春季例大祭 第47回「神道平和祈念公園」 

今年の「平和祈念公園」春季例大祭は、六月十六日に日本から奉賛団七十余名が羽田空港からバンコクに向けて出発。バンコクで一泊した翌日の十七日、バ
スでカンチャナブリ県に向う。カンチャナブリ県では、毎年二回訪れている孤児院「子供の村」を慰問。十八日の平和祈念公園春季例大祭は、日本からの奉賛
団とタイ王国の関係者によって厳粛に斎行された。
 十八日の春季例大祭は、アジア和平タイ委員会を代表してワッタナー氏、ベトナムから参加したカン氏、アジア和平日本委員会を代表して岡本芳己氏の挨拶
に続いて、アジア和平日本委員会小林明会長が開会の辞を述べた。
式典では桑井川神社の神官による神事と足立奉賛会・田中宏往代表の献上詞奉読が行われた後、全員で玉串奉奠、謝辞では千葉州時各県奉賛会会長が御
礼を述べ、最後に徳川光康先生が閉会の辞を述べて閉会した。

例大祭に参加して【繋がってきた想い】
足立奉賛会 中新井田 巧(なかにいだ たくみ)
 平成三十年六月十八日、皆様にはタイ王国カンチャナブリ県の「神道平和祈念公園」において斎行されました「第四十七回春季例大祭》お疲れ様でした。私
は今回初めて「神道平和祈念公園」を訪れることができました。
 私は初め「神道平和祈念公園」が何をする場所なのか、何が為される場所なのか、何も知りませんでした。ですが、園内の至る所を拝見させて頂いたり、先
輩方のお話を聞いて、今、私がいる「神道平和祈念公園」が、どれだけ偉大な場所なのか、どれだけの努力が詰まっているのかを改めて知ることが出来たと思
います。
 この地は最初は木々もなく、整地もされてなく、何もないゼロからのスタートだったと聞きました。ですが、何もなかったこの地を耕して整地し、木を植え
育て、石碑を建て、桑井川神社と平和祈念慰霊碑を建立して、今の平和祈念公園が出来ました。それと、一切の寄付を受けずに神道平和祈念公園を造り上げた
というのも驚きです。
 自分たちの手でこの地を造り上げ、英霊達を祀ろうとした偉大な先輩方の行動に感動、そして本当に尊敬致します。もし私が先輩方と同じ立場であったら、
このような同じことが出来たでしょうか。今の自分では想像もつかなかった筈です。先輩方には本当に畏敬の念を抱くばかりであります。
 そして、「子供の村学園」を慰問したことも、ものすごく大きな衝撃となりました。私が知っている孤児院とは違って洋服が足りない、靴がない、食料が不
足している、勉強するための筆記用具もノートが足りないなど、本当に足りないものばかりでした。けど、それに反して、子供達の顔には一点の曇りもなく、
まばゆいばかりの笑顔が輝いていました。どこまでも純粋で、見ているこっちまで自然に笑顔になってしまうような、そんな笑顔が所狭しと輝いて見えまし
た。子供の頃の私にも、こういう笑顔があったのでしょうか。今一度自分を見つめなおす大きなきっかけになりました。
 この笑顔、そして平和を、私の先輩方が現在に至るまで守り、継承してきたものであり、そして、次ぎの世代、また次の世代へと失われずに継承されていく
ように自分に何が出来るのか考えてみました。私個人の力では到底、守り繋げていけるとは思えません。なので、日本青年社、アジア和平日本委員会、各県奉
賛会の同志とともに、この笑顔が失われないよう、また、二度と忌まわしい戦争が起きることのないよう、世界の平和を願い、次の世代、またその次の世代へ
と繋げて行く事が、今、現在に生きる私達若者の役目だと思いました。
 この平和がいつまでも続きますように。