平成23年度
日本青年社「秋季全国代表者役員会議」開催報告

平成24年1月10日

 旧年の3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原発事故は戦後最大と言う未曾有の大災害をもたらした。そして各地で集中豪雨が発生したり記録的猛暑に見舞われるなど近年叫ばれている異常気象が顕著に現れた年でもあった。そのような中の10月3日、東京九段の「靖国会館」において全国から参集した200余名の役員によって「秋季全国代表者役員会議」が開催された。会議は一年の出来事を振り返りながらその活動結果を確認するとともに平成23年4月の統一地方選挙において日本青年社新潟県本部の深谷成信元副本部長が当選を果たしたことの報告があった。



 会議は一年を総括する内容であったが全国社社友会代表挨拶で小林明会長が日本青年社の日々の活動に賛意と激励の言葉を述べたことに続いて北朝鮮の日本人拉致事件に言及し、「皆さん思い出しましょう。数年前の全国社友総会に横田めぐみさんのご両親が出席しました。あのときのめぐみさんのお母さんの悲痛な声がまだ私の耳に残っています。なぜ我々の前で横田ご夫婦があれだけの話をしてくれたのでしょうか。それは政治家を信用してないからです。政治家よりも我々を信用してくれたんです。日本青年社は当時新潟県本部が中心となって全国で署名活動に取り組みました。そして何十万の署名を募って政府に提出しました。当時の総理大臣は森さんでしたが森さんは横田さんご夫婦と面会した折に『これらの問題の解決なくして経済支援は致しません。』といったそうですが、その4ヵ月後に北朝鮮に50万トンのコメ支援を決定してしまいました。一体これは何なんでしょう。つい最近も民主党のある代表が拉致問題に関係のある政治団体に政党助成金約7,000万円を寄付したようです。その後にも民主党の議員3名が1,000万円を献金をしています。これは何かあるんじゃないでしょうか。日本青年社の社歌の一節に我が国民(くにたみ)を守るためとあります。これが日本青年社の礎なんです。日本人が観光で北朝鮮に行って拉致されたんじゃないんです。北朝鮮の連中が我が日本の領土に勝手に入ってきて日本人を拉致していったんですよ。それを国が手をこまねいて当時の外交防衛委員会の席上、旧社会党の女性代表が『高々十名の拉致の疑惑のある問題で日朝正常化交渉が滞っていいんでしょうか。』というような発言を平気でしたんです。それが今の政権なんです。

 然し私はこの拉致問題はちょっと熱が冷めているような気がしてなりません。日本青年社も社友会も一体となってもう一度熱い気持ちで、今も北朝鮮に残ったままで一日も早く我が国へ日本へ帰りたいと願っている皆さんに対しても、もう一度ネジをかけなおして頑張ろうではありませんか。そういうことも我が日本青年社と社友会の思想の原点であると私は思っています。我々社友会は日本青年社と表裏一体となって頑張る決意です」
と力強く挨拶した。


 続く総括では、杉山洋会長補佐が「日本を取り巻く情勢と言うのは本当にこれでいいのかと思うことが多々あるかと思います。例えば昨日の新聞を見ておりますと福祉関連の支出は一昨年の統計によると年間100兆円ぐらいの金を福祉予算と言う形で日本人は使ってる。それは税金とか医療保険とかを全部含みますけども、そういう莫大なお金が高齢化社会で年を取っている人たちの安全保障、生活保障という面で使われているようですが、これはこれから日本を背負って子供たち、日本の未来を拓く人たち、そういう人たちの予算がおのずから削られていくわけですね。そうすると教育とか就職支援とかというところにお金が回っていかない。そういうような状態が今の日本ですけれども、今の政治は、このような問題を改善するのではなくて、今までの赤字を補給するために動いているとしか思えません。ですから日本の政治はもっと日本の未来のために、日本の未来を拓くために行われなければならないと考えるわけです。

 さて、本日の会議は私たち日本青年社が運動に取り組む姿勢をハッキリと打ち出したということであります。平成11年、現在の松尾会長が日本青年社を指導するようになって最初に取り上げたことはなんだったか皆さんは覚えていますか。それは我々自身の体質を変えていく。私たちは民族派として日本の未来のためにこの日本を改革していく。先ほどの小林会長の言葉にありましたが、正に日本の民(たみ)のために全身を投げ打って闘っていこう。そのために我々は自らの襟を正すことによって色々な問題を突破していこうじゃないか。我々は日本国民とともにこの日本社会を変えていくんだ。こういう純粋な民族派としての思いを誓ったのが平成11年でした。しかしこの思いは我々内部でも外部からも中々理解されにくい部分があったように思います。それでも我々は歯を食いしばってそういうことをどうしたら突破できるのか。それから12年、日本青年社は少しずつ少しずつ進んできた。それで現在があるわけです。それは我々が平成11年から、日本国民に認知される本物の民族運動を行えるような団体になっていくんだ。日本一の団体になっていくんだというような熱い心を少しずつ少しずつ進めて現在に至りました。だからこそ我々はこれからも今まで進んできた道を、そしてその正しい道をこれからもまっすぐに進んでいくことが本意であると思います。

 我々は保守民族派として自らの道を選び、そして色々な不正義と闘いながら解決していく。この一切があれば何ら恐れることはありません。

 また先ほど紹介されました新潟の深谷さんですが、日本青年社から新たな市会議員を生み出すことができました。深谷さんは正に日本青年社の運動の中から生まれた議員です。彼は長い間、日本青年社の運動で新潟の地で頑張ってきました。その運動の中から一人の地方議員が生まれたわけです。非常に画期的な出来事だと思います。そして日本青年社の運動は正にこのように地道でもあるが、どの団体もできないことを実現していく。そういう運動家の集まりである。日本青年社の方針は間違ったことは無い。常に我々は自分たちの運動に誇りのもとに例えきらびやかでなくてもいいから着実に前進しましよう。」
と述べて「秋季全国代表者役員会議」は滞りなく閉会した。