平成24年度日本青年社「全国議員同志連盟・社友総会」
「新党立党宣言と日本青年社の役割と存在」

平成24年10月16日

高野山真言宗伝燈大阿闇梨
医学博士・池口惠觀大僧正
 の講演要旨



  昨年3月11日に、千年に一度と言われる東日本大震災に見舞われて以来、日本は未曽有の国難状況に直面しております。しかし、政治は大震災からの復旧・復興に果断に対応できなかったばかりか、国力の低下を放置し、救国への気迫も展望も示すことができないでいます。もはや日本の政治は、戦後60余年の金属疲労は覆うべくもなく、国家・国民のために全身全霊で諸懸案に立ち向かう能力を喪失した、と断じざるを得ないのが実情です。


 最近の竹島問題、尖閣諸島問題、北方領土問題を見るまでもなく、この政治不在の間隙をついて、諸外国からの対日圧力は強まる一方であり、「未曽有の国難状況」は単なるキャッチフレーズではなく、現下の日本の深刻な亡国状況を表す真実の言葉となりつつあります。いま、日本の政治が過去のしがらみにしがみついたまま、日本再生に真剣に取り組むことがなければ、日本は遠からず外国勢力の言うがままの国と化し、独立を失ってまさしく亡国の淵に沈んでいくのではないかと、私は心底、心配しているのであります。


 そして私は、その亡国の危機感を共有する人たちを糾合(きゅうごう)し、日本を本来のお国柄の国に立て直すという、新たな国づくりにチャレンジすることによって、真の日本再生を成し遂げたいと思っています。日本に確固たる背骨と新生へのエネルギーを復活させるためには、日本の政治に新風を巻き起こし、政界再編をリードする新しい政党を作る必要があると考えているのであります。


 日本は、世界に例を見ない万世一系の天皇陛下を国民統合の象徴として戴きながら、かつて明治維新前後に来日した外国人が、日本人の威儀正しさ、礼儀正しさ、教育水準の高さに驚嘆したように、教育の抜本改革によって、日本および日本人が日本の伝統的な精神や美徳を体現し、再び世界から尊敬される国家・国民であることを目指す必要があります。


 また、歴史的に日本が外国から文化・文明を取り入れ、それを上手くアレンジして独自の文化や技術を育んできたように、今後もその日本人の特質を磨きつつ、文化・技術で広く世界に貢献できる国づくりを目指す必要があります。


 さらには、戦後のカネとモノを追い求めた高度成長至上主義が、バブル経済とバブル崩壊後の亡国現象に行き着いたことを反省し、日本の経済活動の底流にある真面目な経済活動を取り戻し、国際的なマネー資本主義からの脱却の主導的立場に立つことを目指す必要があります。


 いずれにしても、私は、戦後新しく生まれ変わった国として日本を位置づけるのではなく、縄文の昔から連綿と続いてきた国家の連続性の中で、今日の日本を位置づけ、温故知新の精神をもって、戦後のしがらみを克服しながら、真の日本再生の実現を志していく必要があり、日本が21世紀において、世界から尊敬され、国際社会に欠くべからざる国として評価されるよう、全身全霊で邁進していかなければならないと考えております。


 私が思い描く、真の再生を成し遂げる日本の姿を、箇条書き風にご紹介すれば、以下のようになります。

一、道義国家の確立

 日本は本来、新渡戸稲造の『武士道』にあるように、仏教・儒教・神道などをバックボーンとする道義国家でありました。今日の日本社会の精神的荒廃は、日本の伝統精神を忘れたことに起因しており、教育内容から教育現場のシステムまで、教育の抜本的改革を実行し、日本を道義を重んじる国家として再生しなければならないと考えます。

 特に、幼児・初等教育に欠かせないのは、親孝行、郷土愛、愛国心を育むことであります。また、子どもの頃から神仏を崇敬する心を養い、神社・仏閣への参拝を啓蒙することによって、国民の道徳心を涵養し、日本を道義で世界平和をリードする国へ再生させる必要があります。

一、政治の抜本的改革

 東日本大震災により、日本は未曽有の国難状況にありますが、政治は国難克服に果敢な対応ができず、不毛な政争に明け暮れています。政治を立て直さなければ、日本は亡国への道を転げ落ちることになるでしょう。私たちは「行動し、実践する政治」を再構築し、抜本的政治改革を断行しなければなりません。そのためには、有権者の意識改革が不可欠ですが、まず政治家自身も国家・国民に奉仕する公僕であることを再確認する必要があります。

 また、ここ十数年間、欧米並みの二大政党制を目指して行われてきた衆議院の小選挙区制度は、2005年の郵政選挙、2009年の政権交代選挙に象徴されるように、極端から極端に流れる傾向があり、八百万(やおよろず)の神仏を戴く日本社会に適合しないことが明らかになってきました。定数削減とともに、中選挙区制への回帰を考える必要があります。また、参議院の存在意義も問い直す必要があります。

一、日本的な経済システムの再構築

 かつて「一億総中流社会」と言われた日本も、バブル崩壊後の長期不況を経て、格差社会へと変貌を遂げました。多くの若者が厳しい就職氷河期に直面し、低廉な賃金に甘んじるワーキング・プアーとして、将来に希望が持てない生活を余儀なくされています。企業社会も、この「失われた20年」で大幅なリストラを行う一方、アメリカ型のマネー資本主義の波に翻弄され、かつての堅実経営の面影はありません。

 私たちは、日本経済を再活性化しつつ、かつて日本企業の美質であった終身雇用制度など、人本主義経営の復活を図る必要があります。また、少子高齢化時代には、元気な高齢者の活用は不可欠であり、少子化に歯止めをかけるためにも、若い労働者が将来展望の持てる雇用のあり方を再構築しなければなりません。

一、農業の活性化と地方再生

 地方の過疎化が相変わらず続いており、限界集落という言葉も定着しました。また、全国津々浦々で、耕作を放棄された農地が増えています。農業は国の基(もとい)であり、将来の世界的な食糧危機の可能性が指摘される中、日本が食糧自給率40パーセントに安住していることは許されません。私たちは、農業再建を旗印に食糧の自給自足を目指していく必要があります。日本で余剰となった農産物は、日本産農産物に対して大きな需要があるアジア市場に輸出したり、食糧支援を求めている国々に対して援助するなど、さまざまな対応策を考えることができます。

 また、昨今の集中豪雨による山崩れ、洪水等の被害を見るにつけ、治山治水の重要性が再認識されており、林業の復活にも積極的に取り組んでいく必要があります。中長期的な国家戦略として、農業・林業の再生を図ることは、過疎化に歯止めをかけ、地方再生の起爆剤となることは間違いありません。

一、医療・介護・社会福祉政策の充実と見直し
 超高齢社会が進展するにつれ、医療・介護の重要性はいよいよ増してきます。医療は一部では、世界に冠たる先進医療が行われていますが、地方では病院不足、医師不足が進み、医療が崩壊している地域もあります。介護も介護保険制度はできたものの、介護施設はまだまだ少なく、介護要員も低廉な賃金のため十分な人員が確保できないというのが実態です。

 医療・介護施設が充実していなければ、日本の超高齢化社会は悲惨なものにならざるを得ません。全国どこでも同じレベルの医療が受けられ、全国どこでも高齢者が充実した介護が受けられる仕組みづくりに取り組むことが求められています。特に、介護者の待遇改善は喫緊の課題です。また、従来からの社会保障制度の見直しを行う必要があります。最近話題になっている生活保護の問題も、地方自治体側のずさんな管理の見直しや、企業側の雇用制度の改善等を含めて、再検討を行うべきです。年金問題も若い世代が納得できる仕組みづくりに、さらに努力しなければなりません。

一、国益を守る実践的外交の構築

 日本外交の低迷が続いています。沖縄の基地問題等をめぐり、日米関係はこの四半世紀で最悪な状態に陥っています。また、日米関係悪化の間隙を衝いて、日中、日ロ、日韓関係でも対日圧力が強まっています。日ロ関係については、このあとサルキソフ先生からお話がありますが、友好国であれ、非友好国であれ、日本が国際社会の荒波の中で生きていくためには、政治は全身全霊で外交に取り組まねばなりません。

 日本は相手国がアメリカであれ、中国であれ、ロシアであれ、韓国であれ、北朝鮮であれ、問題があればただちに、いかなるパイプを使っても、相手国に出向き、交渉を行うべきです。相手国の顔色をうかがい、自ら動こうとしない外交では、真に国益を守る外交はできません。どの国とも真正面から向き合って、不惜身命の気概を持って、実践的外交を推進すれば、難問もやがて解決できるはずです。



 要するに、私の日本再生論のバックボーンは、ひと言で言えば、「日本の伝統精神への回帰」であります。私は小泉総理の構造改革が推進されていた当時から、いかに構造改革を推進し、日本経済を再生させても、日本人の心、精神を立て直さないと、真の日本再生にはつながらないと、ことあるごとに申し上げてまいりました。


 問題は、日本社会の底流に流れている伝統精神や美徳を、いかにして取り戻すかであります。ひとくちに日本の伝統的な精神や道徳を取り戻すと言っても、言うは易く行うは難(かた)し、であります。戦後60数年かけて失ってきたものは、取り戻すのにやはり60数年かかると見なければなりません。その核になるのは、何といっても教育であります。


 日本は戦後、戦前の教育を「教育勅語」とともに一挙に捨て去り、宗教教育も否定しました。日本の伝統精神の中に大きな位置を占めてきた仏教の普遍性を持った教えも、教育とは無縁のものとしてしまいました。また、儒教、仏教、道教、神道などが見事に混淆(こんこう)された武士道も、完全に否定されてきました。
 私は、それがバブル崩壊後の亡国現象、昨今の未曽有の国難状況の遠因になっているような気がしてならないのであります。そして、日本再生が叫ばれて久しいのに、なかなかトンネルの先に光が見えてこないのも、確固たる政治リーダーが不在なのも、その根底には、伝統精神を忘却してきた戦後教育の欠陥があるように思えてなりません。


 終戦の年に生まれた人はとっくに還暦を過ぎ、今年67歳になっています。つまり、現在の日本では、戦前の教育のもとで薫陶(くんとう)を受けた人が次第に少なくなり、社会のリーダーはすでに戦後教育を受けた世代に完全に移行しているのであります。


 戦後教育で育った人に、「日本の伝統精神を体現して、清廉潔白な生き方のお手本を示してください」とお願いしても、よほど日本の歴史を勉強した人か、伝統文化に囲まれた環境で育った人でないかぎり、それは難しいのであります。伝統精神への回帰の必要性が叫ばれながら、それがなかなか大きな潮流にならないのは、そこに原因があるのではないかと思います。

 戦後の日本社会の中で、日本の伝統精神や美徳の命脈が断たれないよう、必死に努力されてきたのが、日本青年社を筆頭とする愛国者の方々であります。精神的な荒廃が進む平成日本において、皆さま方こそが日本を亡国の淵に沈ませない最後の砦なのであります。日本を救い、新生させるためには、皆さま方のさらなる奮起が欠かせないのであります。 そういう意味では、皆さま方には私が構想している新しい政治集団の牽引車になってもらわねばなりません。

 戦前の教育の指針であった「教育勅語」は、「ここに謳われた日本古来の徳目は古今東西に通用する正しい道である」と断言しています。私はそこに、明治天皇をはじめ「教育勅語」の制定に関わった明治人の、大いなる志を感じるのであります。明治維新の開国により、西洋の新しい文明や学問、すなわち「洋才」が怒濤のように押し寄せる中にあって、明治の人たちは日本精神、すなわち「和魂」に絶対の自信を持っていたのであります。平成の日本人から見事に欠落しているのが、そうした国に対する愛と誇り、伝統精神に対する自信であります。私は、それこそが国家の根幹を形作るものだと確信するのであります。


 たしか勝海舟の言葉に、「攘夷(じょうい)こそ国の基(もとい)」という言葉があります。「尊皇攘夷」は明治維新の合言葉であります。つまり、「天皇を中心とする国」というこの国本来のかたちに立ち帰らなければならないという熱情と、外国に負けてはならないという気概が、明治維新を支えていたのであります。そして、その気概と熱情は明治時代を貫いていました。

 私は、21世紀の新しい国づくりにも、「天皇を中心とする国」というこの国本来のかたちに立ち帰らなければならないという熱情と、外国に負けてはならないという気概が不可欠だと思います。


 国家・国民がその思いを一つにして、国際社会の荒波を乗り切っていく覚悟を持たねばなりません。そういう政治を築いていくために、私は、皆さま方が率先垂範して本来の日本人のあるべき姿を体現し、リードしていただきたいと思うのであります。


 私も真言密教で言うところの身口意、すなわち身体と言葉と心をフル回転させて、日本の新しい政治を創るために全力投球してまいる所存です。今後とも皆さま方の絶大なるご支援・ご鞭撻をお願い致しまして、本日の講話とさせていただきます。


 ご静聴、ありがとうございました。  

合掌