新春全国代表者役員会議・日本青年社年頭総会開催

新春全国代表者役員会議・日本青年社年頭総会開催

 日本青年社は、平成三十一年二月十一日(建国記念の日)、東京原宿の東郷神社に、全国から三〇〇有余名の役員と社員が参集して「新春全国代表者・役員会議」と「年頭総会」を開催した。

第一部・「新春全国代表者・役員会議」

 二月十一日、午前十一時、代表役員三十名が昇殿参拝を済ませた後、正午から会議室「和楽殿」において一〇〇名の役員が出席する中、四宮崇足立社友会事務局長の司会で『新春全国代表者・役員会議』を開会した。

 最初の年頭挨拶では松尾和也会長が「大変寒い日が続いておりますが、その寒い中をご苦労さまです。ここに感謝をもって心より御礼申し上げます。昨年は明治維新から一五〇年の節目の年を迎えました。そして本年は平成天皇御在位三十年、新天皇の御即位によって、新元号に御代替わりするという記念すべき年となりました。平成天皇、皇后両陛下に我々は終世感謝の気持ちを持ち続けたいと思っております。

 また、年明け早々から来年の話となりますが、皆様方が心と思いを込めて建立してから維持管理を続けているタイ王国カンチャナブリ県に鎮座する『神道平和祈念公園』ですが、お陰様を持ちまして来年は満二十五年を迎えることとなりました。戦後五〇年を迎えた平成七年(一九九五年)を期して記念すべく公園として皆様方の思いを、日本人の思いを託した『神道平和祈念公園』は、現在カンチャナブリ県の指定公園として認定されており、建立以来五年ごとに大きな例大祭を斎行しております。その行事は多くの人たちに注目されており、今や海外からも多くの人たちが訪れて日本の道徳心、日本人の品格、日本人の思いなどを学ぶ場となり学校の教材にも使用されております。この『神道平和祈念公園』が来年二十五周年を迎えるにあたり、その準備が昨年から着々と進んでいるところですが、来年の二十五周年は大きな節目にしたいと思っております。

 最後となりますが、かつてアメリカのダラスで暗殺されたジョン・エフ・ケネディ大統領、皆さんご承知のことと思いますが、このケネディさんが大統領に就任する時の一言が文書となって未だに教科書に載っており、多くのアメリカ人の心の支えになっているというようなことを先日耳にしました。この文書は「国家に対して何を望むかよりも、自分が国家に何を奉仕できるかを考えるべきである」この一言だけだそうです。我々に言い換えると、家庭が何かしてくれるのではなく、家庭に我々が何ができるか、会社が何かしてくれるのではなく、会社に我々が何が出来るか、そんな短い文ですが私は我々が生きる目標になるのではないかと、そのように感じましたのでちょっと引用させてもらいました。本年も始まったばかりですが、これから一年、皆様には健康で元気に日本青年社の伝統であります結束と団結をもって更なる前進の道を歩んでゆきたいと思います。本日はご苦労様です。有り難うございました。と挨拶した。

    小林明全国社友会会長のご挨拶
 

本日ご臨席を賜っております顧問団の先生方、同志同友の皆さん、昨年中一年間大変お世話になりました。お陰様を持ちまして全国社友会も無事つつがなく過ごすことができました。本年も宜しくお願い申し上げます。

 改めて思い返しますと昨年の日本は、天災、人災、色んな大変なことが起きました。その都度、一つひとつの出来事に、先ほど会長が申し上げましたように一致団結をもってものの見事に復活して参りました。この気持ちを忘れず私も全国社友会の末席を汚す者として、本年も一生懸命、先頭に立って頑張るつもりでおります」と挨拶した。

 その後『神道平和祈念公園』各県奉賛会の千葉州時会長が「今年も平成三十一年を無事に迎えました。そして今年は天皇陛下が譲位されまして元号が変わる年でございます。日本が新しい年を迎える年であります。また私が日本青年社の機関紙「青年戦士」の年頭挨拶に書きましたが、今年は干支におきましても最後の年である「亥」(いのしし)年でございますが「亥年」は一つの目標に向って突き進む。また今まで実ったものを来年に継続していくという意味がございます。

 私たちは色々な民族運動に取組んでおりますが運動は今年一年で終わるものでもございません。私たちが昭和五十三年に尖閣諸島魚釣島に建設した灯台もそうでございます。取組んだ運動の殆どは結果というものを出し得てきました。そして私は先ほど松尾会長が申しましたようにタイ王国カンチャナブリ県に鎮座しております『神道平和祈念公園』の奉賛会会長を拝命しております。この『平和祈念公園』は来年の四半世紀の節目の年に建立二十五周年を迎えますが、『平和祈念公園』だけではなく日本でオリンピックも開催される年でございます。私たちは、それらに向って一生懸命に模索しながら催事を考え、多くの皆様に本当に喜ばれるような『平和祈念公園』をつくっていこう。そして来年に斎行する例大祭には大勢の方々が参加してくれるように皆さんとともに頑張っていこうという決意を新たに致しております。そして今年で戦後七十四年を迎えた日本の民族派である私たちは戦後歪んでしまった日本国家のあり方を正すしっかりした民族運動をこれからも続けていかなければならないという覚悟も新たに致しまして皆様とともに力を合わせて足元を固めていこうと考えている次第でございます

第二部【年頭総会】

 第二部の年頭総会の会場を東郷神社の「和楽殿」から「ル・アール東郷」に移して午後一時から四時まで盛況の内に和やかに行われた。

 年頭総会は、石塚友巳行動隊長の指揮による国民儀礼に続いて司会者が、「本日は我が日本国の建国記念の日に開会致します平成三十一年度「日本青年社・年頭総会」に際しまして、ご多用の中を、ご臨席いただきました諸先生には誠に有り難うございました。

 また、全国から参集致しました同志同友の皆様には大変ご苦労さまでした。本年は今上陛下が御譲位あそばされ、皇太子殿下の新天皇御即位と改元に国民挙げて御奉祝を申し上げる寿(ことほぎ)の年のはじめに、かつて欧米列強の植民地支配によって塗炭の苦しみに喘いでいた、アジア諸国の人たちに希望と勇気をもたらした、日露戦争最大の日本海海戦において、ロシアのバルチック艦隊を撃滅して、世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げられた連合艦隊司令長官「東郷平八郎海軍大将」が勝利の神様として祀られる、東郷神社におきまして年頭総会を開会できますことは誠に光栄の限りでありますとの挨拶で開会した。

 御来賓御挨拶では、作家の大下英治先生、日本青年社議員同志連盟顧問の松村茂夫先生、富山県の中川愚山先生が挨拶したことに続いて、日本青年社議員同志連盟相談役の元埼玉県町村議会会長・元栗橋町議会議長・遠藤勝三先生の御発声による聖寿万歳と弁護士・門西栄一先生の御発声による乾杯が行われた。

    

大下英治先生ご挨拶

 いつもこの会に来ますと本当の意味で今年が明けたなという気が致します。明けましておめでとうございます。

 今年は平成が終わる年でありまして元号は何かということが色々と話題になっておりますけど、改めてこの機会に本当の意味で天皇とは何なのか、我々の国は何なのかということに踏み込んで語るべきだと思うんです。もう一つは今度の大嘗祭は果たして国の金でやっていいのかというような問題が皇室からも出ておりますが、新嘗祭と大嘗祭はどうなのか、同時に果たして天皇制はどうなのかということについて本来の意味であると踏み込むべきだと思うんです。それと同時にもう一つ、天皇陛下は自らが引くことはできません。それをあえて平成天皇は自らが引くとおっしゃいましたがこれは例のないことです。なぜ引いたのかといったら、平成天皇は象徴天皇としての役目、すなわち災害があった時とか、そういうときに自分が出て行って国民目線で自分も膝を折り、日本の色んなものを祈るという姿勢を見せました。これは昭和天皇にはないことです。そういう形で平成天皇があえて訴えているのが象徴の意味は何なのか、象徴の意味をしっかり果たすことによって天皇制が持続するというお考えなんです。

 一方は、私は三島由紀夫の先生である清水文雄という先生、学習院から最後は広島大学にこられた先生に学びました。この先生が最後に退官するときに、新古今集の歌を研究された先生ですけど、その先生が最後に黒板に私の思いを書きますということで、何を書かれるのかと思ったらチョークを持ってきて「雅が」と書きました。都の美、天皇のこともさすんですけど、最初に、雅という字と人まで書いたら、人という字の片方に力を込めすぎてチョークが飛びました。そのチョークをまた持ってきて、人を撃つ、撃つって射撃の撃です。だから、その新古今をやった人が、天皇制について語るとき、その撃という激しく撃つということを書きました。それが三島由紀夫の先生です。三島由紀夫は中学生時代からその先生に学びました。そして、もっと言うと三島由紀夫が一番影響を受けた歌人が、やはり広島大学出身なんですけど、その歌人がニューギニアの方に戦争に出ました。その戦争が終わった時に上司が何を言ったかといったら、これからの国はあれだよ、トルーマンであり蒋介石の時代だと、天皇制なんか無くなるんだよと、あんなものは終わったんだと言ったんです。そう言ったときに彼は何を言ってるのか、この国に天皇制がなくなるはずがないじゃないかということで彼はその上官を撃ち殺しました。そして彼自身は、皇国万歳と言って死にました。その先輩を三島由紀夫は見ておりました。この先輩は、私の心を受け継ぐのはこの若き三島君だと言って死にました。そして、その三島由紀夫が色々と美徳のよろめきとか艶めかしいものを書いておりましたけれど、生きていくに従って彼は改めてこの国は何なのか、天皇制は何なのかということで、もういっぺん少年の頃の原点に戻りました。その時彼が非常に考えたとき、彼は二・二六事件で天皇はなぜ二・二六事件の連中を撃ったのか、なぜ彼らを認めなかったのか、あるいはもう一ついうと、特攻隊に行った連中は何のために死んだんだと、神とする現人神のために死んだのに、なぜ人間宣言をしたのかと、いう形の作品を三島由紀夫は書きましたけれど、この三島由紀夫は三島由紀夫の考えで最後は三島由紀夫が自刃する前に言ったのは、「この国は空っぽだ、ニュートラルな何もない、こういう国家になったじゃないか。」と、小金持ちだけの金儲けだけが小ずるくうまい国になったじゃないか。この中心はどこにある。天皇の中心はどこにある。天皇制をもう一度考えて日本民族の根幹を考えろと言って彼は自刃しました。

 いま一つ、こういう三島由紀夫の考え方と、また象徴天皇である平成天皇の考え方と相反しているように見えますけど色々な意味で現在の天皇制に対するお互いの、しっくりいかない、もっとあるんじゃないかという両者の右と左、護憲派的な天皇と両者が合い離れていますけど、そういう面で、皆さんもこれを機に私を含めお互いに、日本の国は何なのか、天皇制とは何なのか、何の深さがあるのかということについて考えるいい機会だと思っています。

 私的な祈りは私的な行為であって認められてないんです。認められているのは大臣とかが決まった時に認可をするということです。そういう面でも本当の意味で天皇制とは何かということを国民自身が考えるときが来てると思いますので皆さんお互いに考えていきましょう。

松村茂夫先生ご挨拶

 皆さん今日は、僕は今、病気治療をしたりしながら埼玉の久喜の田舎で静かに世の中を見ております。

 僕は日本青年社の皆さん一人ひとりを心から尊敬しています。大好きです。

 そして今、僕は日本って凄い国になったと思っています。大下先生のお話にもありました。日米関係、日ロ関係、日中関係、そしてヨーロッパで、ドイツ、イギリス、フランス、どこの国の外交も全部安倍総理が外交リード権、主導権を安倍総理が持っている。もの凄いことだと思います。これは、特に日ロ関係なんかは、こういうふうにやっていけたのは、日本青年社の力が間違いなく大きい。間違いなく素晴らしい。

 日米関係ですがトランプ大統領は実際は困っています。あの方は僕が見てもそれほど政治能力がありません。何をやるか分からない位の人です。そして日ロ関係、領土問題のハードルが凄く上がっているように見えるでしょう。でも安倍総理が主導権を持っています。そして何より日中関係、習近平、親日に舵を切っていますね。凄いことだと思います。それでどうして安倍外交はこんなふうなのかといえば僕は間違いなく思い当たることが一つあります。身の毛もよだつ民主党政権という時代もありました。阿部さんは、その反対にいるんですね。どういうことかと申しますと、今、大下先生がおっしゃった天皇陛下と君民一体になって、この国をつくり上げてきた伝統と歴史を安倍総理はお腹の中にズシンと静めて外交していらっしゃいます。これは凄いことです。習近平さんも、これは安倍総理の日本は信頼できる。これはパートナーとして大事に扱ったほうが中国のためになると考えて舵を切ったんです。

 お隣の韓国を見てください。あのレーダーの電波、徴用工の問題、日本海は東海って並べて書きましょう。めちゃめちゃですよね。旭日旗の問題もあります。あれは友好国ですか。今までの中国だったら韓国の文句に何か乗せて自分も何か貰うべとか、そういう考えになってくるんですが韓国には誰も何も見向きもしない。あんだけ言ってる韓国の文在寅大統領は浮き上がっていくと思います。あの人の考え、僕はあの人の心に入ったことはないけれども、あの方がいまお考えになっていることは北朝鮮と融和統一を図り、そして、そこで主導権を持ち、なお且つ、核保有の朝鮮半島の自分はボスでいたい。そういう野望ではないかと思います。誰も相手にしてくれないんです。

 北朝鮮だって文在寅さんを相手にしないでしょう。だからあの国は大統領やったら、普通はやめても立派でした素晴らしいです。これからもお願いしますしかないのに、刑務所いっちゃったり、非業の最期を遂げたり、そういう国だから、それに中国は加担してきた。でも違う舵を切った。見向きもしない。親日だ。安倍さんの力だ。それは日本という国の素晴らしい形を腹に据えた外交をして下さっているお陰だ。そして、それを支えているのは私たちだ。それで僕はこんな心がけだけで生きているんです。「父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ朋友相信ジ 進デ公益ヲ広メ義勇公ニ奉ジ」これ教育勅語に書いてあるんです。これをズシンと腹に静めて毎日を過ごしたならば日本は本当に輝かしい時代を迎える。

 新しい元号、六月のG20サミット、オリンピック、私たちがそれをつくり上げて行きましょう。日本青年社が、一人ひとりの輪がこの日本を輝かして素晴らしい国になることは間違いない。僕はあと何年生きられるか分からないけど見届けたいし自分も参加したい。皆さんと一緒に。

中川愚山先生ご挨拶

 私は、齢五十を幾らか越えた洟垂れ小僧でございますので、六十代以上の諸先輩方に於かれましては若造の戯言とお聞き捨て下さいまして、御寛容の程御願い申し上げます。五十代以下の私と同年代や若い世代の方々には、是非共確りと聞いて頂き明日以降に繋げて頂ければ幸甚に存じます。そんな話は知ってるよと言う方は、どうぞ再確認をして頂ければと思います。それでは、今から二つの事柄についてお話をさせて頂きます。

 第一に、紀元節についてお話をさせて頂きます。

 本日、二月十一日は建国記念の日ですが、本々は紀元節と申しまして、神武天皇が御即位あそばされ我が祖國日本が肇まった記念すべき日で有ります。

 日本書紀に辛酉年春正月庚申朔日と有り、肇まりですから本来は一月一日で有る筈ですが何故二月十一日になったかと申しますと、明治五年に維新政府の山県有朋陸軍卿が太陰暦を太陽暦に改める様に換算を命じ、天文局の塚本明毅氏が遡って計算したところ二月十一日と言う日が決まり、その年の十一月に太政官布告を出し紀元節として決定致しました。

 よく、反日勢力が大東亜戦争の敗戦により昭和二十年八月十五日を以って新しく日本が始まったのだから、八月十五日が本当の建国記念の日なんだ、と馬鹿な事をのたまってますが、そう言った類いの暴論には一切耳を貸す必要は御座いません。

 そもそも、建国と言う言葉自体が間違った表現で有ります。建国と言う概念は前王朝を滅ぼして新王朝が樹立した時に新たに国を建てた、と言う事で建国と申します。例えばお隣の支那がそうですけれども、中国三千年の歴史なんて大嘘で、あの陸地一帯に幾多の王朝交代がなされた結果、累計三千年位になるのかなあと言う歴史で有って、現在は毛沢東が中華人民共和国を建国して今年で七十年ですよね。

 それに対して我が祖國日本は初代神武天皇の肇國爾来、萬世一系二千六百七十九年、第百二十五代の今上陛下に至るまで唯の一度も王朝交代はなされて居りません。ですから、國が肇まったので肇國、國の元(はじめ)を紀(しるす)で紀元節、と申すのが正しいので有ります。以上、紀元節の事についてお話をさせて頂きました。

 第二に、御代替わりについてお話をさせて頂きます。

 先ず何をおいても、今上陛下より何度も譲位と詔を賜って居るにも拘らず、陛下の赤子たる我々臣民が退位などと言う肇國爾来歴史上一度も使われた事の無い悪意に満ちた造語を用いては断じていけません。御譲位で御願い致します。

 次に四月一日の新元号の事前公表に付いてですが、改元は大化から平成まで二百四十七回行われております。百二十五の御代で二百四十七回ですから現在の一世一元以前には、即位に伴い行う代始改元の他に、吉兆時に行う祥瑞改元、凶兆時に行う災異改元、三革時に行う革年改元が有りました。因みに、第五十代桓武天皇以降で踐祚に伴う代始改元は七十回行われておりますが、全て踐祚后に改元されて居ります。今、即位や踐祚と申して居りましたが、正式には崩御に於ける皇位継承を諒闇踐祚、譲位に於ける皇位継承を受禪踐祚と申します。そして、皇位継承を内外に知らしめる事を即位と申しますが、以降は即位で統一して引き続きお話をさせて頂きます。

 改元の時期ですが、維新以降では慶応から明治が布告された年の元日に遡って元年とする立年改元、明治から大正竝に大正から昭和が布告された日から元年とする即日改元、昭和から平成が布告された翌日から元年とする踰日改元、その他維新以前には布告された翌月一日から元年とする踰月改元や、布告された翌年元日から元年とする踰年改元が行われて居りました。いずれにしても、等しく全ての元号は皇位継承后に新帝が允裁あそばされ、御名御璽を賜り布告されて居ります。今回の様な、皇位継承前に新元号を事前公表するなどと言う事は、我が國の歴史上唯の一度も有りません。元号と言うのは飽くまでも天皇陛下の元号で有って、政府の元号では御座いません。今上即位の元号なればこそ、陛下が統治あそばされる時空を我々赤子も共有させて頂く事により、世界に類を見ない君民一体君民共治の日本國體が悠久の大河のごとく連綿と続いて居るのです。

四月一日の事前公表迄、あと一か月半強御座います。我々臣下が一丸となって、次代に禍根を残すであろうこの暴挙を阻止致しましょう。そして、四月三十日に今上陛下が御譲位あそばされ、翌五月一日に皇太子殿下が新帝に御即位あそばされます。この御代替わりの時期にも、日本國を揺るがす事象が孕んで居ます。

 先ず五月一日ですが、皆様ご承知の通り血のメーデーの日で御座います。何故、態々この日に御即位の日を持って来たのか、数多有る月日の中で何故他の日では駄目なのか全く理解に苦しみます。

 次に由々しき問題は、現憲法下で行われた平成の御代替わりの時でさえ昭和天皇が崩御あそばされた一月七日当日に行われた剣璽等承継の儀が、今回は何と今上陛下御譲位の翌日に行われる事で有ります。この、日を跨いで行われる事によって天皇陛下の神性霊性が脅かされる事となります。この剣璽等承継の儀は、本来は剣璽渡御ノ儀と申しまして、剣璽とは三種の神器における天叢雲剣これは草薙剣の事ですね、それと八坂瓊曲玉の事です。但し、もう一つの神器で有る八咫鏡は最も神聖なものとして賢所に奉安されて居り、この儀式で動く事は有りません。この剣璽が皇位の御印として渡御、つまり自ら遷られる訳です。ここに、萬世一系の皇統が揺ぎ無く保持されて来たのです。ですから、空白の時が有っては絶対にいけないのです。

 是非、新元号の事前公表同様に、我々が一丸となって臣道に背く暴挙を阻止すべく出来る限りの行動を起こしましょう。

 以上の事を踏まえ、我々赤子が常に取るべき行動は、十七条憲法の第三条に有ります、承詔必謹で御座います。

 また、明治維新の立役者のお一方であられる高杉晋作翁が「國を滅ぼすは外患にあらず内憂にあり」と申されて居ります。

 是非、この二点も留め於いて頂き度、御願い申し上げます。

 結びに、畏れ多くも皇室の彌榮と祖國日本の隆盛発展、松尾会長を始めとする日本青年社全社員、そして本日御臨席を賜りました御諸賢各位の、御健勝と御多幸そして更なる御発展を心より御祈念を申し上げまして、来賓代表の御挨拶を申し述べさせて頂きました。