平成27年度
「第一回全国代表者・役員会議」「年頭総会」開催報告


日本青年社は2月11日(建国記念の日)、日本青年館(東京・新宿)において、午後1時より第一部「第一回全国代表者・役員会議」、午後2時より第二部「年頭総会」を開催した。



第一部「全国代表者・役員会議」

 最初の年頭挨拶では松尾和也会長が「今年は戦後70年という大きな節目の年を迎えました。我々はさまざまな戦後体制についての取り組みを展開してきました。戦後失われた日本人の崇高なる精神文化の復活そして戦後歪められた日本の歴史認識を正す、このような運動に取り組んできました。本年を契機ととらえ、この運動が目に見えるように手に感じるようにできる運動に仕上げていきたいと思います。」との挨拶に続いて小林明全国社友会会長が、
 「先週わが山梨県で日教組の全国大会が開催されました。その折、十年前と同じように戦前の教育が悪で戦後の教育が善だという話を声高にしていました。皆さん良く考えて下さい。こんな日本の姿にどうしてなったのか、やはり戦後の教育が悪いわけだと私は思います。これを打破するには日本人特有の矜持であります、受けた情けは石に刻む・掛けた情けは水に流すという思いを我々日本青年社はしっかり伝えていかなければならない」と挨拶した。


 次の挨拶に立った千葉州時各県奉賛会会長が、我が国が戦後五〇年を迎えた平成七年、タイ王国カンチャナブリ県に建立した『平和祈念公園』建立二〇周年記念式典の意義について説明した。


 平成27年度活動方針については、杉山洋日本青年社会長補佐は
 「平成27年の今年は大東亜戦争終結から70年を迎えた。この70年という年月をどう総括するのかを考えることが肝要である。なぜなら、この戦後70年という年月は日本は悪い国であった。日本人は悪い人たちであった。このようなことが今や世界の常識となってきているからだ。しかし、このような戦後日本の間違った歴史認識について政府も政治家も訂正せずに戦後70年の間、謝罪に謝罪を重ね生活してきたのではないのか。果たしてこんなことで日本の国は生き生きとした国になれるのか、世界をリードするような国になれるのか。過去の戦争をどう見るかという基本的なことを避けて、戦後日本がスタートする時点で正しい歴史認識が歪められた総括がされたのである。つまり日本は世界の人々に不幸を振りまき世界中を相手に戦争を仕掛けた野蛮な国であるということを前提としたこの総括が行われたのである。この根本的なものに、戦後日本を貶めたポツダム宣言がある。

 しかし日本はポツダム宣言を受け入れる以外に独立の道がなかったことも事実である。だから不本意ながらもポツダム宣言を受け入れ独立の道を進んだのだが、本来ならば日本は独立した段階で日本人の魂を骨抜きにする日本国憲法も直ちに廃止しなければならなかった。しかし日本政府も国民も決断をせずに外国に対してただただ謝罪をし自分たちは金を儲けて見返してやればいい、このような気持ちの中で戦後を歩んできたのだが、そのような時代はもう終わりにしなければならない。

 私たちは本当の日本人の姿を世界中の人々に伝えなければならない。正義と大儀を伝え、戦後日本の歴史認識は間違いであることを明らかにしなければならない。このことについてははっきりした事実が一つある。それは70年前まで世界はどんな状況であったのかということだ。アジアの中で日本とタイ国を除いて全てが植民地であった。しかしこの事実も、いまや多くの人々は忘れ去ろうとしている。

 この植民地というものは、その国の人々に教育を受けさせず、生産を収奪し、独立をしようとするならば弾圧する。これが欧米型の基本的な植民地の姿である。そういう形でアジア全土や中東、アフリカも全部欧米諸国の植民地になった。これを帝国列強というのだが、当時この帝国勢力に歯向かう国は一つもなかった。どんな国も戦えば負けてしまうので戦わない。しかし日本は、アジアを支配している国々と大東亜戦争という形で戦いを繰り広げた。帝国主義の軍隊と戦ったのである。

 この事実を踏まえ日本人の姿を世界の人々に示してゆく必要があり、その拠点として東南アジアの地であるタイ王国カンチャナブリ県に堂々たる殿堂を作った。

 本年はこの拠点を最大限活用し、かつて敗戦国であった日本を断罪したポツダム宣言を基礎とする極東国際軍事裁判による戦後の歪んだ歴史認識の修正とかつて世界が羨ましがった崇高な日本精神復活の扉を拓くことを目的とした記念行事を挙行し、その意義と目的を世界に発信することにより日本の再生と心の再生に向けた活動を立派に成し遂げることを今年の闘いにする。本年この意義と目的を踏まえしっかりと闘い抜く決意である」
と力強く説明した。


 最後に大久保叡統括長が、今年の歴史的活動に向けた日本青年社全社員の心構えとして23条からなる日本青年社規約を遵守して一致団結を図ることを訴えて第一部の会議は終了した。




第二部「年頭総会」

 第二部の『年頭総会』は、日本青年社、全国社友会・議員同志連盟、そして著名な方々が一堂に会す年の初めの総会である。例年同様に諸先生を始め和服姿の女性の姿も多く見受けられる和やかな中で開会した。


 年頭総会は、篠塚栄一行動隊長の国民儀礼に続いて齋藤茂男日本青年社顧問の開会挨拶で開会した。来賓挨拶では、作家の大下英治先生が、安倍政権の現状と吉田松陰について話され

 最初の安倍政権は一年で終わり、その思いの中で今度の総裁選に出るとき奥さんが、
「あと十年したらもう一回総理へという呼び声が掛かるんだからやめたらどうですか」と聞いたら、
「何を言ってるんだ。今日本は溶けているんだ尖閣を見ろ、北方領土を見ろ、日本という国家がいま溶けているときに次の総理になれるとかなれないとか、身体がどうだとかそんなものは俺の中にない、俺はもう自分の身体も名誉も考えておらん」とおっしゃったそうです。

ということで総裁選に勝ったわけですが、最初のときは教育基本法まで進みその後、中々進まなかった。人は経済が良くないと憲法改正とかには耳を傾けてくれないということで、先ずは経済問題を打ち出しましたが今回は本願である憲法改正に踏み込み始めました。だからできれば次の参議院選で勝利を収め、衆参で三分の二ということを考えて彼は動くと思うんです。

 もう一つ今NHKで『花燃ゆ』というドラマをやってますが安倍さんは、長州人であるという心意気に燃えていると思います。あの岸信介さんは安倍さんが子どもの時にこう言ったそうです。

「吉田松陰という人は蚊が刺しても叩かなかった、蚊が刺して痛いとかかゆいというのは私の身体のことである、人間には魂があるが、この魂は公のためにあるんだ、だからお前もそういう気概を持って生きろ」これが岸信介さんの教えだったんですね。(中略)

 松蔭は29歳で死にますが『弟子一人の松蔭死して千人の松蔭現る』ということで、安倍さんは松下村塾の流れを汲んでいるという意識で、自分のやりたい形で果たしていくと思ってます」
と挨拶した。


 続く徳川光康氏は、「今年は皇紀2600年から75年が経ちました。そして終戦70年を8月に迎えます。私は去年の12月、カンチャナブリ、タイ王国の平和祈念公園の式典に出席をさせていただきました。クワィ川のほとりからみた泰緬鉄道の鉄橋は素晴らしかったです。そして『平和祈念公園』神社は大きくて立派でした。私はここにも靖国神社だけではなく多くの皆様がいらっしゃるんだと思うと何か誇らしい気持ちが込み上げてきたことをよく覚えています。(中略)

 日本は終戦からほぼ20年後にはオリンピックを招致し、経済成長を経てここまでの国にしました。これは外国人から見れば脅威だったでしょうが、日本人からすれば大和魂というか武士道ですね。この精神が、この復興を成し遂げさせたことかなという自負心はもっています。今年で70年経った負け戦の結果、この教育、大和魂を維持するという事が否定されるそんな時代が続き、私どもの体内からその精神がだんだん消え失せています。

 この大和魂と言われる武士道の根源は、主君に対する忠誠と親に対する孝行、これに『仁』『智』『礼』、こういった要素が結びついて一つの体系をなしていますが、奔流は戦いのための精神ではなく自分が所属する世界の責任を果たす、そしてそこに加わっている同胞たちに対する思いやり、これが武士道の真髄です。ですから戦いのときだけではなく平和時においてもその精神なのです。江戸期に入り戦いもなく260年も続きました。さきほどの話しにもあった長州の方たちによってこの精神は明治政府に引き継がれ、軍とともに大発展を遂げますが、富国強兵の中で彼等によって出来上がったことも事実です。ですからいま廃れつつある日本人独自の精神をこの戦後70年という契機に、これを育てそして世界のために貢献できればなと思っています。」
(中略)と挨拶された。


 続く議員同志連盟の松村茂夫会長は、

 「今日は建国記念の日です。今から2675年前の今日、神武天皇が橿原に宮を構え、この国をお始めになった日とされています。建国の理想は、八紘一宇です。世界中のすべての人が、家族のように認め合い支えあって生きる。周りに尽くすことによって、誰でもが輝ける、自分の人生を生きられる、それが八紘一宇のめざす社会です。(中略)

 戦後70年を経過した今日、世界はなお一層混とんとしています。先日イスラム国を名乗る邪悪なテロ集団が、日本人を虐殺しました。エジプトを訪問したロシアのプーチン大統領は、イスラム国が勢力を伸ばしているのは、アメリカと欧州がシリアのアサド政権に対する不当な干渉に原因があると発言しました。世界の現実は、責任のなすりあい、果てしない弱肉強食の中にあります。米国とロシアの対立や、民族宗教観の対立は、八紘一宇の精神、つまり日本精神なくしては解決の道はないのではないかと思います。

 福沢諭吉先生はこう言っています。立国は公にあらず、私なり。私たち一人一人が日本精神を実践することによってのみ、日本が成り立つ、ということです。

 安倍総理の渾身の努力のお陰で、日本は立ち直ろうとしています。しかし戦後70年のゆがんだ教育が、私たち国民の中に色濃く影を作り続けています。これを正すことは容易なことではありません。
 国難の時ほど実りの多い時はないといいます。それは、その国難を乗り越えるために私たち一人一人が目覚め、力強く勇敢に日本精神に生きようと決意し実践するからです。日本は神の国です。困難には神風が吹きます。私たちが神風です。その時こそアインシュタイン博士が言われるように、日本は世界の国々から救いとして慕われる盟主となるでしょう。

 日本青年社はその先頭に立ちます。建立20年を迎えるカンチャナブリの平和祈念公園は、日本精神の凝縮した聖地となっています。ここを訪れるすべての人に、日本と日本人の美しさを理解していただけるよう、努力し、頑張ります」
と挨拶した。


 続いて元防衛省大臣官房・井上康史先生の聖寿万歳と弁護士の門西栄一先生によって乾杯が声高らかに行われ、最後に志村喜一顧問が謝辞を述べて平成27年度「年頭総会」は滞りなく閉会した。



建立20年を迎えた タイ王国カンチャナブリ県「平和祈念公園」について
 戦後歪められた我が国の歴史認識の修正と、戦後失われた崇高な日本精神復活の扉を拓く記念式典を挙行するタイ王国の「平和祈念公園」は、わが国が戦後50年を迎えた平成7年、時の村山政権が戦争謝罪国会決議を強行裁決したことに憤りを禁じえなかった我々が、当時半世紀の時を経過しているにも関わらず遠い異国の地に屍を曝し続けたまま祖国の土に還ることのできない旧日本軍戦没将兵に心から感謝の誠を捧げるとともに全世界の戦没将兵を慰霊し、戦後失われた日本精神を世界に発信するとともに恒久平和を祈る聖地公園(3000坪)を建立。平成7年12月に第一回大祭として公園中央の『平和祈念慰霊碑』の除幕式が行われたときは、日本から神の子たちがやってきて日本の神社を造ったと新聞で報道された。

 平成12年に取得した日タイ合弁『文化教育財団』の設立許可証には『仏陀の吉祥なる威徳により日本の神道派を認める』と記され、同年タイ王室から感謝状の授与を受け十六年にはカンチャナブリ県名誉県民賞、カンチャナブリ市名誉市民賞を受賞、カンチャナブリ県指定観光地に指定されたばかりでなく映画のロケ地としても有名である。

 県知事の話によると現在はタイ政府により先の大戦の「負の遺産」の一つとして世界遺産登録申請手続きが進められているとのことである。