【検証】国際法違反の東京裁判(極東国際軍事裁判)


【戦争について】

 国家間の戦争は伝統的な国際法上の合法制度として普遍的に承認されてきた。 国際法の言う所の「決闘の法理」であり平等な法人格を持つ国家間に於いて是認されてきた。 国際法上の自己保存権を持つ国家が国民利益を追求して相互に利害が衝突して平和手段で解決されない場合に戦争はやむを得ないものと理解されている。

  形態面では「防衛戦争」と「攻撃戦争」とに区分されどちらも合法であり、又先制攻撃も違法ではなく分類上の「侵攻的」も同一視されている。

  歴史的に見つめたならば戦争によって不正な国際秩序の現状を打破し、その建設的役割が高く評価された事実もある。しかしその根拠や大儀は道徳的見地や受ける者の解釈によって本質的趣旨から掛け離れ、一八〇度違う方向に飛躍し変化するのも戦争であり戦争観である。


【戦時国際法について】

 国際法とは平時国際法と戦時国際法とにわかれる。戦時国際法は、戦争法と中立法と戦時法規とにわかれる。 前項の如く戦争そのものは合法であり、人道的見地から戦争手段と捕虜の取り扱いなどが国際法による規制の対象とされた。

 大東亜戦争に成文化されていた戦争放棄は「陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)」とジュネーブ傷病者条約(ジュネーブ条約)の2つである。 それらの法は非戦闘員の殺傷、非軍事目標、無防備都市への攻撃、不必要に残虐な兵器の使用、捕虜の虐待などが厳禁されている。 米国が行った東京大空襲(無差別爆撃)や原爆投下は空前絶後の戦時国際法違反といえる。

 また対支那戦における便衣兵の出現は戦闘員と非戦闘員の分別を困難なものとし、作為的に行われた便衣兵戦術は、やはり戦時国際法違反といえる。


【極東国際軍事裁判について】

 今日の歪められた歴史観の前提となっているのが『極東国際軍事裁判』(以下・極東裁判という)と、その判決である。まずは正しい歴史観を取り戻す第一歩として、この極東裁判の是非を問い直す必要がある。

《極東裁判が「裁判」とは言いがたい理由》

(1)前 提
 いかなる裁判であれ、それを裁判と呼ぶ以上、前提は有罪か無罪であるかを審議・結審する機関でなければならず、検察(検事)による証拠や調書の提出をもって立件し、対して被告側には正当な弁護活動(弁護士による)が確約され、且つ利害感情を交えない公正中立な裁判官によって進行されなければならない。
 しかし極東裁判では冒頭に裁判長であるウェッブ氏によって「日本が侵略国である事は法廷で明らかであり、それを審議する事は許されない」とし、随所において弁護活動が妨げられ、更に戦勝国にとって不利な書類や証言はことごとく却下されている。

(2)罪刑法定主義と刑罰不遡及…そして事後法

 罪状法廷主義…犯罪に対する刑罰は、あらかじめ成文法に定められたものに限られるという原則。
 刑罰不遡及…刑罰は成文法が成立した時点以降の事件にのみ適用されるとする原則。
 事 後 法…一定の行為に対して事実が先にあって、その行為を裁く為の法律が後から成立した状態をいう。

 前項はいずれも近代法精神の基本をなす2大原則であり、ハの項によって過去の処罰を確定することは近代法精神そのものを否定する行為である。まして戦争という国家間の問題の責任を個人に転嫁し、あげくに事前の布告なき法規に照らされて過去が問われ、尚且つ公務執行の責めを国家的保護が皆無のままに個人に負わされるなど前代未聞である。

 極東裁判においてもこの事後法裁判については開廷早々に弁護側より動議を提出しているが却下されている。理由は『将来宣言する』とだけ述べられた。

 もし仮に刑罰を受けるとするならば、それは前述のハーグ陸戦条約やジュネーブ条約にのみ照らしあわされるべきである。
注…極東裁判は『極東国際軍事裁判所条例』という極めて限定的な条例によって進行されており、国際法の観点からも事後法とさえ言い難い暫定的なものである。

(3)審議内容の操作

 戦時国際法に照らし合わせた場合、本来問われるべきは前述したように米国による無差別爆撃や原爆の投下、支那人による便衣兵戦術、旧ソ連の対日参戦など枚挙のいとまがないが、少なからず極東裁判において、それらの事案は提起されたものの戦勝国側に不利な事案であると見るや、進行に必要とされていたマイクの音声は遮断され、中断を余儀なくされ、あげくに議事録や広報からは発言そのものが削除されるなど正当な進行さえ妨げられており、ひいては弁護活動にまで影響を及ぼしている。

(4)捏造証言

 いわゆる『南京大虐殺』に見るが如く、真実とは掛け離れた事実無根の残虐行為が捏造され、前項(3)とは対照的に日本の悪行とされるものには、たいした証拠や証言も必要とされないままに採択されている。事実、南京云々について証言したのは当時、南京に滞在していたマギーという牧師で「日本兵が中国人を殺した所を見たか」の問いにイエスと答え「何人殺されたのを見たか」の問いに「1人」と答えている。当時、南京の安全地区の安全確保のために歩哨として立番していた日本兵が制止を振り切り境界を突破した不審者を射殺した行為を目撃した事を指しており、その他に有力な証言が得られないままに大虐殺は定説化され、今日30万人の大虐殺へと飛躍している。その他にも愛親覚羅溥儀や田中兵務局長などが水面下での脅しや取引による内部告発的証言さえ引き出している。

(5)極東裁判の非合法性

 極東裁判に、あえて裁判と名づけるとするならば、それは『政治裁判』である。

 司法裁判であるはずの極東裁判は項目別に述べた表層的部分に照らし合わせても明らかな通り、勝者が勝者の一方的論理に基づき、敗者を断罪した復讐の欲望を満たすための『興行』に他ならない。法的手続きを踏んだような振りをして苟しくも正義を名乗り、文明をかざして、平和を語るなど言語道断である。

 法的手続きの欠陥から正しい審議がなされていないとの理由で全被告の無罪を主張したインド選出の判事パール博士は唯一公正な判断をもった法学者である。日本側に有利な意見の持ち主だからという理由では、もちろんない。多数判決に対し、少数派と称される判決書の中でもっとも注目されながら極東裁判のおいては朗読さえされなかったパール判事の判決書は、いみじくも多数派判決よりも長い文面で、英文25万字・一、二三五頁に及ぶ膨大なものであったが、それは全7部構成からなり

第1部 事後法的「法律」で裁かれる事に疑問を提起する。
第2部 「侵略戦争とは何か」と題し多数派判決のいう侵略の定義が認められないものであるとする。
第3部 「証拠及び手続きに関する規則」と題し検察側資料が伝聞証拠にすぎず司法手続きに欠陥をもたらしている事を指弾する。
第4部 「全面的共同謀議」では被告が共同謀議を行ったとする立証がなされておらず、あまつさえ共同謀議があったとしてもそれは国際法に違反しない旨断ずる。
第5部 「極東裁判の管轄権」に触れ盧溝橋事件以前の満州事変や満州建国にかかわる問題が極東裁判の管轄外であることを断ずる。
第6部 「厳密なる意味における戦争犯罪」と表し戦時国際法に照らした犯罪は戦闘地域で起こった偶発事件であり直接の下手人はすでに断罪されており極東裁判の被告には該当しない事案であると断じた。
第7部 「勧告」で全被告を無罪と主張する。

といったものである。

 そもそもパール判事は極東裁判をして「法律的外貌をまとってはいるが本質的には政治的である目的を達成するために本裁判は設置されたにすぎない…という感情を正当化し得るような行動は司法裁判所として本裁判所のなし得ない所である。単に執念深い報復の追跡を長引かせるために正義の名に訴えることは許されるべきでない」と延べ儀式化した復讐を喝破している。


【総 論】

 後年、裁いた側であるはずのマッカーサーを始め、ウェッブ裁判長もキーナン主席検事も、それぞれが「日本が太平洋戦争に立ち上がったのは正当防衛であった」「東京裁判は誤りであった」「東京裁判は復讐の感情に駆られた公平ならざる裁判だった」と表明しており、パール博士は「日本は無罪である、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である」「日本の教育書は子弟に日本は侵略の暴挙をした・犯罪を犯したと教えている」「日本の子弟が歪められてた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのを私は平然と見過ごす訳には行かない」と語っている。

 裁いた者も裁きの場に立ち会った者もすべてが極東裁判を反省し、もしくは問責している。

 しかしながら結果として極東裁判は公的な場による検証がなされないまま、勝った者が正義で、負けた者が悪であるという現実を引きずる結果を招き、捏造された犯罪の数々や侵略の汚名が一人歩きし政治外交の切り札にされ、東アジアに禍根を残したまま歴史的事実とされている。

 昨今、加熱する中共支那や韓国のデモなどはこうした過去に起因している事は明白であり、そうした国々に何を言われようとも、正しい歴史観を取り戻す事は日本人の急務である。

 従ってわが国の名誉回復と真実の立証にのみならず、今後の世界平和の為にも誤れる東京裁判史観は払拭しなければならない。