

明けましておめでとうございます。

 実は今日私が順番を前にしてもらったのは二時半から菅官房長官の本を書くために取材がありますのでいつもより早くさせていただいたんでございます。

 今、年頭挨拶にありましたようにコロナウイルス感染が始まって日本は政局が大変荒れ始めています。私は一ケ月前に古賀誠さんに会ったんです。元宏池会の親分なんですけど。それで今度やっと岸田さんになってホットしていますねと言ったら古賀さんが意外なことを言いました。岸田にさせないよと言ったのです。何ですかと言ったら岸田にさせたら一~二年で日本がガタガタになると言ったので私は「えー」て言ったんです。そうしたら古賀さんが考えてみてくださいって言うんです。歴史を振り返って下さいと、長期政権のあとは何時もガタガタになるんです。いい例が中曽根さんの後はガタガタになって最後に結局は小沢さんたちが引っ繰り返しましたのが細川政権です。それで次の長期政権は小泉政権です。小泉政権のあとは回転寿司のように安倍、福田、麻生って変わってまた民主党政権です。小沢さんにやられました。今後はそれどころの長期政権じゃないんです。この長期政権の後はいっぱい課題が残っているんです。その後の処理ができると言ったら余程の人でないと、余程の修羅場をくぐってないとダメなんです。それで古賀さんが自分の派閥なんですから最も可愛いんですけど可哀そうだと言ったんですよ。やらせると彼は土筆(つくし)のようだからすぐ折れると、じゃー誰がやったらいいのかと言ったときに今は菅しかいないと、それは今までみんなプリンスで親の脛(すね)をかじってきたけど田舎から出てきてやっと下から這い上がってきた男だからこれしかないと一ケ月半前は古賀さんがそう言ってたんです。それで今度はその古賀さんが色々な流れの中でやっぱり岸田だと言い出したんです。と言うのはもう一つ言うと永田町と言うのは嫉妬の海です。女性の嫉妬も怖いけど、それどころではない男の嫉妬、特に永田町の嫉妬というのは、ちょっと目立つとみんなで襲い掛かるんです。そういう中を耐えた人間だけが昇っていく世界なんですけど、それで菅さんと言う人は私から見ると一番総理を狙っている男なんです。だけど衣の下の鎧は絶対見せないです。いえ私なんか支えるのが好きですとか、やりませんと言い続けているにもかかわらず、岸田さんたちがちょっと沈んだから、いつの間にか自分は頭を出さないつもりでも浮きあがっちゃったんです。浮き上がったらこの野郎ということで、そして幸か不幸か週刊文春が、私、週刊文春の記者を十三年間やっていましたから我が故郷なんですけど狙い撃ちです。

 酷いのは菅さんの一番の官僚の人が女性を連れて京都に行ったと、今週号なんかはもうインドに行ってですね。隣の部屋と隣の部屋が下でつながっている部屋があるそうですね。そこで寝ていたというのが今日の週刊文春に出ていましたけど、そこまで狙い撃ちされてるんです。

 それともう一つ彼が可哀そうなのは、それを全部自分が背負ってやるという形で、菅さんの価値は落ちてるんですけど、実はこの政権がなぜ長期政権なのかというのはもう一人、党の方と二階俊博という古狸がいて二人は絶対に安倍を裏切らない。しかし今永田町で喧嘩ができるのは二人しかいないんです。その二人が何かと言ったら二階さんは田中派、そして菅さんは田中角栄を破った竹下・金丸派の中の特に梶山静六という男の弟子なんです。

 だからやっぱりね、そういう面で言うと田中派というには武闘派ですから戦いで修羅場をくぐりぬけ続けてきたんですよ。

 だけど、言っちゃ悪いけど岸田さんの宏池会というのは公家集団と言って麿(マロ)と言って自分はやらないで人にやらせておいていいとこだけ狙うという。だからずっと安倍さんのおこぼれを待ち続けている。そういう状況の中で菅さんが浮かび上がったんですけど、菅さんも今きつくなってる。じゃあ、こういう状況でどういうことが起こるかということなんですけど、もう一つ、安倍さんはものすごく長くやってますけど一つだけ。レガシー、実は何も残らない可能性がある。長いだけで下手したらと言うのはご存知のように吉田さんはちゃんと日本を取り戻しました。それで岸さんはご存知のように安保改定をやりました。佐藤栄作は沖縄を取り返しました。田中角栄は日中国交をやりました。竹下登はちゃんと消費税をやりました。そうなると安倍さんは何が残るかって一つ言った俺のうちにやるといった拉致問題、有本さんの家族がこの間亡くなりました。

 ではロシアはどうか。あのしたたかなプーチンが、日本青年社はロシアに行って色々努力されているけど、あのしたたかなプーチンは一ミリも動きません。では最後に残されたのは何か。さっきの話にありましたけど憲法改正です。ではこの憲法改正をどうするかということなんですけど、中々参議院は三分の二が足りません。だけど二階の古狸がいま民主党に手を突っ込んで、今、四人足りないんですから四人ぐらい持ってきます。

 では後はどうするかって言ったときに安倍さんが残るのは憲法改正をしなければ安倍という男の自分の価値が残らないんです。それで最後に、これは私の勝手ですけど最後の最後は九条が問題になっているから、だけど彼は九条が動かないなら今回は二階が野党に手と突っ込んで今回は九条を外します。だけど憲法改正はやりましょうという形で安倍さんは恐らく憲法改正をやったというレガシーは残して安倍さんは四選があるかもわかりませんけど、下手したら安倍さんは岸田に譲るかもしれません。

 岸田に譲った後、一~二年で崩れる可能性がある。その時には菅がいます。それでだめな時にはもう一回安倍さんが再登板して窮状に挑むと、あるいは安倍さんにそんな力がなければ永田町の外で吠え続けている石破茂が、自民党の安倍一派が崩れるならば最後に石破が出てくるという状況です。

 それも崩れたら下手するとまた民主党に政権を握られるかもしれません。その中で大荒れしている日本の中で一層日本青年社に期待しております。日本の背骨に座った大きな発言を私は一層高めて頂きたいと思っています。私も頑張りますから皆さん宜しくお願いします」と挨拶した。