第十七回 全国議員同志連盟・社友総会 開催報告

八月七日(日)午後2時より、東京永田町の星陵会館において、今年で十七回を迎えた「全国議員同志連盟・社友総会」が開催した。会場は全国から参集し
た出席者によって埋め尽くされた。

総会は冒頭の国民儀礼に続いて、松村茂夫議員同志連盟会長が
「私は先日の日本青年社の会議に出席して、「いま、ここ」、「いま、ここに全力だ」。
遠く でも過去でも未来でもない。「いま、ここが大切である」とお話しをしました。
そして全ては自分自身にある。
人のせいでも回りのせいでもない、例えそれが 環境のせいであろうと、何であろうと、受け止めるのは自分自身であります。自分自身がどのようの良い答えを出せるか、ということあります。それは急がな くてもいいし、力まなくても焦らなくてもいいと申し上げました。これは如何に生きるか、どのように生きるかという形について述べたものであります。
この形も大切なんですが、一番大切なのは形よりも中身でございます、心であり、魂であり、日本精神です。
これは今日の梅沢先生から頂けるご講演の基調になっ ていると思います。
「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」と孔子の言葉にあります、それは、人はどう生きるかという中身が大切であって、それを知る ことは命を引き換えにするほど価値があるということだと思います。
今日の梅沢先生のご講演を命懸けでお聞きしましょう。集中して真剣にお聞きしましょ う。
そうすると皆さんの人生に新しい力が沸いてまいります。皆さんの心が清らかさと光明に満たされるでしょう。
それでは日本青年社全国議員同志連盟・社 友総会を開会いたします」と挨拶した。

 続いて、日本航空学園理事長・日タイ合弁財団「二十一世紀文化教育財団理事長の梅沢重雄先生が、「教育の淵源」と題し、戦後失われた日本精神について 講演した。(講演主旨は下記囲み記事参照)

 最後に、日本青年社全国社友会・小林明会長が「只今ご講演をいただきました梅沢理事長には本年、日タイ合弁財団「二十一世紀文化教育財団」の理事長に 就任してくださいました。私が本日の講演をお願いする電話を差し上げたとき、梅沢理事長から、小林さん、そんな他人行儀なことはやめてくれよ、私はもう 日本青年社の同志なんだよ」という大変ありがたい言葉を頂きました。これから梅沢理事長のような教育者の方が、我々の同志としてともに活動してもらえる ことは心強い限りであります。また北朝鮮のミサイル発射や、中国の漁船が何百隻も日本の尖閣の海域に入っているにもかかわらず、わが国は何一つ行動を起 こせない。私は行ってやってこいといったら行きますよ。そういった心持ちを梅沢理事長もお持ちだと思います。私は今後とも皆さんとともに頑張りますので 皆さんも一緒に頑張りましょう」
と謝辞を述べて閉会した。

教育の淵源
学校法人 日本航空学園
日・タイ合弁二十一世紀文化教育財団
理事長 梅 沢 重 雄
1、教育と学校の存在について
(1)教育の存在
 西郷隆盛「偶感」
幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
丈夫玉砕甎全を恥ず
一家の遺事人知るや否や
児孫の為に美田を買はず
 明治維新の元勲、西郷隆盛はこのように詠っています。要するに財産を残すことよりも精神を残せということであります。この流れこそが教育の必要性であ ります。ではどのような精神を残すのかということが大切になります。元来教育は人を育てる事であると言われています。
親がいなくても子は育つことが出 来、学校へ行かなくても働けば食べて行けるのです。
 しかし学校があり教育が存在するのは、「善く育てたい。」という目的があるからです。人生観に理想があり、価値観に善悪があり、国民生活に理想と目標 があるからこそ、特にこのことについて確信があるからこそ、学校が存在し教育が存在するのであります。我々に次代の青少年を「このように育てたい。」と いう目標と信念がなければ、学校も教育も存在しないのです。ということは地球の在り方、日本の在り方、地域の在り方、家族の在り方、要するに「世界諸国 民国際的共存の現状に於て、『世界の平和と人類の福祉』に貢献せんとする我が祖国民の協力の世活を如何に導くべきか。」

 この重大事に関する原理定まる時、教育は初めて存在の理由を生じます。私の経営する日本航空学園は、次のような信念で教育活動をしたのです。歴史的発 展に因って生まれ来た一国民に特有な国民文化がないならば、教育の必要はありません。又教育を行わんとした所で教育の力の湧き出づる源がない。
国民文化 を創造する所の伝統的国民精神、これぞ教育の本体です。国民精神の威力によって、国民精神を将来に伝えるのが教育であります。教育の本質は、祖国民不朽 の生命の伝達ではないでしょうか。

 私の祖父義三は、「航空教育を通して愛国の精神を培う。」と決めて日本航空学園を創立し、父鋭蔵は次の校訓5箇条を、生涯を通して説きました。

校訓
一、礼節を尊び忍耐努力の精神を体得すべし
一、熟慮断行以て風林火山たるべし
一、至誠一貫信義を重んずべし
一、質実剛健文武両道に徹すべし
一、敬神崇祖以て伝統を承継し祖国を興隆すべし

(2)教育の目的
 国民精神の威力によって、文化を伝えるのが教育であります。西郷隆盛の「偶感」から思うことは、独立自営、財力に勝る精神の力を如何なる困苦にも負け ず万難を排除して我が意図を貫かんとする土根性から来る業績を、名を残したかったのであります。
 「武夫は玉も黄金も何かせん、命に代へて名こそ惜しけれ」
 人間は所詮死にます。その死期が来たなと気が付いた時、我々は何を感じるのでしょうか。我々の後輩が、子供が教え子が、民族伝統の精神を受け継ぎ、正 の為、義の為には命をも捨てる覚悟を持ち、「後は引き受けます。」「これからの世界は、日本はお任せ下さい。」と言うに及んで我々は安心して死んで逝け るのではないでしょうか。

 吉田松陰は幕府によって捕らえられ、江戸送りになって、小塚の原で打ち首となりました。処刑される直前、幕吏に頼み、塾生伊藤俊助(伊藤博文公)に辞 世の歌として

 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

と書いて送り、従容として死に就きました。吉田松陰は萩の松下村塾で僅か二年半という短期間の指導にも拘わらず、幾多の明治維新の基幹となった人物を育 てました。松下村塾八畳の間は現在の幾千、幾万坪の大学より遥かに偉大であります。教育は、肉体の命より大切な精神の命を子孫に伝える働きであります。
国際問題も経済問題も政治も、次代に引き継ぐ子孫の為にあるのです。唯この事の為に意義があるのですから、教育ほどまた学校ほど重要なものはないのであ ります。学校は人間を作るのであり、品物の製造工場ではありません。

 学問学習の目的は「生きる力」を習得することにあります。日本人としての生き方、国際人としての生き方。家族の一員としての生き方、企業人としての生
き方等を学び、健康なる肉体を作ることが必要です。知識、技術、道徳、健康等を備えた人を養成することに、その目的はあります。しかし多くの父母、学校 の先生が心得違いをしております。

 我が子や教え子の学校選択時に「あの学校は進学率が良い。」「有名だから。」などと言って指導していることです。有名大学に何人入れるかによって、学 校の価値が判断されているのです。良い小学校(進学の)から良い中学校(進学の)、そして良い高校(進学の)から良い大学(有名で就職の良い)に進める ことにしか頭がないのです。求める所は安易なる生活、地位、財産、名誉であります。学校を以て、我が子が富貴、贅沢なる生活に至る一番の早道と考え、心 得ているのであり、学校は人間らしい人間を作る神聖な場所であるという考え方はありません。合格、就職、安楽生活しか頭にないのです。
友情と信頼、先生 への尊敬、両親への感謝、公共心の発達等どうでも良いのです。贅沢を好み、勤労を嫌がり、義理を弁えず、義務を果たさず、権利のみ主張し、自分勝手に行 動する柔弱不良児の多き事、愛国心の基本である愛校心の成長などおぼつかないのであります。今の教育基本法を読んでも日本人としての誇りと力強さは何も 感じられません。
早期に改正すべきと考えます。真の自由は厳格な規律から育つものと信じております。父母の利己的な教育要求に押し流されて、気力もな く、本来の教育から逸脱し、世の親も子も学校へ行く事は、出世栄達の関門と考えるならば誠に嘆かわしい限りであります。競争によって自己の出世のみ考え る者ばかりの世の中であると、結局は一時的に高度成長からバブルの夢は見たが、今日のような不安定、深刻な経済、景気となってしまうのではないでしょう か。それは国家の基本である自主独立の精神が、政治家を始めとして外務省、農水省に至るまでなくしてしまっているのです。教育は設備に非ず、建物によら ず、生徒は先生が何を語り、何を教えるかによって教育されます。先生の人物に影響されるのです。

(3)教育の成果
 今日本は、北朝鮮の核に怯えています。国を護ることが今更ながら議論のポイントになってきました。では自衛隊だけに頼れば良いのでしょうか。
イージス 艦を出発させれば良いのでしょうか。最も大切なことは愛国心を教えること、国に誇りを持たないと愛国心は芽生えません。更に国家防衛教育をすることだと 思います。
今や民族精神なし、故に真の教育、真の芸術は生まれません。唯外国の模倣とインチキ芸術に過ぎません。あるいは唯点取り主義の知識の切り売り と出世主義の学校教育、形式的な道徳教育で、親の嘆きを他にお茶を濁しているに過ぎません。
国破れても領土はあります。国民が残ります。法律もあり、国語もあります。然らば国破れたとは何か、即ち其の国民の自由、独立、国民精神が滅んだ時、その国家は滅びたのであります。もし戦いに破れてもその国民特 に青少年の民族精神盛んにして、立ち上がらんと意気盛んであるとするならば、其の国は、断じて破れていないと思うのであります。
日本精神が滅んだ時、日本という国は最早滅んだのである。日本精神を守る事、それが国防の本体であると確信しています。

 明治天皇の御製に「よとともに語りつたへよ国のため命をすてし人の勲を」とあります。現在の国があるのは、今の私達があるのは御先祖様のお陰であり、 国の為に尽くして頂いた諸先輩方のお陰であります。

 靖国神社には御祭神として二四六万六三三二名の方々が祀られています。靖国神社の神様は、日本の独立と平和が永遠に続くように、そして御先祖様が残し て下さった日本の素晴らしい伝統と歴史がいつまでも続くように、と願って戦いに尊い生命を捧げて下さいました。日本が平和で栄えているのは、靖国神社の 神様になられた方々のお陰なのです。この方々が戦争の時、ご自分の生命まで捧げて守って下さった「私達の日本」を、これからも大切にすべきです。
天皇陛下はお参りしなくなりました。内閣総理大臣の参拝も外国に遠慮しながら行っています。自衛官も制服では行きません。学校で堂々と制服で団体参拝をするのは日本航空学園だけではないでしょうか。
教育とは何かを議論する前に、このことから考え直さなければ結局中途半端になってしまうと思うのです。

●次代を担う青少年へ
 文学博士 坪内逍遥
 我が国は地図にて見れば小さき国なり。それを大日本と呼びてはずかしからぬわけを知れりや。大とは形の大小のみをいふにあらず、質のりっぱなるをこそ、まことの大といふべけれ。人についていはば、善き人はにて、悪しき人はなり。

 いかほど躰大きく、腕力強く、身分高く、財産多く、才智、学問優れたりとも、心だて悪しき人は小人なり、卑しむべし。小人、悪人とは、自分勝手のみを行う者をいふ。大人、善人とは、他人を思ひやる心深く、道理に明るく、勇気ある人をいふ。
 世界に国は多けれど、我が国は古来、君、親を思ふ心深きによりて知られ、家、国を思ふ心深きによりて知らる。日本に生れたるを幸福と思へ。

 我が国は善人多く、大人多しと褒められたる国ぞ。
 さりながら、これをして行末長く、まことの大日本たらしめると否とは、ひとへに国民の心がけによることなるを忘るべからず

2、人財の育成と我が国の将来
・自由と規律 規律を守って自由がある
・長所伸展 国も個人も良い所を探し、そこを伸ばす
・共感共創 日本は世界最古の皇室を中心とした国家、「家」である
 メディアのいじめから赦しの文化へ
・観光立国 世界の公園となる。四季があり自然があり神道に根ざした自然愛の素敵な文化がある。