平成20年度
第10回 全国議員同志連盟・社友総会開催報告

平成20年8月31日

平成20年7月13日(日)、日本青年社の重要行事である第10回「全国議員同志連盟・社友総会」(以下、全国社友総会と言う)は日本青年館(東京・新宿)大ホールにおいて1500人有余の参加者のもとに盛況のうちに開催した。

 第10回「全国社友総会」は、午後2時00分、千葉州時開催実行委員長の挨拶で始まった。
  開催挨拶は本日のメーンテーマである戦後日本が喪失してきた「倫理感」「道徳心」を復活する意義と、そのために制作したDVD“戦後失われた日本精神の復活の原点「平和祈念公園」”について以下のように述べた。「ただいま放映いたしますDVDは、日本青年社が今の混沌とした社会環境を重視し、最も重くとらえたテーマでございます。次々と崩壊していく日本の精神文化、美しい四季に恵まれた山と川、山川草木の素晴らしい環境の中から育まれた日本の伝統文化、悠久の歴史の中に生まれ育った日本人の行儀と作法、その中から熟成された人を思いやる心、人をいたわる心と厳しさ、時には自己犠牲の上に立ち、見返りを求めることのない、そんな精神こそが世界に誇る日本人の日本の精神文化でありました。しかしながら現在、自らの欲望のために平然と他人の生命を奪うような殺伐とした社会環境が出来上がってしまったように思います。戦後63年目を迎えた今日、私たちは今一度先人の築き上げた日本人の心を取り戻したい。そんな思いを込めたDVDでございます」。と挨拶したことに続いてDVD“戦後失われた日本精神復活の原点「平和祈念公園」”(約40分)が上映された。

 続く「全国議員同志連盟・社友総会」紹介ご挨拶では、ステージに着席した60有余名の諸先生を代表して全国社友会から門家茂樹代表、議員同志連盟から松村茂夫先生並びに松川秀盛先生が挨拶された。

 最初の挨拶は徳島県忌部神社宮司・門家茂樹全国社友会代表が今上陛下ご即位満20年の佳節を迎えられたれたことに慶祝の誠を奉げた後、「全国社友会はさまざまな職業の方々が日々の活動の中において日本青年社と不可分の関係のもとに民族運動を展開してまいりました。この全国社友会また議員同志連盟が結成されて以来、早10年、月日の流れは早いものでございます。かつてホテル浦島におきまして開催した第1回の設立の総会が昨日のごとく思い出されます。この間、日本青年社は北方領土問題、拉致問題などさまざまな運動を展開してまいりました。取り分け尖閣列島の実効支配は何人も成しえなかった大偉業でありましょう。
 しかしながらわが国、また世界を取り巻く情勢は先のG8に見られるごとく誠に憂慮すべきものがございます。世界はますます多難な局面を向かえ終末滅亡の道へ向かいつつありますことはもはや自明の理であります。しかしながらわが日本青年社は早くより自然と共生 環境と調和を重要なテーマと標榜してまいりましたし、かかる時局にこそ日本青年社が常に国民とともに、国民のことに思いを馳せます陛下の大御心を心として大楠公の七生報国の旗のもと、菊の旗のもと祖国日本の邁進されんことを願ってやみません。我らもまた祖国再生へ向け更なる前進を遂げんことを共に誓い申し上げます」
と挨拶された。

 続く日本青年社議員同志連盟代表挨拶では、本年より議員同志連盟会長に就任した埼玉県久喜市議会議員・松村茂夫先生が「議員同志連盟の一人ひとりの議員に、そして同志連盟にいつも温かいご支援やご声援、そして大切にしていただいている皆さんに心から感謝を申し上げます。扨、私たちの大切なかけがえのない祖国日本が今崩壊の危機に面していると思っております。私たちの大切な先人が血と汗で築いていただいてまいりましたこの誇るべき日本が政治の腐敗や教育の失敗、そうしたものが重ねられることによって正に崩壊する危険に直面しているのではないかというように考えております。そのような中で、通常国会が開かれるたびに百本もの法律を新しく作っているのでございます。百本です。国会を開くたびに新しい法律を百本もつくっている。誰もわからないほど複雑で法律の抜け道があったらそれをカバーする法律を作ろう、そういうものの繰り返しで、誰もわからないほど複雑な迷路のような日本の国の体制になってきています。それに歯止めをかけることができません。そして国会議員の先生方も国家百年の計を誰が考えているのでありましょうか。今の政治は本当に自分を中心にした自分の目先しか考えていないのではないでしょうか。情けなくて悔しくて悲しくもなります。今のこの天文学や宇宙論というものの柱を作った偉大な科学者はアインシュタイン博士です。アインシュタイン博士が発見した理論というのが今証明されています。それが正しいと言うことが今証明されています。
 そのアインシュタイン博士が言った言葉は「宇宙は単純を好む、複雑怪奇は滅亡への道です。」今私たちの祖国日本の政治は複雑怪奇になっています。だから崩壊の危機にあると申し上げました。例えば難しく考えると何でも難しくなります。「人を殺してどうしていけないんですか」と聞かれたとき、「戦争は国際法で合法です。あれは人を殺すことを少しも躊躇してはならない行為です。しかしそれは国際法で合法です。「殺してどうしていけないんですか」それを本気で理屈を並べて説明しようとするならば大変難しいことだと思いますが、会津藩の家訓にはこうあります。「ならぬことはなりませぬ」「ならぬことはなりませぬ」、本当に簡単且つ明快に答えを出しているし、私はそれ以外は必要ないんだろうと思っています。今、難しい理屈や、理論やそういうものを並べたりかざしたりするよりも簡単且つ明確に「武士道精神」を実践することが今一番大切なことだと思います。自己犠牲やいさぎよさを腹に据えた武士道精神を持った一人でも多くの国士が生まれることが、今、この国を救う一番大切なことだと私は信じています。そうした意味で、この議員同志連盟の大滝先生、A先生そして私、この3人が世話人となって米田建三先生が主宰する日本国民フォーラムの議員研修会を行っています。この研修会は都道府県議会の議員、市町村議会の議員の先生方が参加して開きます。それはこの国を必死に支えるそんな議員集団を作り上げていきたいからです。一生懸命頑張ってきます。一人ひとりがやるべきことをきちんとやって、それを通じて自分を磨く、そして「倫理・道徳・品格の向上」を図る、それ以外にこの崩壊に直面した日本を救う道はないんだと思います。私たち一人ひとりが頑張っていきます。どうぞ皆さん一人ひとりも一緒に一体になって同じ絆で共通の基盤で兄弟としてこの日本を救うために力を貸していただきたいのです。皆さん一人ひとりのご支援が私たち一人ひとりのエネルギーの源です。宜しくお願いいたします。結びに一言「尽くして求めず、尽くされて忘れず、日々改まり一生懸命頑張ります」
との力強い挨拶に続いて、昨年の総選挙において見事に当選を果たされた議員同志連盟相談役、岡重夫埼玉県議会議員が紹介された。

 続く議員同志連盟挨拶では、沖縄県から参加した議員同志連盟相談役、沖縄県石垣市議会副議長・松川秀盛先生が地元の石垣市の説明をした後、沖縄県石垣市議会議員の立場から、「日本青年社の皆様が中国や台湾などへの優柔不断な政府の対応に対し、強固なる信念と決意を持って尖閣諸島に歴史的日本固有の領土として、また石垣市の行政区域として強く主張してもらい、政府の強硬な厳しい取締りの中を果敢に挑戦をして尖閣諸島の上陸に成功したとのことは聞いていました。さらに遡って日中平和条約調印式が行なわれた昭和53年8月12日、尖閣諸島魚釣島に上陸して灯台を建設し、日本の灯の点して尖閣の島々を照らしたということも聞いております。この日本青年社の上陸は、日本人としての目的任務を達成することによって日本の領土の歴史の1ページを刻みつけた日であるという重要な意味を持つものだと私は理解し、その方々に敬意を表するものであります。その後、日本青年社の広報活動や行動は国内外に国際問題として大きく波及し、政府もいよいよ本腰を入れ、平成14年4月に島の所有者の方と賃借権を設定し現在は国の管理となっており、海上保安庁の警備も以前より取締りを強化しております。このことも日本青年社の果敢なる熱意を持った行動と全身全霊をかけて戦い抜いた証の1ページだと私は高く評価をしているものであります。私はこの果敢な行動にご苦労を強いました日本青年社の皆さんに石垣市民の一人として厚く感謝を申し上げます。私は沖縄県石垣市社友会の代表であります玉城栄一を通しまして日本青年社の役員の皆様方と懇意にさせていただいておりますが、皆様と接したりお話を聞いておりますと、日本の歴史や東南アジアの政経問題、政治に携わるもろもろの会話とあらゆる分野の活動等を耳にするにあたりその視野の広さに私は想像を絶するもので、その卓越した勤勉さに感銘と感動を得ました。皆様方と交流する中で日本青年社が発行します「青年戦士」平成20年1月度の一面に「倫理・道徳・品格の向上」の実践に向けて、と記載しています。理論文教局長・杉山 洋先生の文面を拝読させていただきました。身近なことだけに気づかない部分がかなりあり、私は政治に携わるものとしていかなるのものかと問うた時、やはり反省をする部分が幾多もあり残念極まりない一言につきました。近年における政治家や官僚、国家公務員の不祥事等が相次ぐ中で、私は国民のために奉公するものとして羞恥心理や道徳観念の変革が著しく欠如しており国民の政治に対する不信が極限に達しているものと思慮します。
  さらに先日大分県で発生した教職員とその教職員を管理監督する教育委員会の幹部等5名が収賄罪で逮捕されました。このことは全国に大きく報道され正に日本学校教育現場の正体が露呈され、教育の根幹を震撼させましたことは国民に大きなショックを与えました。そのようなことは氷山の一角との報道されましたことも事実であります。正に日本青年社が提唱してきた色々な分野での「倫理・道徳・品格の向上」を早急に実践させなければ社会の廃墟は時間を待たないのではないかと認識を新たにいたしました。さらに4月25日発行の、地球の危機を見据え、「自然と共生 環境と調和」の実践を同じく拝読させてもらいました。社会の環境、食糧問題、特に日本を取り巻く自給率39%の危機的食料に関連する諸々の問題等を鋭く詳細に奥深い内容で書いてありました。大変参考になり、又政治活動を展開する中で、私も資料として現在石垣の発展のために使わせております。これからも皆様方と会い親しく行動する中で自己研鑽し微力でありますけれども共に手を携えながら21世紀にふさわしい独創性にあふれる国づくりに協力させていただきますようお願いを申し上げます。」
と挨拶された。

 続いて、この度の全国社友総会に始めて参加された、日本青年社大阪府本部・吉田敏章本部長の知友であります奈良県天理市議会議員・佐々岡典雅先生と、議員同志連盟会長・松村茂夫先生のご友人である埼玉県杉戸町議会議員 古谷松雄先生が紹介され、最後に日本青年社教育指導顧問・あすか会教育研究所所長 教育学者・小池松次先生と俳優 岡崎二朗先生が紹介をもって議員同志連盟・全国社友会の紹介が終了。

 ご来賓ご挨拶では、高野山真言宗伝燈大阿闇梨 百万枚護摩行者最福寺法主池口惠觀大僧正、高野山真言宗松吟山大光寺・須藤哲乗住職、高野山真言宗真照寺・水谷栄寛住職が登壇された。ご挨拶は日本の象徴的指導者、池口惠觀大僧正が「先日、北海道の洞爺湖におきまして先進国首脳会議が行われて環境問題、食料問題、原油の高騰問題などグローバルなテーマが話し合われました。しかし議長を務められた福田総理はロシアを含めた欧米各国に対して十分にリーダーシップを発揮したとは必ずしも言えない状況であったと思います。日本が従来どおりサミットに深く関わっていくことに疑問を感じたのは私だけじゃなかったのではないかと思います。第一回のサミットが開かれたのは1975年のことでございます。その2年前に起きた第一次オイルショックを教訓に先進諸国が連携して世界経済を運営していこうという趣旨でありましたけれども、戦後奇跡の高度経済成長を成し遂げた日本は欧米諸国以外でただ一カ国サミットへの参加を認められたのであります。しかし今にして思いますと当時はまだ冷戦時代の真只中でありました。日本はアメリカの核の傘のもとで高度経済成長を成し遂げ、サミットへの参加も成し遂げたのであります。つまり日本がサミットの一員として活動しているのは本日この会のテーマにもなっております、いわゆる東京裁判史観の延長線上で行われているものあり、日本が世界に冠たる経済大国、債権大国、ODA大国といわれてジャパン・アズ・ナンバーワンとおだてられて先進国の一員としての役割を必死になって果たしている間にこの国は精神的に荒廃をして人材面でも物質面でも偽者が横行する亡国現象にさいなまれているのであります。この国は今、先進諸国の一員としてお金やものの面で国際貢献を果たしていくことも必要ではあると思いますけれども、それよりも敗戦を境にして失ってきたこの国本来の国柄を再評価して日本社会の底流に流れているところの伝統的な精神とか美徳といったものを取り戻すことに全身全霊をもって取り組むべきであるわけであります。 
 本日この会が、東京裁判史観の漆黒からの開放と日本本来のお国柄への回帰を鮮明に打ち出していくことに私は心より敬意を表すものであります。皆様方が掲げられる松明(たいまつ)が全国津々浦々の声なき声の道標になりますことを心から祈念いたします」
と挨拶された。

  続くご来賓ご挨拶では、政治学者・殿岡昭郎先生が「私は日本青年社の方々に会って色々と勉強もさせていただこうということで昨年の11月からお付き合いが始まったわけであります。お付き合いが始まってみましたら、まず驚いたことに日本青年社と私の間には今まで見えなかったことですけれども深いつながりがあるということに気づかされたわけであります。それは何かと言いますと、私の先ほどビデオを拝見いたしましたけれども、1980年代〜90年代に東南アジアのタイ国で日本青年社の方々は「平和祈念公園」というものをビルマ国境に近いところで建設をされていました。
  私はそれより少し前から1980年代にタイ国に渡り、反対側の東側のラオス国境で、共産ベトナムに対する反共ゲリラ戦を10年近くやったわけであります。私はその前、東京学芸大学の助教授であって政治学を教えていましたが、大学で学んだことは共産主義は間違っているということであり、私も研究活動の中でそのような確信を持つに至っていたわけですから、世界中に散ったベトナム難民がタイに行ってタイからベトナムに対して反共ゲリラ戦をやろうと聞いたときは、私も参加したいという思いから東京学芸大学をやめて800人のゲリラ部隊の補給を担当するということになりました。ですから全くお互いの存在を知らずに私たちはタイの東側で、日本青年社の方々は西側でお互いに同じ時期に活動をしていたということになります。
  もう一つ驚くべきことは私たちはタイ国政府の許可を得てやってたのですが、その相手の方がプレム内閣の副首相であったスッサイ将軍だったんですけれども。日本青年社の方々が建設した「平和祈念公園」のタイ側のパートナーも同じスッサイ少将であったということだったんです。これは非常に驚いたことでした。
  もう一つあります、私たちのグループの中に京都府出身の西川君という人がいたんです。彼は最初私たちと同じにベトナムに対する活動をやってましたが途中からビルマ側のカレン族の支援をやるようになりましたが、そのとき日本青年社の方々からの色々とご支援を受けていたと言うことでした。
  ですから私が活動してきたタイ国では日本青年社の方々と深い関係にあったのでございます。その私の反共ゲリラ戦も、実は7年後、1987年にタイ政府のベトナムに対する政策が変わったために我々はタイ国境から出るようにと通告されたのです。その時の仲間、ベトナムのゲリラ兵士400人は、バンコクから飛行機に乗ることを拒否して、陸路でラオスに入りベトナムに進もうとして共産軍の包囲に遇って200名が戦場で亡くなり、100名が捕らえられ、100名が行方不明になりました。ですから我々の反共ゲリラ活動は完全な失敗に終わったということなのです。私も日本に帰って合わせる顔がないということから2000年近くまで、タイ国で埋もれて人生終わりにしたいという気持ちでいたんですけど、日本の沢山の友達や知人からもう過去の感傷にしたっているときではない、かつては日本は安全だからベトナムに出てベトナムの人たちを助けてやろうというような余裕があったけれど、今はそうじゃない日本が危ないから帰ってこい、お前みたいな特別の経験のある奴がこれから役に立つといってくれたので私は最初嫌々ながら日本に帰ってきました、 そして事務所を作ってもらって活動を再開したわけです。
  日本青年社の方々と色々お付き合いする中で私は本当に日本青年社の方々の運動と我々の運動、私の運動は本当に一体のものだと理解するようになりました。もちろん私は日本青年社が尖閣諸島に灯台を作ったことは知っていました。
  尖閣諸島の灯台は小林楠扶会長が建設を決意して以来、27年の間、自費で維持管理しながら実効支配を続けてきましたが、平17年、国の申し出を受けた松尾和哉会長が国家に無償移譲されたのです。尖閣諸島の灯台はこれから中国あいは政権が変わった台湾との間で領土権を争うことがあれば、そのときこ日本の確固たる足場でなるという日本に対する大きな貢献であることは間違いありません。しかし多くの一般国民はこのことをはっきりと知りません。何か日本の民族団体が作ったようだということは知っていても、それが日本青年社だということを知りません。それは日本のメデァも偏見を持って伝えないことにもあると思います。
  ですから私は松尾会長にお会いしたときに是非やらせていただきたいことがある。あの灯台のことを私に書かせてほしい、本にさせてほしいと頼んだのです。それは私の本を一般の人たちに読んでもらって日本国民全体にあの灯台を作ったこと、それを維持管理してきた苦労、そしてまたそれを無償で国家に譲渡されたことなどを一人でも多くの方々に知ってもらうことが日本人にとっても誰にとっても役に立つことだと思ってましたから、日本青年社の総本部を訪ねて関係者の方々にインタビューを重ねて参りました。
  今、チベット騒乱が起きまして私の運動が急に忙しくなりましたので執筆が少し遅れていますが、一日も早くこの本を出したいと思っています。それから私の運動は対中第二戦線、中国に対する二番目の戦線を構築しようという運動です。私の考えでは、もう第一戦線は負けに負けてこれからも負けていく。つまり中国は日本の中に手を突っ込んで対日工作を自由にやっている。40年近くやっているわけす。
  日本がボロボロになってきたのは自然ではないわけです。中国の工作があるのですね。それならそれに反撃するにはどうしたらいいのかと、私の構想は中国に内部でしかも中国の後ろに存在するチベット、ウイグル、モンゴル、こういうところの民族と提携して中国を挟み撃ちにするような形で中国を内部から変えていくというようなことができればと思ってやっています。
  ですから私は微力ながら最低の緊急の支援を多少やったりデモやフォーラムを開催して今日に至ってますが、そのようなことから日本青年社の間に結ばれた深いご縁があったということ、そして持ってる理想が同じものだということ、日本民族の永続と繁栄を守るために、そしてできることなら中国を五つ六つ七つぐらいにバラバラになって共産主義でない民主主義の中国、そして色々な民族の独立自治が行えるようになり、それぞれの民族文化が栄えるようなそういう極東アジアを作っていく、これこそは日本も関係諸国も、あるいはアジアの全員の利益になると思っています。」
と挨拶された。

  ご来賓ご挨拶のあとの謝辞では、小林明全国社友会会長が、「今日は久しぶりに皆さんとお会い、また高名な先生のお話を聞きながら、もうちょっと時間をとってもいいんじゃないかなと思ってますけどもう謝辞でございます。本当にありがとうございました。
  先ほど議員同志連盟の松村先生がおっしゃっていました日本国民フォーラムで必ず政治を変えます、そして政治が動きます。米田先生が座長、平沼赳夫衆議院議員が最高顧問として内閣改造後に行われるであろう解散に向けて、我々は議員同志連盟の諸先生の活躍を期待して頑張ろうと思います。そして議員同志連盟の先生方の後をしっかり守り、決して後退しないようにしたいと思います。先ほど我々がご厚誼になっている先生方がおっしゃったように議員同志連盟の諸先生は腐った政治家ではございません。全うな政治家でございます。
  どうか皆さん我々議員同志連盟の先生方を信じて是非政治の大きな動きに向けて頑張っていきたいと思います」
と御礼の挨拶述べられた。

  最後に、第10回全国議員同志連盟・社友総会に馳せ参じてくださった首都圏をはじめとする関東近県の神輿会の皆様(100名)が粋な半被に身を包み、板橋仁勇会の清水会長のお心使いで用意された大神輿(1トン)を担ぎ威勢良い掛け声とともに「全国社友総会」を盛り上げ、会場からは担ぎ手の掛け声にあわせた手拍子がまるで保守民族派・日本青年社の雄たけびのように響き渡った。


  最後の行われた日本青年社恒例の五本締め(末広がり)は、会場いっぱいの参加者が起立する中で威勢よく執り行われて平成20年度「第10回全国社友総会」を滞りなく終了した。