平成16年11月25日

 今回の「教養講座」は10月24日(日)、定例の第四日曜日に総本部にて開催。

 通算実数12回目を迎えた同講座は、前回に続き第二期の教材『修身・日本と世界一今こそ日本も考えるとき一』をもとに開催された。

 毎回ニ部構成で行われる講座の第-毎は遇去に民放にて放送された『玉音放送の謎』と題した番組を収録したもの鑑賞した。
 
  内容は玉音放送を巡る敗戦秘話に触れるものであり、戦局が好転せず本土決戦か、ポツダム宣轟目の受躇による敗峨かの叢臓が白熱されし時の内情にふれ、政府と軍部の葛藤や終戦の詔書の草案を巡る秘話にふれている。

 一般の世相においては敗戦間近の政局をして軍部(特に陸軍)が本土決戦・一億玉砕の横暴を唱え、海軍は蘭戦当初より戦争遂行に消極的で、政府はそれらの意見に翻弄されている…という構図が定着している。

  しかし実情はといえば、吹聴されるような安易かつ単純なものではなく、それぞれの立場のものがそれぞれの立場において祖国の将来を案じ、天皇陛下はもちろんのこと、国家・国民の安寧を得るため、如何にすぺきかの議論を戦わせていたのであって、当然、それが議論である以上歩み寄りの結果を導く事にはなっても、納得のいかない意見に屈し、迎合するような姿勢は陸軍も海軍も政府もとってはいない。

  歴史を語り、又、見聞きする時に欠かしてはならないのは、当時の時代背景や世界の流れを熟知する事であり、それに照らし合わせた議論でなければならず、あまつさえ現代の価値観だけで歴史の本棚から一つの行為だけを引き出して、事の良し悪しを解釈する事があってはならないという事である。

  然るに敗戦当時の指導者の意見は、決戦主張であれ、敗戦受諾であれ、いずれも信念と至誠に基づいた私欲なき意見、つまり正邪を付け難い真剣な議論であったのである。

  前述番組の鑑賞は現代の歴史認識に一石を投じるべく根拠として教材とした。

  第二部は『修身…』の『(三)家族・家庭』の項目を朗読し、親子・兄弟のあるぺき姿について、近い縁だけに忘れがちな間柄を再確認し、現代の核家族制や夫婦別姓などの不合理についで学んだ。