青年戦士紹介
日本青年社 総括長
山憂連合 代表 大久保 叡

私は山梨県に生まれました。小さい頃から父親に「今の生活が出来ているには、大東亜戦争で劣悪な中で飲まず喰わずで戦った兵隊さんが居たからだ」と言
い聞かされて育ちました。そのような折、日本青年社顧問である山憂連合の志村喜一会長と知り会ったのが切っ掛けとなって山憂連合に在籍しましたが、松尾
会長の日本青年社会長就任と同時に山憂連合が日本青年社に加盟したことによって志村喜一会長が日本青年社副会長に就任しましたので、私も副会長に随行す
る機会が多くなり、そこで今までに無かった勉強をする機会を得るようになりました。
 その活動は、北朝鮮による日本人拉致を国に認めさせて救出する運動、平成七年から現在まで続いているタイ王国に鎮座します神道平和祈念公園奉賛活動、
平成十四年には尖閣諸島魚釣島灯台保守点検活動、三ヶ根山の殉国七士廟墓前祭への参加、北方領土返還キャラバン隊への参加、東京裁判再審請求署名活動、
北方領土問題については、日本青年社がロシアの招請を受けたロシア訪問等々多くの運動への参加が叶って多くの事を学ぶ事が出来ましたが、今なお日々勉強
していかなければならないと強烈に考えさせられたのが、平成十一年に日本青年社が打ち出した「右翼民族派改革元年」のスローガンです。それは、私達の活
動は、国民大衆の理解と支持を受けながら更なる拡大に務めることによって、日本青年社綱領の実現を見るという事ですが、当時の日本青年社の活動を他団体
の活動を比較すると、その内容は灯台建設維持管理活動の他は他団体とさほど差異はなかったのではないかと思います。しかし、当時日本青年社が旧来の右翼
という枠組から脱却して、国民大衆から支持される団体になければならないという事から、当時も現在もあまり世間から受け入れられていないと思われる街宣
活動を見直し、他の方法で国民大衆に受け入れられる活動の一つの方法として、議員同志連盟と全国社友会を設立したところ、日本青年社は、色々な議員の先
生や企業経営者の方々に認知して頂きながら、その活動が広く世論の理解を得ることのできる活動へと変化してまいりました。現在は平和祈念公園の各県奉賛
会の方々、弁護士、元国会議員、教育者、医師等 多岐に渡る多くの先生方から認知され、その意義を社会に広く知らしめて頂くようになりました。
 このように日本青年社は正当な民族派団体として多くの国民大衆に受け入れられる基礎はすでに確立されておりますので、私もより一層努力奮闘して参りま
すので、各位様にはこれからもご指導のほど宜しくお願いしまして私の自己紹介といたします。