倫理・道徳・品格の向上 

日本青年社では、戦後六十年を迎えたことを機に、「倫理・道徳・品格の向上」を基本理念とした冊子を三回に渡り作成し、新たな啓蒙運動に邁進してまい
りましたが、十年を経過した今、更なる高みを目指し未来に向けての提言としてここに転載し、掲載することとします。

日本青年社 未来への提言
倫理・道徳の復興に当って
 毎日のテレビ・新聞等のマスコミの報道は、痛ましい殺人事件や法律違反の重大な不正行為の話題ばかりです。昭和二十年の敗戦までは、日本は犯罪が少な
くて安全な国で、日本人は礼儀正しい国民であると世界中の人達から評価されていました。

 その日本が今では、小学生の半数以上が防犯ベルなど持参で登校するという犯罪大国に成り下がってしまいました。それでも子供達が被害者となる事件が続
発して、行政側は学校警備に躍起になっています。これでは文部科学省ではなく、文部警察省ではありませんか。

 しかし、残念ながら警備を厳しくしても効果は見込めません。潜在的な加害者は、日本の社会に無数に存在するのですから。マッカーサー(GHQ)に占領
されて以来の六十年間の倫理道徳不在の学校教育・社会教育・国民教育のツケが回って来たのです。犯罪の根源を絶つ以外には方法はありません。

 では早急な倫理道徳復活の方策は如何にすべきでしょうか。それは明治二十三年の教育勅語の発布に学ぶことが先決です。現在の敗戦後の公衆道徳の退廃と
同様に、明治維新の際も大変な混乱がありました。何でもかんでも欧米の舶来の文明文化崇拝で、日本古来の倫理道徳・武道精神は、封建的で無価値なものだ
という極端な偏見が横行したのです。その結果、学校も社会も国民道徳の規範が無くなって大混乱に陥ったのです。

 この非常事態を改善するために、全国知事会・文部大臣・総理大臣・明治天皇の側近の大学者が知恵を結集して完成させたのが『教育勅語』でした。教育勅
語の発布で乱れに乱れた日本の教育界が正常化し、大発展したばかりでなく、世界各国の学者・為政者から絶賛され、欧米の文明国の国民教育の模範となりま
した。これは現在まで続いております。知らないのは日本人だけです。

 今こそ日本の徳育教育を立て直し、本来の日本人の誇りある精神を取戻すために、有志ある皆様と一致協力して世紀の啓蒙運動に邁進しようではありません
か。


日本青年社の基本理念
 我が国に於ける昨今の倫理・道徳退廃の現状は目に余り、とどまる所を知らぬ様相を呈しております。

 その多くの要因はいわゆる戦後の占領政策に起因し、結果として精神的背骨を失い、取り戻す努力を怠り、その教育を放棄してきた日本人そのものにあると
断定せざるをえません。

 昨今の我が国は民族の本然たる道義や道徳、修身といった教育が「言葉」の上のものとなり、それを「教育・教練」として受け、身につけるべき機会を完全
に損なっております。

 日本人は元来、『この世に生を受け、人の為にいかにあるべきか』という利他の精神を育んできた民族であり、そうした生き方は人としての『在り方』を希
求し『らしさ』として体現してきました。

 『在り方』や『らしさ』を求める生き方の対象は大勢の中の自己にあり、自己の研鑚の不足を『恥』としてきた民族だからこそ、より高度な人格形成をなし
てきたのであります。

 日本民族は世々、先祖の遺徳とその叡智を尊重し、万物に生命観を抱き、あまねく森羅万象を恵みとして、更にそれらを八百万の神々として崇めるという素
晴らしい日本独得の伝統文化を形成し、継承して参りました。

 『人類文明の秘宝』とまで評されたはずの日本民族とその精神は敗戦と占領政策、特に不法不当な極東国際軍事裁判によって歪められ、史実に反する教育と
戦後の間違った自虐史観によって取り返しのつかない状態に陥っております。

 近代科学文明が進み、世界の情報がリアルタイムで入手でき、人間の叡智が国際的に生かされる時代でありながら、いまだに紛争の解決を戦争に求める愚を
犯しつづけ、大国のエゴのみが正当化される社会がそこにあり、経済にあっては昨今のマネーゲームに見えるように、技術や生産を伴わない拝金・利己主義に
翻弄される…そんな社会に一石を投じなくてはなりません。

 歴史の中でも幾度となく直面した、このような世情を打開してきたのは常に『維新』、すなわち原点に立ち返り元の姿を復元する事にあります。
 科学的進歩と経済的発展の裏側に置き去りにされた『真の叡智』と『誠の正義』は日本民族が育んできた慈愛の心と、堅く貫いてきた義の心で再興しなくて
はなりません。
 日本民族の資質の向上と意識の昂揚は時代に求められた必然性であり、進むべき道を知覚感得し、涵養せしめるべく、われわれ日本青年社は誇り高き日本人
の姿を復元しうる模範となり、誤れる国情を軌道修正すべく『倫理・道徳・品格の向上』をもって基本理念とすることを宣言します。

ロンドン大学における『教育勅語』の講演会 一九〇七年(明治四十年)二月十四日
 日英同盟を結んでいた日本が日露戦争に大勝利を収めたのが元で、英国の大使館から日本の文部省に、ロンドン大学で『教育勅語』専門の教育講演会の依頼
がありました。文部省は、英国に二度の留学の経験のある菊池大麓男爵を派遣することにしました。菊池男爵と文部省は苦心して英語教育勅語を作成し、明治
四十年二月十四日から二十五回の連続講義を行いました。二十五回にもなった訳は、日本歴史の講義から始めないと、外国人には教育勅語を理解させるのが難
しいことと、学校教育での実際の修身の授業を紹介するためでした。

 この講演に関して、ロンドンの新聞「スタンダード紙」は次のように論評しました。
 「『一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ』とは天皇陛下が日本全般の国民に告げ給いし教訓である。しかして国民が如何にうるわしく之を服膺(教えを守ること)
せるかは、一九〇四~一九〇五年の日露戦争が明らかに証明している。このような教訓によってこそ義勇奉公の熱情に鼓舞せられる真正の国民軍を組織するこ
とが出来たのである。しかも我が英国民が深く恐怖する『軍隊政治(ミリタリズム)』(将校と兵隊との階級社会の差が酷くて国の為に働くという気風が皆
無)は義勇奉公の精神とは何らの関係もない。実に日本国民は西洋人の理解不可能な方法を以って教育の意義と其の目的とを解決することが出来たと云うべき
である。もし日本人が物質方面において西洋の模擬者とするならば、西洋人は精神的方面において日本の模擬者であることが其の利益となるものである。」
 このようなロンドン大学での『教育勅語』の講演の成果を踏まえて、牧野文部大臣は同年5月の全国教育家大集会において次のように訓示しました。

 「我が教育勅語は今や海外において深く学者・為政者の研究する所となり(中略)世界における最も大なる教訓となりつつあり。要するに教育勅語に関し諸
君に対する余の要望は、其の内容が国民一般の心となることに勉められんこと是れなり」と。


第一回世界道徳教育会議 一九〇八年(明治四十一年九月二十五日~二十八日 於ロンドン)
 史上空前の大盛況でした。当時の世界の主要国二十ケ国の文部大臣、首相・大統領代理、教育学者。十七のイギリス連邦諸国。有名大学二十二校。教育当局
(EducationAuthorities)五十二。協会(Associations)一一八の合計一九二団体が参加しました。

 サドラー会長は開会の辞において特別に『愛国的義務と自我の徹底的抑制を巌格に教え込んでいる日本人の訓練における、道徳上の名声と偉大な伝統の力を
理解するのに力になってくれる人が参加しております』と述べ、日本政府代表の出席を歓迎しました。

 日本政府を代表して北条時敬(広島大学学長)が『日本の諸学校における徳育』と題し、小学修身教科書に頻出する二宮尊徳や楠木正成・正行の例話に言及
する演説を行ないました。

 北条時敬の掃朝報告の一部を引用すると、「我が文部省よりは会議の資料として特に教育勅語及び図書図画、修身教科書、同掛図などを提出し、之を会議場
に陳列したるが、各国代表者の中には是非之を買い受けたしと迫る者ありしが、部数に限りあるを以って之を果たさず……斯かる有様なるを以って、日本の国
民教育に就いては大いに参列者の注目を惹けり。依って私は之に対して日本における道徳教育に関する実際上のことを印刷したるものを各国代表者に配布して
之を説明して大いに喝采を博せり」と。

 この会議の際には、英語教育勅語の外に、ドイツ語教育勅語・フランス語教育勅語・漢文教育勅語も関係各国に配布されました。その訳は、前年のロンドン
大学における『教育勅語』の講演会で、英文訳の教育勅語を披露したのを知った英語圏以外の国々から、強くドイツ語訳やフランス語訳の教育勅語の要望が
あって急遽文部省が作成して間に合わせることにしたのです。

 このようにして日本の教育勅語と修身教科書は世界中に拡がり、以来九十八年間、戦争中も戦後も、日本国以外の文明国の道徳教育の模範となっておりま
す。教育勅語と修身教科書の真価を理解出来ずに、世界に誇る宝物を粗末にしているのは、情けないことに本家・本元の日本人だけです。