日本青年社結成45周年記念行事
武蔵野山「憂国烈士之城」開眼入魂式を厳粛に挙行

平成18年10月11日

 日本青年社は昭和36年にその前身である楠皇道隊として結成され昭和44年に日本青年社と改称。

  平成18年の本年は昭和36年から満45年を迎えることとなった。

  折りしも5年前の平成13年に東京・八王子に着工した武蔵野山「憂国烈士之城」の建立も結成から45周年を迎えた本年、5年の歳月を掛けて見事に完成した。

詳しくはこちらを参照して下さい。
憂国烈士之城〜武蔵野山〜


●武蔵野山「憂国烈士之城」開眼入魂式を厳粛に挙行

 平成18年9月13日、朝から雨模様だったが東京・八王子の武蔵野山山頂では、日本青年社結成45周年記念行事、武蔵野山「憂国烈士之城」開眼入魂式が、諏訪大地主神社の神官によって厳粛に執り行われた。

  


 武蔵野山「憂国烈士之城」開眼入魂式は、日本青年社に縁の深い方々を始め、全国の本部・支部・塾・会の役員と社員三〇〇有余名が参加して厳粛な神事の下に行われ、ここに名実ともに日本青年社統合の拠点が誕生した。


 参加者は全国の本支部から参集した日本青年社役員と日本青年社に縁のある方々約三〇〇名である。


  小雨がそぼ降る午前八時、式典の準備をする催事屋が式場に大きなテント十張りの設置を開始、午前10時、日本青年社の行事担当責任者が式典の準備を開始。 正午には出席者全員が指定された席に着く。 13時に式典が開始され、六人の旗手に守られた国旗(日章旗)と日本青年社総本部旗が入場。続く国歌斉唱の後に、志村喜一副会長が日本青年社を代表して開会の挨拶。続いて司会を務めた鎌田泰弘幹事長から、武蔵野山「憂国烈士之城」建立と開眼入魂式の意義を詳細に説明した。これよりの神事は諏訪大地主神社の宮司と、六人の神官によって神道の古式に則った作法で開眼入魂式が開始される。

    


 神事は修祓、降神之儀につついて遷座式に移る。遷座では、日本青年社結成から45年の間に、ともに戦い志し半ばで帰幽された十二人の先輩同志の御霊が霊璽に刻まれて納められる神事であり、この神事を境にともに戦った同志は神になるとされている神道でも最も厳粛な儀式である。

 献上詞奏上では亀田晋司情宣局長が日本青年社を代表して「本日の開眼入魂式を日本青年社の明日からの出発の日にしますと声高らかに力強く奉読。玉串奉奠では日本青年社の代表役員、議員同志連盟、全国社友会、日本青年社の各管区長が神前に進み出て玉串を捧げ、最後に出席者全員で御神酒を拝戴して神事は滞りなく終了。

  再度式典に戻り、この五年間、「憂国烈士之城」建立に携わり並々ならぬ御尽力とご協力を戴いた建設業者を代表して4人の工事会社社長に心からの感謝状が授与された。

 式典終了後は出席者が「憂国烈士之城」城内を散策したり記念撮影をする光景が見られた。



武蔵野山「憂国烈士之城」に関する説明

 日本青年社は結成から45年の歳月を民族運動一筋に歩んできました。そしてこの45年の戦いは常に国家国益に準ずる運動であり数々の足跡を歴史に刻んできました。然し、時の流れとともに、それらの活動の歴史が希薄になっていくことは否めません。そのようなことから、五年前の平成13年に、迎える結成45周年までに、日本青年社が戦い続けてきた証を歴史を刻み、次の世代を戦い抜いて行く多くの後輩、またその時々の時代を戦い抜いた日本青年社社員の家族の方々が永遠に日本青年社の活躍と足跡を語り継ぐことの出来る拠点、謂わば日本青年社の求心力となりえる拠点を建立することでした。そして私たちの目的はこの「憂国烈士之城」が日本青年社はもとより日本民族統合の拠点として後世永遠に日本民族の崇高な理念を世論に広く語り継ぐことの出来る聖地となることを願う次第であります。


「憂国烈士之城」概観


 「憂国烈士之城」建立に際しては、石の町として全国にその名を知られている茨城県真壁町の山中から採掘した原石から厳選された御影石一〇〇トン以上が使用されており、その御影石は全て原産地から直接に搬送されました。城内中央に建立された「憂国烈士之城」の石碑の両側には樹齢八十五年の楠と、樹齢三十六年の桜が御神木として植樹され、正面入口の鳥居の両側には古来より神域の守り神である狛犬一対が凛々しく鎮座しています。

 また「憂国烈士之城」の前庭には、「三本の矢の訓え」で有名な安芸の国(広島県)の国人から中国地方の覇者となった毛利元就の遺訓に喩えた「三本の桜」が植樹され、四阿(あずまや)造りのお休みどころと龍の口から聖水が流れる手水場と藤棚が設置されていますので何方でも参拝することが出来ます。

 

庭園内に植樹された三本の桜
 
桜はバラ科の落葉高木ですが、桜花は古来より日本人の心を唯一表現している花といわれています。

 その由来は、一年に一度、桜前線の北上にあわせて開花して野山を春一色に染め抜きながら絢爛豪華の姿のままで、散り行く様を日本人の武士道精神に照らして表現したことにあるといわれています。

 ここ武蔵野山の「憂国烈士之城」は日本人の武士道に通じる精神を基調にした民族主義者の拠点として建立しましたが、その建立記念として、昔、安芸国(広島県)の国人から中国地方の覇者となった毛利元就(1497〜1571年)の「三本の矢の訓え」を喩えて植樹しました。「三本の矢の訓え」とは毛利元就が隆元・元晴・隆景の三人兄弟を呼び寄せ、それぞれに矢を一本づつ折らせました。当然矢は簡単に折れました。次に三本の矢を束ねて折らせるとなかなか折れません。元就はこうして三人が協力すれば弱い者でも強い敵に対抗できると教え訓したのです。また元就は「心同じくして相親しむべし」という遺訓も残しています。

 またこのような教訓もあります。「和すれば則ち相依って事をなす。和さざれば則ち各人おのおの敗す」。

 私たち日本青年社には、全国社友会・議員同志連盟・日本青年社本体が三位一体となって成り立っておりますが、五百年もの長い歴史の中を、決して忘れ去られることなく末だに語り継がれている毛利元就の「三本の矢の訓え」を常に胸に秘め、固い結束と強い団結を以て国内外の不正と戦い、あらゆる国難と対峙する正義と確固たる強い精神を終生忘れることなく未来永劫民族派の王道を歩み続けることの誓いの象徴が「三本の桜」に込められています。


 武蔵野山「憂国烈士之城」は、日本青年社が現在までの45年間に積み重ねてきた数々の足跡を刻むことによって、次代に続く後輩たちに日本青年社が昭和から平成、そしてこれから迎える未来に向けて更に刻み続けて行く戦いの歴史を後世に連続させる証として建立した日本青年社の精神が宿る民族主義者統合の拠点ですので、如何なる宗教・宗派を問うものではなく一切の寄付行為は行っておりません。