日本青年社 年に一度の「春風の集い」を発足
平成23年・第1回「春風の集い」(1月16日開催)

平成23年2月15日

 日本青年社は毎年の新年会として「新春の集い」を開催してきました。しかし時代の移り変わりとともに、社会環境が大きく変化する中、日本青年社もその変化に対応すべく、日々努力を重ねながら、様々な意識改革と体質改善を図り、後進の指導育成に努め、そこから豊かな感性を掘りこしながら、時代に相応しい新たなる民族運動構築に務めております。その中で日本青年社は、昨年末に全社員の総意をもって、旧来の新年会「新春の集い」を撤廃し、本年より日本青年社が多くの皆様から理解を得るために年に一度開催している「全国議員同志連盟・社友総会」に準ずる年間行事の一つとして、その年年の新しい風を全身で受け止めて目標を定め、更なる結束と団結の絆を深める大きな目的を持つ会として、心新たに「春風の集い」を発足いたしましたところ、本年開催した第1回「新春の集い」は、予想をはるかに上回る多くの理解ある出席者をいただき会場は立錐の余地もないほどの盛況の中、「春風の集い」はアジア和平日本委員会理事・俳優・岡崎二朗氏の司会で始まり、続く御来賓御挨拶では、元参議院議員、躍進日本!春風の会会長・村上正邦先生が、私は春風の会を設立しました。そして今日は「春風の集い」。この「春風」というのは、山岡鉄舟先生が、今、学習院のある四谷に春風館という道場を持っておられました。あの学習院が、かつて山岡鉄舟先生が、あの地に起して、若い命にみなぎった、そしてその志を持った、そういう若い人達に剣道の指導をしておられた場所なんです。そういうところに由来をしているわけでありますが、この山岡鉄舟先生が何で春風館という、春風という看板を立てられたのかと、こう申しますと、私が躍進日本 春風の会の発足に寄せてという手紙を皆様方に出しました。その中にですね、山岡鉄舟先生が自分の胸中を漢詩に託しているんです。その漢詩を皆様方にご紹介したいと思います。
「心を論ずれば全てにこれ心中に惑い 輸贏(ゆえい)に凝滞(ぎょうたい)すれば還って工を失う 剣家精妙(せいみょう)の処を識(し)らんと要せば 電光影裏断春風」と、こういう漢詩を残されているわけでありますが、漢詩を読んだだけでは良く分かりません。いわゆる春風と言うのは、ただ、ほんわりほんわりした春風が、ふぁと吹いてボーとなるということだけではないんだと。無限自在だと、「電光影裏、春風を断つ」と、この言葉の語源は非常に厳しいものなんです、それは雷の稲妻が春風を断ち貫くようなものだ、とこう山岡鉄舟先生はおっしゃってるんです。電光が春風を切るとも、春風は何の影響も受けない。これは鎌倉に円覚寺と言うお寺がございますが、この円覚寺を開眼なさったのは無学祖元という宋の時代の中国のえらいお坊さんでございます。このお坊さんが、このお坊さんはご承知のように、北条時宗の要請を受けて鎌倉に来るわけでありますが、かつて宋にいたときに。自分が学んでいた禅寺に元の軍隊が押し寄せてきて正に、その無学祖元は刀両断されようとするときに、その祖元禅師はですね、切るなら切れ、道に通じ生死一余となったものにとって切られるということは、電光影裏、春風を切る、に等しく何の意味のないことだ、雷が落ちようと、春風はその落ちた瞬間、春風が切られた、断ち切られた、断ちぬかれたと思っても、その瞬間のことであって そのあとの春風は何の影響も受けない。これが春風だ、春風と言うのはそれほどさわやかなものなんだよ、そういう時代を、そういう世の中を作っていくと、そう言う願いを込めて山岡鉄舟先生は春風館をお作りになられた。そこは命と命の研摩のやり取りの場であるけれども、涙あり、喜びあり、志あり、そうしたその和気あいあいの中にも、厳しい国のためであるなら命を投げ出しても、そういう青年を育てていこうと、そういう思いだったんです……
と挨拶されました。

 続くアジア和平日本委員会副会長 医療法人仁和会 竜王リハビリテーション理事長・中原英幸先生は、……私は昨年、やしきたかじんの日本青年社を扱ったDVDを見せていただきました。これは一昨年収録されたものだと思います。普段めったにテレビには出てこない方が出てまいります。ということで見ておりましたら、松尾会長が出てまいりまして、日本青年社とはこういうものであるということを語りました。私はうちの病院の看護婦や職員にこれを見ろよと言ってDVDを見せましたら、日本青年社に対する考えが大きく変わってきたなと、思っております。これを機会にぜひ第二弾、第三弾、日本青年社の真のあるべき姿をこうなんだよ、というものを打ち出していっていただきたいと思います。……昔日本医師会は圧力団体といって新聞社からさげすまれました。それでいいんだと思います。圧力をかけなければどこも動いてくれません。どうか一つ本年度はそういう意味で新しい日本青年社はある種のプレッシャ団体である力を見せつけていこうではありませんか……。と挨拶されました。

 最後に登壇された作家、大下英治先生は、……かつて田中角栄が日中国交回復に行ったときに周恩来とのやり取りの中で、日本が戦前のことを一応詫びたんですけど、お詫びにといったときにその詫び方がスカートに水をかけたような詫び方であると周恩来が怒ってですね、これが非常に揉めました。このあとに毛沢東のとこに行ってですね。そのときも毛沢東が何を言ったかといったら、「もう喧嘩はお済ですか」と、喧嘩を堂々とぶつかってお互いに意見を言い合ってこそ明日があると、だからそういうこと言ったんです。で、それは毛沢東の気質でもあるし、中国共産党の持ってる気質なんです。にもかかわらず一切主張しません。主張しないと時は、中国の人達っていうには、主張しないということは何も言わなかったということなんです。それを、ぐちゃぐちゃと小さな声で言ってても相手はなにも聞きません。わが国には国家戦略と言うものが全くないんです。で改めて今回の尖閣問題を見て思い至ったのは尖閣ってなに、と始めて知った人がずいぶんいるんです。
そうしたときに改めてですね、日本青年社が灯台を建てた、あすこに灯台を建ったのは国じゃないの、違うんだ、そいで堂々と尖閣列島に建てるのに、あの当時はですね皆さん、今と違って全然ルートが違って、行くのに大変なんです。あの時日本青年社は決死隊と言う名前をつけましたけれど、これは大げさにつけたんじゃないんです。死ぬかも分かんない。船がですね、揺れてたどり着けない、あそこに灯台を作る、食糧を運ばなければいけない。第二次隊が行くのに大変。日本青年社はそういう中で灯台を作ったが、誰がやったかわかりませんですけれども灯台を壊す人も出る。それで又、直す、そんな中でですね、本来ならこういうことを国がやんなきゃいけないですけど、同時に情けないのはマスコミがですね、日本青年社がやったにもかかわらず、日本青年社と書かないんですよ、政治結社、政治結社、ね、真実を伝える報道なら日本青年社と書かなきゃいけないのに、何か日本青年社に事件が起こったときだけ、日本青年社と言う名前を書きますけど、尖閣のことをやった事に関しましては一切政治結社としか報じなかった時代がズーと長くあるんですけど、改めてそういう形でどうどうと主張したのは日本青年社であり、実際に灯台をああいう建てました。で国家にいまは譲っております。なおかつもう一つ、今ロシア問題が大きくなってますけど、去年日本青年社はロシアに行ってですね、今後日本をどうすべきか、日本と北方四島をどうすべきかということをやっております。そのように非常に国家の問題というのをやっています。そしていま改めて日本人が問い直されております。そういう中で日本青年社がやったということは今クローズアップされてます。しかし私から言わせるとまだまだ一般の人が右翼ってなに、どういうことをしているのかということが殆ど知られておりません。その意味で私は今まで右翼の人と接してですね、もう少しどういうことをしているのか、何をしたいのか、現状を的確に伝えたものがないんです。それで今私はこれじゃいけないと思っています。そういう意味で日本青年社の人達は自分の命を捨てるような覚悟で精力的に政治家に対しても国家に対しても喝をいれ続けてください……。
と挨拶されました。


  続く聖寿万歳の音頭をとって下さった元陸上自衛官 前政務官・井上康史先生は、御挨拶の中で、正しい万歳三唱を方法について、ある政治パーティーで行われた万歳三唱のとき、登壇者が手のひらを前に向けて万歳をしました。そのとき私と一緒に出席していた同僚が、あれは万歳ではないですね。手のひらを相手に見せて両手を挙げるのは降参のことですね。白旗と同じですね。と言ったんです。そこで今日、私はここに来る前にこのことを調べてきました。正しい万歳三唱は「直立不動」の姿勢のときの手をそのまま頭の上のほうに持って行きます。つまり手を上に上げたとき、手のひらは内側に向くんです。この万歳三唱明治二十年四月に太政官布令で定められているんです。ですから今日は正しい万歳三唱を行いたいと思います……と話された後で聖寿万歳を行いました。

 続く乾杯では、アジア和平日本委員会 常任顧問 獣医師・飯塚武文先生が、……私はわが国が戦後50年を迎えた平成7年に、日本青年社がタイのカンチャナブリに神道平和祈念公園を建立した年の式典に参加したときから始まりました……日本青年社は15年前に平和祈念公園を建立したその理念は、国籍、民族、宗教、宗派を問わない祈りの場である。そして日本の精神文化を大切にする。これが基本でございます。世界広しといえどもこのような理念を掲げている施設は他にあるんでしょうか、それがないがために世界は混乱の極に達しております。勿論日本も大変な時期に来ております。そういう意味におきましても、平和祈念公園建立の15年前から毎年、年に2回奉賛会が参拝する式典をやっております。去年は15周年を迎えました……しかしながら、このような施設でありながら、先ほどから言われているようにマスコミは何ら報道しません。おかしな認識でしょう。それが現在のような日本にしてしまいました。そしてその人達が政権を取るようになりました。……でもこれで日本が崩壊します。そこで心あるひとは皆立ち上がりまして何とかしなきゃだめだ、と自覚をもつようになりました。……日本はこれからどうするべきかといいますと、やはり今まで戦後日本が無視してきた道徳問題、そして国防をしっかりして日本が立ち直っていく。そうすれば日本は世界に絶対に理解される、特に日本青年社がやっている神道平和祈念公園の理念は、絶対に世界に通用するし、世界から理解されると思います……と挨拶されました。

 

※日本青年社第1回「春風の集い」は多くの諸先生にご出席をいただきましたが、御来賓を代表して御挨拶をいただいた諸先生のお言葉を要約してご紹介させていただきました。
  
 最後となりますが、私ども日本青年社はこの度の「春風の集い」発足を機に、更なる研鑽に励み必ずや国民とともに歩むことのできる新しい感性のもとでの民族運動構築に向けて努力邁進してまいりますことを全社員の総意としているところであります。
今後ともご理解とご声援のほど宜しくお願い申し上げます。



【参考資料】

『万歳三唱令』

  第壱条 万歳三唱は大日本帝国及び帝国臣民の天壌無窮の発展を祈念し発声するものとす。

  第弐条 発声にあたってはその音頭をとる者気力充実態度厳正を心掛けるべし。
      また唱和する者は全員その心を一にして声高らかに唱和するものとす。

  第参条 唱和要領の細部については別に定む。 
      朕万歳三唱令を裁可し之を交付せしむ此の布告は明治拾弐年四月壱日より施行すべきことを命ず。 

 御名御璽

万歳三唱の細部実施要領

一、 万歳三唱の基本姿勢は直立不動の姿勢なり。
   両手を真づ下方に伸ばし体側にしっかりつけるものとす。

二、 「万歳」の発声とともに右足を半歩踏み出し同時に両腕を垂直 に高高と挙げるべし。
   この際 両手指が真っ直に伸び かつ 両手の掌を正しく内側に 開げた格好が肝要なり。

三、 「万歳」の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す べし。

四、 以上の動作を両三度繰返して行うべし。