ロシア訪問に対しての日本青年社の正義とその決意

日本青年社 ロシア訪問団団長
杉 山  洋

 我々日本青年社は、並々ならぬ決意を持って、ロシア訪問団を結団し、ロシア国の中枢、モスクワ・クレムリンとサンクトペテルブルグに於いて日本民族の気概を示し、永年にわたる領土問題の決着への道を拓くことをここに高らかに宣言します。

 我々日本青年社は、右翼・民族派として、領土問題に対し、徹底的な闘いを展開してきました。

 昭和五十三年、中国政府は尖閣諸島の領有を主張し、武装漁船団が大挙して不法侵入を繰り返し、我が国に威嚇行動を行ったことに対し、日本青年社は「尖閣諸島上陸決死隊」を結成し、果敢に魚釣島に上陸、同年八月十一日、日中友好条約調印の前日、魚釣島一号灯台の建設に成功しました。この小さな「尖閣の灯」は、世界に向かって尖閣諸島は日本の領土であることを示し続けてきたのであります。

 日本青年社は日本の政府、国民が「やりたくてもできない」問題を、自らを犠牲にしつつ困難に立ち向かうことを結成以来の精神として持ち続けてきたのであります。

 尖閣諸島領有活動と同時に日本青年社は北方領土返還運動、反ソ運動を精力的に展開してきました。政府が二月七日を北方領土の日と制定したことを受け、直ちに国民運動として「北方領土奪還・全国統一行動」を展開しました。ソ連大使館に対し、一千五百名以上の同志が徒歩デモにより抗議し、その激しさは海外メディアが一面を飾るほどであり、当時としては最大級の運動であり、恐らく現在に至るも、民族派の運動としてはそれ以上のものを聞いたことはありません。更にソ連軍によるアフガン侵攻に対し、世界中の国々が沈黙を守る中で、日本青年社は敢然とアフガンゲリラと共に銃を持ってソ連軍と闘い抜きました。文字通り、命を懸けた闘いをソ連軍撤退まで続けたのです。このようにして日本青年社はソ連にとって最大の敵になったのであります。

 二十一世紀を迎えて日本青年社は「右翼・民族派改革元年」を宣言し、自らの体質の改革と、国家と国益に準ずる組織に脱皮しました。又、昨年は「保守民族派」を宣言し、国民、国家に対し責任を持つ組織に成長してきたのであります。

 一方共産党支配下のソ連は自己崩壊し、新生ロシアとして再建されました。

 しかし、北方領土に関しては旧ソ連時代のまま四島の占領を続けており、一向に問題解決のメドは立っておりません。このような状況の中で、ロシア政府から日本青年社に対し、訪問の打診があり、日本青年社はこれを受けたのであります。政府間交渉で行き詰まっているこの問題を我々の努力で打破することが出来ないだろうか。日本国民の声、意志を正しくロシアの国民、政府に伝え、ソ連時代の誤った領土支配を正さなければなりません。ロシアが民主主義国家として日ロ新時代を築く為には、北方四島の返還が大前提にならなくてはならないのです。我々は国際社会の常識として堂々と主張しなければならないし、このことにより我々は日ロ新時代、日ロ友好を成功させることが出来るのであります。

 我々はルビコン河を渡った。かつて「最大の敵」であった我々を招いたロシア側の真意を図りかねるところもあるが、胸襟を開いて話し合うという相手側の誠意に対し礼を失することなく正々堂々と対応しなければならないでしょう。

 日本青年社は今回の訪ロを天が与えた最大のチャンスと捉え、国民と国益の為に全力を尽くすことをここに宣言し、決意表明と致します。



【 その他、ロシア訪問について】

ロシア訪問に関しての御報告
ロシア訪問に関する日本青年社の意義説明
新時代を拓くロシア訪問に関して-日本青年社の総意に基づく意見・要望-